楽しむことが‘リハビリ‘

パーキンソン病の患者会である全国パーインソン病友の会に、元気さんと二人で入れてもらって、もう何年になるでしょうか。

学校では、「友達を大切にしよう」とか、「仲間は大事」とか、教えられてきましたが、そのままの自分たちを受け止めてくれる仲間がいるということが、こんなにもうれしく心強いことだということを、こんなおじさんおばさんになって、私たちは初めて気が付きました。

 

「パーキンソン病はすばらしいご縁をつれてくる病気だ」というのは、最近の元気さんの口ぐせですが、たしかにパーキンソン病のおかげで、私たちはたくさんの素敵な人に出会うことができました。

 

写真のご夫婦も、そんな方です。

新年度から、神奈川県支部の支部長になられる高垣照雄さんと奥様です。

 

高垣さんとの出会いは、静岡県でした。

タンゴとげんきなこのコラボをさせていただいたのですが、そのダンサーとしていらしていたのが、高垣さんでした。

その後、奥様も含めて、親しくお付き合いさせていただくようになりました。

 

横浜にある高垣さんのお家の近くからは富士山がよくみえるそうなのですが、あれは何のときだったのか、

「あの富士山の向こうに、きなこさんがいるんだなと思いました」

というお手紙をいただき、とても驚きました。

これまで様々、富士山のことを書いた文章を読んだことがありますが、日本一美しい富士山を見て、その向こうにいる人のことを想像する人がいるなんて、初めてでした。

でも、お付き合いを重ねるうちに、高垣さんも奥様も、いつも誰かのことを思いやって、誰かの喜びをご自分のしあわせと感じられる心あたたかい方だということがわかりました。

 

畑を作ったり、木工をなさったり、料理をなさったり・・・。

その料理も、ザクロのお酒とかトウモロコシのスープといった、たいへんに手の込んだものなのですが、最近のご趣味は水車小屋作りと聞いています。

幼いころの記憶をたどりながら作られた水車小屋は、もう100軒を越えたそうですが、ほとんどを差し上げてしまい、手元にはいくつも残っていないそうです。

奥様が小さな鶴を折って、それを小枝にたくさん止まらせた鶴の木が水車小屋の横に並べば、さながら昭和初期の村の風景です。

 

この度、高垣さんの活動のご様子が、神奈川のタウンニュースの記事として掲載されました。

ぜひたくさんの方に高垣さんの笑顔の力をお分けしたくて、高垣さんに転載のお願いをしました。

下記に転載させていただきましたが、下記URLからもお読みいただけます。

転載をお許しくださいましたタウンニュース様、ありがとうございました。

 

https://www.townnews.co.jp/0107/2020/03/26/522467.html

 

「タウンニュース泉区版 3月26日号 」より

 

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高垣さん(右)と妻の敏子さん
高垣さん(右)と妻の敏子さん

 上飯田町在住の高垣照雄さん(69)は、パーキンソン病と闘いながら、リハビリを兼ねて様々な趣味活動にチャレンジし続けている。その根底にあるのは「自分を諦めず、人生を楽しむ」という熱い想いだった。

 パーキンソン病とは、脳の異常のために手足のふるえや筋肉のこわばりなど、体の動きに障害があらわれる進行性の難病。高垣さんが発症したのは2006年、55歳の時だった。右の手足が動かしにくくなり、病院を受診。パーキンソン病と診断された。

 闘病生活も15年目。これまでも自家製のブドウを使ったワインづくりや、自宅の壁や床のリフォーム、週2回のグラウンドゴルフなど、リハビリを兼ねて何事にも積極的に挑戦してきた。「発症前より視野が広がり、出来ることも格段に増えた」と微笑む。

 今、一番熱中しているのはクラフト。幼少期の記憶の中にある風景を再現したいと、割り箸や空き箱などの身近な材料で、ログハウスや水車小屋などを作る。約1年前からスタートし「5年間で100軒制作」という目標は既に達成した。

夫婦二人三脚で

 進行は遅くなっているものの、全身の筋肉がかたくなり、毎日朝晩は身体を動かすことさえ困難。そのため、薬を飲むのが欠かせないが、副作用で身体の揺れが止まらなくなることも。それでも笑顔を絶やさずにいられるのは、妻・敏子さんの支えがあるからだ。毎月参加している町内会のサロンも夫婦の楽しみの一つで2人がクラフトを教えることも。「初心者でも楽しめるように」と説明書まで手書きで用意する制作キットは参加者たちからも好評だ。

 高垣さんは「最大のリハビリは人生を楽しむこと。自分と同じ境遇の人に勇気を与えられたら」と話した。