昨日投稿した、夕方5時に流れる音楽についての会話です。
「曲名、「遠き山に日は落ちて」よね」
と言ったら
「「家路」でしょう」
「え?「家路」はないでしょう?」
「いや、「家路」だよ」
主張しても、お互い根拠を示す知識はなく、こういうときに、スマホはありがたいですね、すぐに調べられます。
遠き山に日は落ちて、と入力したら、「遠き山に日は落ちて(家路)」と出て来て、家路、と入力したら、「家路(遠き山に日は落ちて)」と出てきました。
だめじゃん!
で、さらに調べると、なんとまあビックリ。
「家路」と「遠き山に日は落ちて」は、メロディは同じだけれど、歌詞が違う別の2曲の歌なんだそうです。
ドボルザークの交響曲「新世界より」の一部に作詞した元歌があり、それを堀内敬三が訳詞したのが「遠き山に日は落ちて」で、野上彰が訳詞したのが「家路」なんだそう。
そうなんだぁ。
心のなかで、へぇへぇへぇ!とボタンを連打していたら、昔昔、学校のキャンプファイヤー合宿で、みんなでたき火を囲んで、「と〜おき〜や〜まに〜」と歌ったこと、歌い終わると同時に、杖をついた白装束の「火の神様」(先生のバレバレの扮装)が闇の中から現れたことなどを思い出しました。 (写真、yama-p)(きなこ)
*写真をクリックすると、「蜂ケ峯 思い出はいつもきらら」をお聴きいただけます。
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N (月曜日, 06 9月 2021 17:53)
「鉢ヶ峰、思い出はいつもきらら」は、げんきなこの歌の中でも、私には、何か特別な、ほのぼのとした温かな思い(妹への兄の心配、心配りかな?)を感じるお気に入りの曲です。どこか他のげんきなこの歌と違った雰囲気を醸し出しているような気がしますが気のせいでしょうか。
夕方の曲と言えば、平成26年、大都会東京へ突然島根の田舎から出てきて日大板橋病院にDBS手術という未体験のことをするため、ただ一人、不安な入院生活を送る中で、夕方の5時か5時半に町に、病院の浴室の窓の外から板橋区の防災行政無線から流れる「夕焼け小焼け」に、となりの人も知らないで暮らしている都会の生活の中に、何かしらほのぼのとした親しみというか温かい一面を感じました。今でも懐かしく、ときどき、you tubeで板橋区の防災行政無線を聞いて楽しんでいます。
きなこ (水曜日, 08 9月 2021 11:59)
Nさん、こんにちは。
なにか深い感慨をもって、コメントを読ませていただきました。
そうなのですね、板橋区は「夕焼け小焼け」なのですね。
そしてそれを病室の窓ごしに聴いていらっしゃるNさんの姿が、今、頭のスクリーンに写っています。
元気さんの実家の5時の音楽も、「夕焼け小焼け」でした。お寺の鐘のような音で演奏している「夕焼け小焼け」でした。
たくさんの思いを重ねてながら、ほがらかなNさんを思っています。