手のかかる器

食器乾燥機を使っています。

洗い終わった食器を、乾燥機のかごにどんどん並べて、入れ終ったら、スイッチポンして、乾燥させるだけ。

でも、いくつか、食器乾燥機に入れずに、ふきんで拭いている器があります。

同級生のA君が作った器です。

 

A君は、とても要領の悪い人でした。

経済学部の学生だったと思うのですが、およそ経済観念というものは感じられない人でした。

パチンコが好きで、たまに大当たりして大金を儲け、そんな時は、高級食材をたんまり買い込んで、得意の料理の腕をふるい、みんなに手料理をご馳走してくれましたが、負けが重なって仕送りが底をつき「自分が食べるものがない日」も案外あったようでした。

司馬遼太郎さんの歴史小説が好きで、「幕末の志士たちのように生きたい」と、よく言っていました。

「敷きっぱなしの布団をはぐったら、キノコがはえていた。いこじなキノコじゃ。」と聞いたのも、たしかA君からだったような気がします。

 

要領が悪いA君は、わたしたちが3年生になるとき、留年しました。

そして、みんなが就職活動しているとき、「大学をやめてコックになる」と言いはじめました。

「大学は卒業しておいたほうがいいんじゃないん? コックさんになるのは、そのあとでも遅くないよ」

みんなでそう言ったのですが、A君はわたしたちの卒業と同時に学校をやめて、九州のレストランで修行を始めました。

 

その後、いくつかの店を点々として修行をしたあと、広島で念願のお店を始めました。

鷹野橋商店街の近く、入り組んだ路地のとてもわかりにくい場所に、A君のお店はありました。

もともと居酒屋だったところを借り受けて、フランス料理のお店を始めました。

 

友人何人かでお花を持っていくと、白い上着を著たA君が一人で、照れたときに見せるいつもの困ったような顔で迎えてくれました。

体を左右に揺らしながら話すのも学生時代のまんまで、ぶっきらぼうに、「魚にする? 肉にする?」と尋ねてくれました。

一人で厨房に立っているというのに、料理はこれ以上ないくらい手が込んでいて、ソースは美しく幾何学模様を描き、食べるべきか残すべきか迷うような見知らぬ洋野菜が、彩りにあしらわれていました。

味は上等。

見栄えも抜群。

心もおなかも大満足でしたが、どう考えても金額と手間があっていないような心配をかかえながら、私たちは家に帰りました。

 

その後しばらくして、友だちと市内に出たとき、ふらっとA君のお店に立ち寄ったら、A君が一人で客席に座り、爪楊枝を重ねてバベルの塔みたいなものを作っていました。

「なかなか芸術的と思わん?」

と得意そうに見せてくれましたが、お客さんは?と尋ねると、

「フランス料理はむずかしいね。使いたい食材は、意外と高いんよ。

食材をそろえて待っていても、お客さんが来てくれんと無駄になるし。

でも、冷凍は使いたくないんよ。」

ということでした。

小さなチラシを作って本通りで配ってみたり、私たちも少しPRのお手伝いをしたけれど、あまりお客さんは増えていないようでした。

 

でも、お店をしている間に、とびきりいいこともありました。

その店のお客さんだった人と、A君は結婚したのです。

竜宮城から連れてきたの?と思うような、きれいな女性でした。

 

その後、あまり先ではなく、A君はお店を閉じました。

「料理のおいしさが引き立つような食器を作りたいと思うんよ」

そして、中国山地の山間の陶芸家の先生のところで修行をする、と言いました。

でも、今度は乙姫様のような奥さんも一緒だったので、私たちは、あまり心配しませんでした。

 

きれいで気立てのいい奥さんのおかげも、たぶんすごくあったのだと思います。

やがてA君は独立して窯を持ち、自分の家の一角で、焼き物を売るようになりました。

A君の食器は、A君の料理と同じで、とても美しくて繊細な焼き物でした。

でも、「食器棚にしまっているんじゃなくて、普段に使ってもらえるような食器を作りたい」というA君の目的とは、少し違っているような気もしました。

「すごく素敵だけど、もう少し厚くて、硬くて、私みたいなガサツな主婦が毎日使っても、割れんようには作れんのかねぇ?」

と尋ねると、

「そういう風には作りたくないんよ。

大事に洗ってもらえるような、そんな食器を作りたいんよ」

と答えました。

でもねぇ、主婦は意外と忙しいからねぇ、やっぱり普段食器なら、簡単に食洗器にかけられた方がありがたいし売れると思うよ、なんてことを私は言い、でもA君とは話が合致しなかったような記憶があります。

 

たまにドライブがてら、元気だった元気さんと一緒に、中国山地のA君のお店を訪ねることもありましたが、会うたびにA君は、仙人のような人になっている感じがしました。

 

そしてやがてA君と連絡が取れなくなってしまいました。

 

わたしの食器棚には、A君の作った食器がいくつかあります。

その食器だけは別に洗う自分に気づいて、ちょっと笑ってしまいながら、「結局、A君の言うとおりになっているな」、と思ったりしています。

                    (写真、yama-p)(きなこ)

 

♪写真をクリックすると、「きみといた日々」をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=Vw3PnWzVSlE

 

 

 

 

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コメント: 5
  • #1

    N (日曜日, 16 9月 2018 23:12)

    読んでいるうちにお話の内容に引き込まれていきました。
    私の場合、料理と歌は苦手ですが、陶芸は好きですから何だか登場人物が自分とオーバーラップしてしまいます。現在が心配です。

  • #2

    きなこ (金曜日, 21 9月 2018 15:20)

    Nさん、こんにちは♪
    すっかり返信が遅くなって、すみません。
    Nさんは、陶芸もされるんですか?!
    驚いています。
    引き出しの多い人ですねえ。
    それで思い出したことがありました。
    母も、わたしが子供の頃、陶芸を習いに行っていたことがありました。
    大きな壷を焼いて、花入れにしていましたが、あの壷は今、どこにいったのでしょうね。
    「お父さん、ぼくのあの麦藁帽子、どこにいったのでしょうね?」という映画のコピーも、そういえば、ありましたね。
    今度、よかったら、Nさんの陶芸作品の写真を見せてください。

  • #3

    しゅうじ (土曜日, 22 9月 2018 21:56)

    こんばんは。今日はライブだったんですね。
    鷹野橋の地名が出てきたので、見られたことがあるかもしれませんが、送って見たい写真がありました。どこにどうやって送ればよいでしょうか。
    また、お時間ある時にお願いします。

  • #4

    元気 (土曜日, 29 9月 2018 09:49)

    しゅうじさま コメントありがとうございます。先日のライブでは私も気落ちよく歌いました。最近声のリハビリにも通っています。声が気持ちよく出る時もあるのですが、まったく出ないときもあります。まあ、少しでも改善すれば良しとしましょう。

  • #5

    しゅうじ (土曜日, 29 9月 2018 21:20)

    元気さん、今日も一日ご苦労様でした。発生も運動ですもんね。なんとなくですが理解できます。
    今朝は私も目が覚めたら、関節がいたるところ少し痛くて、起き辛かったです。おそらく寒さのせいだと思います。起きて机でいろいろやっていると今度は膝から下の痒みが出始め、どちらも毎年冬の風物詩と化してる症状ですけど、今年は秋から発症?年のせいかなぁと運動せねばと思ったんですが、足裏マッサージするだけに終わってしまいました。
    明日から第九の練習開始と思っていたんですが、どうも台風で外には一歩も出れそうもない感じでしょうか。自主トレがんばります。