山田耕筰 1

山田耕筰の自伝「若き日の狂詩曲」を読んでいます。

誰かが書いた「伝記」も面白いですが、「自伝」は、本人の息遣いや、人間くささが感じられて好きです。

しかも、自伝の著者は、仮にわたしが同時代に生きていても、近寄れもしないような偉人その人!

伊藤博文、勝海舟、ガンジー、ダライ・ラマなどなど・・・、自伝を残している偉人は、意外とたくさんいます。

教科書で会うだけと思っていた人たちが、自分の言葉で綴った人生を読んでいるんだと思うと、それだけで感激です。

 

で、山田耕筰。

赤とんぼ。からたちの花。この道・・・。

特に赤とんぼは、何百回、何千回、口ずさんだかわかりませんが、山田耕筰の人となりを知ったのは今回が初めてです。

医者なのに実業家まがいのことをはじめ、家族でも何をしているかわからなかったという破天荒な父と、名家の娘ながら前夫と子を早くに亡くし出戻って再婚した強く優しい母のもと、音楽好きに生まれついた耕筰少年が、苦学しながら夢を叶えていく半生記ですから、物語としても面白くないわけはないのですが、山田耕筰の文章が、とにかくうまいので、グイグイ読んでしまいます。

 

耕筰の父は早く亡くなり、養子に出されるのですが、その後、自営館という活版所に入り、9歳から13歳までの5年を過ごしています。

自営館は、本職の活版職人と、耕筰のような苦学生が住み込みで協労するところだったようで、最年少だった耕筰は、この自営館で、文字を学び、集団生活を学んでいます。

先輩たちの荒々しさに幼い心が悲鳴をあげたり、母恋しさに嗚咽することも再々だったようですが、その時間が耕筰に豊かな教養と人とのつきあい方も授けたのかもしれません。

人を惹きつけるこの文章のうまさも、原稿を読んで活字をひらい、年上の人々との話題の中で暮らす中で培われたのかもしれないな、と感じました。

 

今回、ほんとうは、山田耕筰とわたしの驚くべき共通体験について書こうと思ったのですが、「長すぎる!」とライブで元気さんに怒られるわたしのトーク、どうも文章にも言えるみたいで、それは次回に書きたいと思います。

 

                          (絵、安本洋子さん)(きなこ)