夏、終わる。

昨日、元気さんも書いていましたが、山口県立光高校放送部さんの夏が終わりました。

ほんとうにお疲れさまでした。

 

「NHK放送コンテストに出品するテレビドキュメンタリーを制作するので、取材させてもらえませんか」、とメールをいただいたのは、昨年のこと。

それから数度、顧問の先生と生徒さんで我が家に取材に来られたり、わたしたちのいくつかのライブ先にも機材を持って来てくださいました。

立派なカメラに驚いて、「これ、学校で買ってもらってるんですか?」と、下世話な質問をすれば、顧問の先生いわく、

「いいえ、これはわたしの私物です。わたしが転勤になったら、一緒に転勤します」

と、笑いながら答えられました。

ちなみにカメラは、うん十万円だそうです!

 

取材期間を通して、高校生たちとふれあえたのはうれしいことでしたが、強く心打たれたことのひとつに、顧問の先生の熱意がありました。

高校時代は多感な時期だけれど、学校で過ごす時間が長くて、世界が狭くなりがちな時期でもあります。

「番組制作」という望遠鏡を通して、さまざまな人の人生を垣間見ることは、高校生たちにとって、すばらしい財産だなあと感じていました。

そして、ご自分の時間と熱意を費やして、それを生徒たちにプレゼントしていらっしゃる顧問の先生に出会えたことは、高校生たちにとって、ほんとうにラッキーだな、とも思いました。

 

わたしたちも、「いい夏」を見せていただきました。

ありがとうございました。

取材に協力してくれたしゅうじさん、yama-pにも、心から感謝申し上げます。

                            (写真、yama-p)(きなこ)

    ♪写真をクリックすると、エールをお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=xvpbhhVY9Po

 

 

 

 

 

 

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コメント: 7
  • #1

    しゅうじ (月曜日, 31 7月 2017 06:45)

    おはようございます。光高校放送部さん、お疲れ様でしたね。ニュースで見ると、コンテストには全国の1677校が参加し、このうちテレビドキュメント部門には573作品の応募があった、だそうで作品つくりに携わった人は一体何人にのぼるのか!そのうちの一人と思うとまた感動です。私も良い経験に感謝であります。

  • #2

    しゅうじ (月曜日, 31 7月 2017 20:37)

    戦いの修羅場は意外と機械的に淡々と進んでいったのですね。では、おやすみなさませ。

  • #3

    きなこ (月曜日, 31 7月 2017 21:04)

    しゅうじさん、こんばんは♪
    そうですね、意外とそういうものなんでしょうかね。
    きっと生徒さんたちにとって、顧問の先生がくださった思いは、年をとってさらに、ありがたかったなあ、と思うときが来るのかもしれませんね。
    ところで、田中さんのご講演のアップ、ありがとうございました。
    一言一言が、重かったです。患者会で、生きることに誰よりも前向きであると感じられる田中さんの「みんなと一緒に死ねばよかった」の言葉には、胸が締め付けられました。
    しゅうじさんの固定したカメラに、しゅうじさんの思いも感じました。
    ありがとうございました。

  • #4

    しゅうじ (火曜日, 01 8月 2017 00:05)

    田中さんの話を聞くことは田中さんの癒やしにもなるんですよね。私の父は私に原爆の話をした(できた)のはほんの数回でしたが、死ねばよかったとわんわん狂ったように泣いたことがありました。でもそんなふうに話をしてくれても料理の味と同じ味わってみないと聞いてもほんとの味なんて分からないなんて言われたら、コレまた地獄のどん底に突き落とされたようなもんですね。でも話す、不自由な手、不自由な口、不自由なすべてで。これ、後世の人たちにすこしでもよりよく、より人間らしくまっとうに生きて欲しいと心底生きてほしいと田中さんの魂が自身をゆさぶるからでしょうね。田中さんは強い方ですね。

  • #5

    きなこ (火曜日, 01 8月 2017 01:10)

    田中さんのお話を伺うことが、田中さんの癒しになる。
    そうなんですね。この言葉は、しゅうじさんがしゅうじさんのお父さんのお言葉を直接聴かれてきたからこそ感じとることのできる思いだなあ、と思いながら、深く受け止めました。
    わたしは、被爆者を身内に持たないものですが、でも、市内に出て、原爆ドームを目にするたびに、わたしたちが原爆の悲劇を繰り返さないために残されたこのドームを見て、被爆者の方は被爆された上に、さらに何度でも心を痛められているのだろうと、申し訳なく感じます。
    「生きる」、という田中さんの短歌を歌詞にさせていただいた歌を歌わせていただくとき、生きる、生きる、生きる、生きる、のリフレインを歌うたびに、田中さんの毅然とした生き方を思っています。

  • #6

    しゅうじ (火曜日, 01 8月 2017 04:38)

    田中さん、やはり被爆者の方とご結婚されたとありました。私の場合、父が被爆者ですが、義母も被爆者です。私の場合は恋におちた女性の母上様がたまたまそうで最初から制約があったわけではないのですが。その義母方の親戚から戦争・原爆の話をしてもらったことや平和記念公園の中にある国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で語りべの方の話をなんどか聞いた経緯からです、癒しになるんだなという気持ちを持ちはじめたのは。
    もし、ドームを見て申し訳なく感じてしまうのであれば、田中さんの手書きにもありましたが核兵器禁止条約に何らかの手段で反対をするとか具体的な行動をおこされたら良いと思いますよ。
    生きる、生きる、生きる、生きる、のリフレインは生きるのテンポが早くなりますよね。そこに曲の命をのせるためにこそ、全体のテンポを落とすのがよいのではとhiroshimapdにコメントさせていただきました。

  • #7

    きなこ (火曜日, 01 8月 2017 09:16)

    しゅうじさん
    おはようございます。
    そうなんですね。
    原爆という話の重たさの中で「恋に落ちた女性」という言葉がルビーみたいに輝いていて、その部分を何度か繰り返して読んでしまいました。
    繰り返しながら、蜘蛛の糸が思い浮かんだりもして、弾むような気持ちもしました。
    この間書いてくださったお父様の話もそうですが、このたびのしゅうじさんの話も、ずっと忘れないでいたいと思っています。もちろん田中さんのお話もです。田中さんの了解をいただいて、昨夜、元気さんがしゅうじさんが撮影してくださった田中さんのご講演を、元気さんがこのホームページにもアップさせていただいたようです。
    しゅうじさん、重ねてありがとうございます。
    「生きる」のテンポのアドバイスも、大切に聴いてくださっているんだなあとありがたかったです。ありがとうございました。