E.Wさんのエッセイ パーキンソン病になって思うこと~今までの人生、これからの人生~

 

友人のE.Wさんのエッセイが友の会の会報に掲載されました。

とても感動したので、E.Wさんのお許しをいただき、転載させていただくことにしました。

ぜひお読みいただけたらと思います。

       (きなこ)

 

 

 「去る者は追わず来る者は拒まず」

 父親が良く言っていた言葉で、私の大好きな言葉の一つです。

 そのせいでしょうか?パーキンソン病まで寄ってきてしまい、残念ながら受け入れざるを得ませんでした。

 

 私がパーキンソン病の確定診断を受けたのは、平成26年の年明けでした。

 45年前から身体に異変を感じてはいましたが、整形外科を受診したりしていました。そして左手に振戦が出現し、動作も緩慢になってきてると夫に言われ、神経内科で検査を受けた結果、パーキンソン病の診断が下されてしまいました。

 

 実は、父親も多発性脳梗塞、パーキンソン症候群といわれた時期もあり、晩年は多系統萎縮症の診断を受け、繰り返し誤嚥性肺炎で入院し、最終的には胃瘻造設となり、母親に介護してもらい、サービスを利用しながら在宅生活を送っていました。

 平成23年の2月に母に先立たれ、後を追うように暮れに亡くなりました。親子3人で同じ先生に診て頂いており、遺伝性についても気にかけて頂いていますが、今のところは不明と記されています。父の姿を見ながらまさか自分が同じような病気になるとは思いもしませんでしたが、父と時期が重ならなくてよかったと思っています。

 

 私は現在65歳。3人兄妹の末っ子として生まれ、ただ一人大学まで出してもらい、順調に社会人としてのスタートを切りました。

 専攻は社会福祉なのでその道に進み、もともとお年寄りが好きだったことから、高齢福祉サービスの政策に合わせて仕事もできて、とても充実した時間でした。

 内部異動により、最後の職場は地域包括支援センターで、専門職としての資格を生かした業務にやりがいを感じ始めた矢先、確定診断がくだされ、人生の仕切り直しをせざるを得なくなりました。

 早速全国パーキンソン病友の会に入会し、沢山の情報をいただき、仲間も増えました。先輩会員から病気との付き合い方、生き方などいろいろ教えてもらいました。

 

 私の場合はオン・オフがはっきりしておらず、よって内服の時間もそんなに神経質にならなくてもいいので助かります。

 ただ昨年秋ごろから、前傾が強くなり、日常生活に支障がでています。

 我が家は95歳の義母、73歳の夫そして私の3人家族で、高齢世帯となっていますが、一番元気なのは義母のようです。茶の間の掃除も協力してくれています。

 

 私は午前中は2時間ほど畑に出かけ、夫の手伝いをしていますが、午後には早めに台所に立ち、食事作りをします。目線が低くなり、冷蔵庫の中にあるもの確認したり取り出したりすることが難しくなったので、子供の椅子を踏み台代わりにつかっています。

 またシーツなど外の竿に干すことができず、夫に協力してもらっています。大好きだった食器洗いなども手伝ってくれるのでとっても助かっています。

 家の中は狭いせいか、すくみ足になることが多く、なかなか一歩が出ません。またこわばりもあり、ちょっとしたことでバランスを崩しやすく、転倒の危険もあります。安全に過ごせるように十分気を付けて過ごしたいと思います。

 

 

 今後について、今できてることができなくなったら等考えると不安になりますが、考えても仕方がないので、考えないことにしました。なるようにしかならないと思っているので、その時その時にしっかり検討しながら前に進んでいけるようにしたいと考えています。

 私には友の会のたくさんの仲間がいます。さらにいろんなグループの友達がいますので、食事をしたり、お喋りを楽しんだり、旅行に出かけたり等楽しみを沢山作って元気に過ごしたいと思うこの頃です。           (絵、安本洋子さん)

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コメント: 8
  • #1

    スミピー (金曜日, 24 7月 2020 16:59)

    ブログには久しぶりにコメントさせていただきます。
    こちらの文章、
    「去る者は追わず来る者は拒まず」
    という出だしから始まるように、E.Wさんはきっとご病気になられてから今もそのお気持ちで過ごされてらっしゃるんじゃないかなぁと思いました。
    去る者、出来なくなることは追わぬよう、来る者、そのときできること受け入れ共存して生活してらっしゃるのかなと。
    決してご病気を受けいることは容易ではないなかで、お身体のつらさとともに、耐えるに耐え難い苦悩と止むことのない不安に襲われながら、でも前向きに向き合っていかれてるそんな文章に、自分も出来なくなってしまったこと、今できることをネガティブに考えるとしんどいですが、もっとポジティブに捉え考えることもできるんじゃないかと思わせていただきました。
    素敵な文章のご紹介、ありがとうございました。

  • #2

    きなこ (金曜日, 24 7月 2020 21:29)

    スミピーさん、こんばんは。
    ブログではほんとうにお久しぶりですね。
    うれしいです。
    去る者は追わず、来るものは拒まず。
    この一文から始まる文章に、私もかなりショックを受けました。
    この言葉は、これまで私の中で、そんなに好きな言葉ではありませんでした。
    でも、EWさんのこの文章を読ませていただいて、私の中で、言葉のイメージが変わりました。
    去る者を追わない。
    来るものを拒まない。
    その主語が「パーキンソン病」であるとき、この言葉は、鼻歌では言えない重たい言葉になりますね。
    でも、それを「受け入れざるを得ない」とさらりと書いて次の文章に移っていることにびっくりしました。
    ほんとうは、涙もあったかもしれないし、千も万もため息があったかもしれません。
    受け入れられないから、みんな苦しいのですよね。
    でも、それを「受け入れざるを得ない」と書かれて、実際に前向きに歩み始めていらっしゃる投稿を読ませていただきながら、きっとEWさんのこれまでの人生がきちんとしたものであったから、きっとそのようにおできになったのだろうなあ、とも感じました。
    このことは、少し前に同じように手記を紹介させていただいたゆっこさんの文章からも感じたことです。
    お二人に共通しているかなあ、と私が感じているのは、心優しく、毎日の生活を大切に暮らして来られた方なんじゃないかなあということです。
    結局、自分がどのように生きてきたか、ということが、自分に戻ってくるのかなあ、ということも感じています。
    それにしても、いつも感じるのですが、スミピーさんは、理解がとても深い方ですね。
    これも、スミピーさんのこれまでの人生の深さなのだろうなあ、と感じています。
    コメント、ほんとうにありがとうございました。

  • #3

    ゆっこ (月曜日, 27 7月 2020 09:50)

    きなこさんのコメントで触れて頂いた ゆっこです。EWさんの文章を読ませていただいてとても共感を覚えました。これまでたやすく出来ていたことが出来なくなり、内面のあせり、今後の不安、そのような気持ちの落ち込みで又さらに身体が萎縮して出来なくなる。そんなこの病気とこれからずっと、生を終えるまで(たぶん)離れることは出来ない。
     ならば出来ていた過去も振り返らず、遠い先のこともあまり心配して考えず、今を工夫して少しでも楽しく過ごしたい。そんな思いを私も持っていいます。
     でも、ふと目覚めた夜中、暗い深い穴に閉じ込められてしまったような絶望にさいなまれるひとときもあり、ずっとポジティブでいることも不可能だなあと思ったりもします。
     EWさんはご主人やお義母様の協力を得られ、日常をていねいに過ごしていらっしゃる様子ですね。
     私も、高い所への干し物は棒を使ったり、狭い所は苦手だし病状は近い状態なのかもしれませんね。工夫していることは、トイレでのズボンの上げ下ろし、止まってしまう時があるので、その時は「よいしょ」「イチニイサン」とかけ声や膝を少し屈伸しながらとかすればうまく動けたりします。
     それにしてもEWさんは畑仕事などもされて、すごいなあと思います。
     スミピーさんの考察にも感じ入りました。
     きなこさん 私にコメントのタイミングをいただき(勝手ですが(*^_^*))ありがとうございます。

  • #4

    E.W. (火曜日, 28 7月 2020 08:47)

    今回ご紹介いただきましたエッセー(?)の執筆者E.W.です。いつもは、支部会報にて方部会の活動報告をしているのですが、コロナの影響で、しばらく活動を自粛していたので原稿がなく、代わりに何かをと要請があり、書いたものでした。それをきなこさんに取り上げていただき、さらに皆さんから素敵なコメントを頂きまして、大変うれしく読ませていただきました。ありがとうございました。

  • #5

    スミピー (木曜日, 30 7月 2020 06:00)

    E.W.さん、ゆっこさん、はじめまして!
    げんきなこさんの大ファンのスミピーと申します。僕自身、20年以上鬱病を患っており皆さんのお身体の大変さほどではもちろんありませんが、日々生きづらさに悩まされています。
    自分も昔の元気だった頃のことや未来への絶望にも似た不安に思いを巡らすとなんとも悲しい気持ちになりますが、
    げんきなこさんの「一緒にいよう♪♪」という曲にもあるように、その悲しみが連れて来てくれた人だったり、出逢い、その温かさやその笑顔、またそのときに溢れる自分の笑顔もだし、見える景色、色、まるで初めて感じるようなワクワク感、、、
    この悲しみなくしては得られなかったヨロコビやシアワセもたーくさんあるなぁと、特にげんきなこさんに出逢わせていただいてから思うことが多くなり、この体験、病気がなかったらきっと開けることのなかった風景がここにあるなと感じられるようになりました。
    E..W.さんやゆっこさんが、ときにどうしようもなく襲われる不安を抱えながら、日々色々工夫され毎日を出来るだけカラフルにしようとされてる文章を読ませていただき、自分も抱えてるものや不自由だと感じることは違いますが、出来るだけ明るい色を毎日に描き足しながら過ごせていけたらいいなぁと思いました。
    E.W.さん、ゆっこさん、この度は素敵な文章、コメントを読ませてくださり本当にありがとうございました。
    またこのような機会をいつもあたえてくださるげんきなこさんにも感謝です。

  • #6

    スミピー (木曜日, 30 7月 2020 07:34)

    すみません。
    毎日をカラフルにしようとされている、というのは軽々しいというかちょっと違ってますよね。
    日々生きていくためにやらなくてはならないことができるように努力されてるということだからそんな生優しいものではありませんでしたね…失礼しました。
    ただ、自分がこれまで真っ暗になってしまったものでも、これから一日一日新しい色を探してそれを描き足していくような毎日にしていきたいとふと思わせていただいたものでそんなふうに書きました。
    …本当に失礼しましたm(__;)m

  • #7

    E.W. (木曜日, 30 7月 2020 11:05)

    スミピーさん、コメントありがとうございます。「毎日をいろんな色を足しながらカラフルに」という表現素敵ですね。私はあまり絵は得意な方ではありませんが、明るい色が好きです。病気の症状としては姿勢保持が困難で、前傾が強くなってきてるので、目線が低くなり、おかげで畑に行く坂道を登りながら、いろんな草花が楽しめます。朝に太陽が出ている日は、小さいのに太陽に向かって精いっぱい背伸びして目いっぱい花びらを広げ、私に頑張れと。背中を押してエールをくれてるように感じます。自分より大きな草花に負けないように頑張って生きてる姿に感動してます。四季折々毎年時期が来ると芽を出しkれいな花を咲かせ、踏まれても刈られてもまた同じところに顔を出し、私たちを喜ばせてくれてると思うといとおしいです。目線が高ければ気付くこともなく、過ごしていたかもしれません。そういう意味では病気になったおかげで体験できてることですね。この様な毎日ですが、出来るだけ明るく楽しく過ごしたいなあと思っています。時にできない自分と向き合い、情けなくなり一人涙することもありますが、同じ人生を生きるなら、楽しい人生にしたいと気持ちを切り替えて過ごしています。これは友の会の先輩の方々から教えて頂いた生き方なんです。明るい色は気分的にも元気になれますね。これからも宜しくお願いします。こういう場を作ってくれたげんきなこさんに感謝してます。

  • #8

    きなこ (金曜日, 31 7月 2020 13:43)

    EWさん、ゆっこさん、スミピーさん
    わたしこそ、ありがとうございます。
    大好きな人たちがつながってくれることは、とてもうれしいことで、私の方こそそのうれしさを感じさせていただいています。
    ありがとうございますね。
    毎日をカラフルにしようとする、という表現、私も素敵だなあと思いました。
    ずっと以前なのですが、俵万智さんが、同じ白でも、紅と一緒になればおめでたくなるし、黒と一緒になれば悲しい色になる、ということを書いていらっしゃって、ああそうだなあ、と深く感じ入ったことがありました。
    そのように、わたしたちは、自分の人生をあかるくするような出会いをいただきながら、いい人生を歩んでいけたらいいなあ、と願っています。
    感謝は、わたしのほうこそです。
    これからもよろしくお願いいたします。