スゴイ人

パーキンソン病です、と告知されたときの患者さんの反応は、私の知る限り大体2つに分けられるような気がします。

  

1つは、ズーンと落ち込むケース。

元気さんもこのタイプでした。

 

 

2つ目は、ホッとするケース。

パーキンソン病は、なかなか診断がつかない病気で、本人はしんどいのに、病名がつかないために周囲からしんどさが理解されず、長い間、その無理解に一人苦しむ場合が多くあります。

 

家族の無理解については、元気さんもそうでした。

私も「男性の更年期」かと思い、気の持ちようよ、なんて思っていました。

今思うと、かわいそうなことだったと思うのですが、わたしのような人は意外と多く、ご本人にとっては、無理解の悩みが大きかった分だけ、パーキンソン病であったという深刻さより本当に病気だったんだ、晴れて汚名を挽回できるということのうれしさが勝り、病名を告げられたときホッとした、という方も意外と多くいらっしゃいます。

 

 前者が9割、後者が1割、くらいかと思います。

 

 でも、Aさんは前者でも後者でもなく、こんな反応は初めて聞きました。

「私は鈍いんかな。パーキンソン病ときいても、全然落ち込まなかったよ」

「え?どうして?」

「告知されたとき、2人の子供も成人して、とりあえず私の役目は終ったと安心していた時期だったしね。

もちろん、明日死にます、と言われたら、私も落ち込んだよ。

でも、パーキンソン病はすぐに死ぬわけじゃないし、病気と闘うという目標ができた、と思ったのよ。」

 

 驚きました。

それはそのとおりなのです。

パーキンソン病に限らず、進行性の病名を告げられた人は、今のしんどさに落ち込むのではなく、自分の将来を悲観して落ち込むのでしょう。

冷静に考えれば、どんな人でも、将来の自分を知っている人はないのだから、パーキンソン病患者さんだけが、将来の自分を想像して、今落ち込む必要はないのですが、人間はそのように合理的にはできていないので、やはりほとんどの人は告知されれば落ち込みます。

 

Aさんは、私が知るなかで突出して友達が多い人です。

一見、平々凡々な人生を歩いてきた気さくな人に見えるので、みんな心安くAさんとおしゃべりしていますが、うかがってみると、お若いときから、いくつもの困難や死別があり、それを乗り越えてきた方でした。

主婦として家族を大事に思い、まわりの人たちとの絆を大切にしながら人生を送ってきた方でした。

Aさんの人生の出来事をうかがった上で「子供も成人して安心した」というAさんの言葉を思い出すと、その安心がどんなに深い言葉かを思うのですが、きっとそんな人だから、告知されたとき「目標ができた」なんて、そんなスゴイことを思えるのだろうな、と感じています。

 

 スゴイ人は、「普通」の顔をしているのですね。

                            (絵、安本洋子さん)(きなこ)

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント: 5
  • #1

    スミピー (土曜日, 17 8月 2019 04:15)

    げんきなこさん、遅こんばんは!
    今回ご登場されていらっしゃるAさん、本当にスゴイ方ですね。
    って僕なんかが簡単に口にするとどうにもおこがましい気がしてしまいますが…
    話は少しだけズレそしてさかのぼってしまうのですが、今年8月6日の原爆記念日、記念式典で一番僕が印象に残ったのは市長さんの平和宣言でも総理大臣さんの式辞でもなく、小学生代表のお二人による「平和への誓い」でした。

    「ありがとう」や「ごめんね」
    の言葉で認め合い許し合うこと、
    寄り添い助け合い相手を知り違いを理解しようとすること、
    それは私たち小学生でもできることです。

    今YouTubeで間違いがないように改めて確認しましたがまさにこの言葉でした。
    国と国との対立や戦争、身近なところでは最近のあおり運転などによるいざこざなどなど…
    大人ではなく実際に体験したことのない子供たちの言葉になぜか大きく納得させられたのでした。

    話は戻りこちらのAさん、
    それはそれはたくさんの色んな経験をされ歩まれた人生のなかで、ご病気を告知されてのお言葉…
    このブログを読ませていただき人生を歩き始めた小学生とその人生をずっと歩き続けてこられたAさんがなぜかどこかで不思議と繋がる気が自分には勝手にしたのです。
    真っさらな純粋さとそこに刻み込まれた幾重もの経験…
    もしも世界が救われるとするなら、全く正反対、両極端なこの二つによるものではないかと…
    なんだかまた大げさで意味不明になってしまいましたが(汗)
    とにかく真っさらな子供さん達とご経験を積まれ年輪を重ねられたご年配の方々のお話にもっと世界は注意深くなってもいいんじゃないかと、、、
    思ったのでありました(汗汗)
    失礼しましたm(_ _;)m

  • #2

    スミピー (土曜日, 17 8月 2019)

    Aさん、とってもご年配の方のようなコメントを書いてしまいましたがそうとは限らないですよね。
    いやいや、本当にたくさん失礼しましたm(_ _;)m

  • #3

    きなこ (土曜日, 17 8月 2019 17:27)

    スミピーさん
    こんにちは。
    いつも感じていますが、スミピーさんの文章は、美しい詩のようでもあり、深い哲学書のようでもありますね。
    もう一度読みたくなる、深くて美しい文章だなあ、といつも感じています。
    今回もそうでした。
    繰り返し読ませていただきました。

    小学生たちの平和宣言。
    わたしもいつも感じいりながら聞かせてもらっているのですが、戦争、原爆という小学生が未経験の問題を、いじめや仲間はずれなど、自分たちの向き合う問題とつなげて解決の糸口、実践できることを探そうとしているのがすばらしいなあ、と思いながら、私も感じています。
    スミピーさんがコメントの最後で書いてくださっていた、
    「真っさらな純粋さとそこに刻み込まれた幾重もの経験…
    もしも世界が救われるとするなら、全く正反対、両極端なこの二つによるものではないかと…」
    には、感動しました。
    そうですね。そうかもしれませんね。
    さまざまな経験を重ねて、折れて、汚れて、なお純粋であるもの、純粋である人が、人々の心を動かし、世の中をよい方向に変えるのかもしれない、と私も感じています。

  • #4

    スミピー (土曜日, 17 8月 2019 17:37)

    わあ!
    僕の拙い文章からいつも素敵に汲み取り感じ取っていただきありがとうございます。
    実はコメントしたあと偉そうなこと書いたなと反省していたので救われました。
    いつもありがとうございます。

  • #5

    きなこ (土曜日, 17 8月 2019 19:30)

    そんな、反省なんてしないでください。
    スミピーさんの感性は、素敵だなあ、といつもコメントをたのしみに読ませていただいています。
    こちらこそ、ありがとうございます♪