団伊玖磨さんと父

やぎさんゆうびん、おつかいありさん、花の街、ぞうさん

これ、どれも團伊玖磨さんが作曲された歌なんだそうです。

あらためて素晴しい作曲家ですね。

断捨離中の母が、先日持って来てくれた團伊玖磨さんの「パイプのけむり」シリーズをパラパラと読んでいたら「僕は色盲である。」と書いてあり驚きました。

知りませんでした。

 

団伊玖磨さんは小学一年生のとき、図工の時間にバラの花を写生をして、いきなり先生に絵を取り上げられて、教壇の上からかざされ、

「見たとおりに描きなさいといったでしょ。

先生の言ったとおりに出来ない子は心のねじけた子です」 

と立たされたのだそうです。しかも幾度も。

自分が色盲と知らず、叱られている理由がわからず、当然図工の時間が嫌いになり、学校が嫌いになり、そのうち仮病を使って学校を休むことを覚え、

「美を習うべき図工の教室で、僕は屈辱を習い、憎悪を習い、嘘を習得したのである。」

とありました。

 

読み終わって、ふ片耳が聴こえなかった父のことを思い出しました。

父が小学生の頃、泳いでいて耳に入った水が出なくなったのだそうです。

民間療法か言い伝えか、祖父が父の耳に草の汁を入れたのが化膿して、父は片耳が聴こえなくなったそうです。 

でも、それを先生には言えず、聴こえない側から話しかけられると、

「聞こえんから、「無視しちょる」と先生に叱られて頬べたを叩かれちょった。」

と聞かされました。

話を聞いたのは、父が耳の手術をした頃、私が小学2年生の頃だったと思います。

 

父は耳から膿が出るようになって、母の膝枕でそれを取ってもらっていました。

叩かれても耳が聞こえないと言えなかった父を、なんてかわいそうだ、と思い、父を叩いた先生を、なんてこわい先生だ、と思っていました。

 

父の手術の日、学校から帰ったら祖母がいて

「お母ちゃん、泣いちょったよ。泣かんでもええのにねぇ。」

と言っていたのを覚えていますが、おかげで父の耳は聞こえるようになりました。

 

色盲の團伊玖磨さんは音楽家になられ、片耳が聴こえなかった父は小学校の図工の先生になりました。

そして父は今も、絵を描くことを生きがいにしています。

                            (写真 yama-p(きなこ)