インドハマユウの話

通りがかりの生協ひろしまの敷地に、花が終わった植物となにやら看板が。

読んでみると、植物はインドハマユウで、原爆を生き延びた株を、尾島良平さんが大事に持ち帰って増やしたのを各地に株分けしたもの、というようなことが書いてありました。

全然知りませんでした。

尾島さんは、広島市の比治山にあった陸軍船舶砲兵隊、通称暁部隊1500人の食事を担当していた兵長さんだったそうです。

ある日、食材の買い出し先で出会った己斐の橋本一太さんからインドハマユウの株を譲り受けたそうです。

食料不足の折、畑では食用になるもの以外の栽培は禁止されていたそうですが、兵舎の脇ならいいだろうと尾島さんはインドハマユウを植栽。

原爆投下で、尾島さんは胸骨を3本折る怪我をされたそうですが、回復されて訪れた比治山で、瓦礫の間からのぞいたハマユウのを見つけます。

その球根をリュックに入れて自宅のある鎌倉に帰宅。

「破魔勇」と名付けて、株分けしたインドハマユウを各地に植えながら、生涯、反戦.反核の平和活動をなさったそうです。

インドハマユウ、調べてみたら、実に美しい花でした。

そのあでやかな白い花が、買い出し中の尾島さんの目に止まったのでしょうか。

きっと尾島さんも橋本さんも、花好きだったのでしょうね。

花か咲く6月頃のことだったのかな。

花好き同士、さぞ話がはずんだんだろうなぁ。 

「きれいな花ですねぇ。株分けしてもらえますか?」

「ええですよ、ええですよ」

…、そんな想像もしました。

陸軍兵舎の隅に咲いたインドハマユウ。

戦争中でも、軍隊の中でも、美しい花を愛する心があったことに、心打たれています。

                      (写真 yama-p)(きなこ)