父のゆで卵

父も母も周防大島の生まれです。

父の父、わたしの祖父は学校の先生だったのですが、島でみかんや田んぼも作っていて、牛も飼っていて、おまけに煙草のみでお酒好きの祖父は、お酒を作り、屋根の上で煙草まで栽培していたそうで、父も小さい頃からずいぶんそれを手伝わされたそうです。

そんなわけで、父も小学校の先生ではあったのですが、田舎の人だなあ、と感じることがよくあります。

わたしに初めての子供が生まれた朝もそうでした。

 

出産の知らせに、二人で駆けつけてくれたのですが、帰り際、父がこっそりと、ビニール袋をわたしの枕元に置いて、「滋養をつけえよ」とつぶやいて帰りました。

なにかと思えば、ゆで卵。

それも、大量のゆで卵がビニール袋の中に入っていました。

10個はあったと思います。

母に言えば、きっと止められるでしょうから、きっと父は、朝早く卵をゆでて、内緒で持ってきたのでしょう。

戦時中に育った父にとって、卵は「滋養をつける」ための何よりの貴重品だったのでしょう。

もちろん、産院でも食事は出ていたのですが、出産の知らせを聞いた父が、ゆで卵をゆでてくれている様子を想像したらとても捨てられなくて、冷蔵庫に入れて、毎食ごとに何個かづつ食べました。

 

今朝、よく晴れた五月の空を見ながら、ふと思いだした思い出です。

                         (絵、安本洋子さん)(きなこ)

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