マゴチ釣ったどー!!

元気

 

話は、この写真の魚を釣り上げた4日前から始まる。

まずは序章

かの有名な江田島でのライブのため、車で眼下に広島湾を見下ろす高速道路を通過しているときだった。今日はいつも以上に水面が高い。後日テレビを見ていると宮島の神殿が海水に浸かったとの放送。これは毎年見られる現象で夏に太陽から蓄積された熱エネルギーが時間遅れをもって、海水温上昇及びそれに伴う海水膨張をもたらし、新月による大潮の中でこの時期の海水面が一年を通じ最も高くなることに起因するもの。

江田島への道すがら見えてくる海の風景は、いたるところに海面の変化に伴う水流による波紋が生じており、さぞかし水面下では魚たちの命を鼓舞する原動力となっているであろうことが感じ取れた。この時点で、今も釣り師と自称しているハートに火が付いた。江田島への往路、心の中で決めた。今日の帰路、大型釣具店で釣り具と餌を購入し、この時期、広島湾に入ってくるハマチを狙おう。決行は翌朝。

しかし、今日はなんだか体調がおかしい、熱っぽく、しかもふらふらしてうまく歩けない。でもやはり釣り師の血が騒ぐ状況が止むことはなかった。当日一緒にコラボし、往路復路ともに同乗いただいた平成の絵師さんにはご迷惑をおかけすることになるのは十分承知の上で、帰路いおいて往路で決めていた、釣具店に駆け寄り仕掛けと餌を購入した。

ちなみにエサは、生き餌釣りに必須のオキアミおよびできればシーズンインしたカレイも狙い、もちろんハマチ釣りのための生き餌となるサヨリを現地調達するための餌として共用できるゴカイと決めた。

 

しかしというか予想通りこの思いに急ブレーキが掛かった。帰宅後熱を測定したところ38℃だったのだ。

これからが奇跡にも近い物語の本章である。

 

購入してきたゴカイは、通常温度で放置しておくのが良いかと思ったが10月末とはいえ、25℃前後の気温が続く中、冷蔵庫の中に入れておくことにし体調の回復を待った。しかし熱はさらに39度まで上がり症状は全く回復しなかった。

病院に行ってみよう。月曜日の夕刻、かかりつけ医に診てもらった。インフルエンザ宣言を覚悟していたが、そうではなかった。とりあえず一安心ではあるが到底釣りの許可が出るわけはなかった。

翌火曜日は、もともと予定されていた義父母と親戚夫妻の手助けによる朽ちたウッドデッキの修復の日だった。私にとって心情的に高評価を受けるチャンス到来である。作業スタート時点の朝9時の時点ではまだ熱があったため何もせず臥していたが、1030分頃に熱が収まったためというより正確にはパーキンソンの薬が効のを待って、私も戦列に参加した。これは効果敵面で、翌朝体長が良ければという条件付きで釣行許可をゲットすることができた。

 当日は終日家にいた息子にお願いし、釣り場までの車の送迎を頼んだ。朝7時過ぎはやる気持ちを抑えて釣り場に到着。

 しかしながらショッキングな事実に直面した。餌のゴカイ君はすでに瀕死の状態でありすでに完全に伸び切ったものが多く、動いているものでも動物のナマケモノさながらの超スローな動きで、カレイ釣りとしての餌の機能ならびにハマチ釣りの生き餌となるサヨリ釣りの餌としての機能はとてもじゃないが果たせないことは容易に想定できた。冷蔵庫というゴカイにとっては極寒の環境の中で放置されたことが災いしたのだろう。何というミステイク、餌の新規購入も考えたが歩きでは遠過ぎ、車は既に家に戻っている。

 これで釣れれば儲けもの頭を切り替えることとし、投げ釣りおよびサヨリ仕掛けで何か釣れるのをひたすら待った。当日は午後リハビリが控えていたため、午前一本勝負であったが、最後のゴカイを使用するまで、当たりは一回もなし。勝負の舞台にさえ立つことはできなかった。しかし、am1030分、餌がなくなる直前に投げ釣り仕掛けに手のひらサイズのギザミが食ってきた。これは生き餌になると直感し、というかこの選択肢しかなかったのだが、すぐにエサとしてギザミをセットし、海に投入して当たりを待った。

 

 思い起こせばもう7年は経っただろうか今回の釣り場と目と鼻の先にある釣り場で67cmのハマチを釣り上げた。強烈な当たり、と引き、釣り上げたときの感激は未だに忘れられない。その幻影を追って毎年秋には大物を求めて釣行している。

 

 待つこと5分だっただろうか長い間待ち焦がれた当たりがついに来た、ドラッグを緩めて今から始まる魚との勝負に瞬時の間にそなえ、竿を持ち上げた。一気に沖へと走る。魚との勝負が始まった

 

 でもなんか違う。ハマチほどの強烈な引きがない。もしかして巨大なエソか。でも間違いなく強烈な引きである。5回以上の締め込みに耐え、水面に見えた獲物を確認。 ヨシっ大物のマゴチだ。たも網で慎重にすくいとろうかとも思ったが、アドレナリンが全放出状態で、そのままごぼう抜きすることを決断。一回目失敗、2回目に思いっきり引っこ抜いた。ワニを彷彿させるような巨大なマゴチが地面に横たわった。

胸の高鳴りは最高潮を迎えていた。

おしまい。

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コメント: 20
  • #1

    スミピー (金曜日, 01 11月 2019 14:16)

    げんきなこさん、こんにちは!
    元気さん!やりましたね!
    マゴチ、早速ネットで調べてみましたがほんとワニのような何だかいかつい、でもどこか憎めない姿のお魚ですね。
    釣りがほんとにお好きなんだなということが物凄い臨場感とともに伝わってくる文章(途中何というミステイクというところでツボりクスッ 笑)を読みながらぐんぐん惹き(引き)つけられていき僕も元気さんに見事釣られてしまいました(笑)
    実は偶然にも?元気さんがお風邪をひかれているちょうど同時期に僕も風邪をひいて病院に行ったりしてたんですよ。
    いやー、それにしても海水温上昇の奇跡から始まりウッドデッキ作業で高評価作戦成功、前日失敗かと思われたゴカイ→ギザミからの生き餌が的中、そして巨大マゴチGET!
    ほんといくつもの奇跡が重なりさらにそれに加えて元気さんの長年の感も冴えわたった結果でしたね。
    お写真の元気さんのお顔が高揚感のせいか、はたまたお熱のせいでしょうか、赤く紅潮していらっしゃるのも印象的でした。
    いやいや、ほんとよかった!

  • #2

    元気 (金曜日, 01 11月 2019 17:16)

    スミピーさん どうもありがとう。災害について皆が喪に付し、改善の方策を考えねばならない状況の中、不謹慎であるとはおもいつつ、うれしい気持ちがはじけて(はじけまくって)しましました。
    顔が赤いのは、日に焼けたこと、紅葉していたこと、微熱(36.9℃)が残っていたことなどによるものと思われます。
    心の中からの叫びです。マゴチ釣ったどー!!!

  • #3

    しゅうじ (土曜日, 02 11月 2019 08:59)

    ホント、やりましたね!
    どんな時でもグッと気持ちを前に引き出してくれる存在は有難いですね。
    「最高潮」、「紅葉」、「微熱」、「時間遅れ」、、、なぜだかハマりました。

  • #4

    元気 (土曜日, 02 11月 2019 09:43)

    修二さん」お恥ずかしい限りです。誤字だらけですね。でもこのままにしておきましょう。

  • #5

    しゅうじ (日曜日, 03 11月 2019 06:52)

    元気さん、「興奮は最高潮に達した」、「顔に紅葉を散らす」、「松本隆『微熱少年』」、どれも間違ってないと思いますけど。
    「時間遅れ」はスミピーさんの津波の動画を観て思うことがあったのです。地球は時に癇癪を起こす。というとさも地球が勝手に起こしているように聞こえるが、常にそうかというとそうではない。そこの住人の作用にただ反作用してるだけのことあってある。キャッチボールしているだけ。ともあれ住人は癇癪によって被害を被る。逃げる間が一瞬もないこともあるが、じわりじわりじわりと覆いかぶさってくることもある。住人はじわりじわりじわりの間に、いや本当は作用与えている時に何ができるかで、、、てなことを修二ではないしゅうじは思うておりました 笑。
    今日も佳い一日をお過ごしくださいませ。

  • #6

    元気 (日曜日, 03 11月 2019 09:15)

    しゅうじさん。フォローどうもありがとう。
    時間遅れについては共感するところ大です。
    いい休日を。。

  • #7

    shuji (日曜日, 03 11月 2019 11:48)

    I'm wondering why I was asked to come to the concert even though I was treated like this. I’m sure I’ve done it. lol

  • #8

    スミピー (日曜日, 03 11月 2019 17:21)

    元気さん、しゅうじさん、こんにちは!
    「時間遅れ」については僕はただただショックを受けただけでそこまで思いが巡らなかったのでハッとさせられました。
    確かに人間の備えや危険を感じる気持ちがまだまだ緩いともとれますよね。
    予め備えてあった堤防は何の役にも立っていませんでしたし、津波が来るというのにまだ車で走ってる人もいましたからね。後から来た人間が我が物顔でどんどん自然を壊していき、その逆鱗に触れやがて訪れる脅威に対抗できない…こんな歴史が繰り返されるんでしょうかね?
    って的外れでしたら失礼しました。
    最後の英文、意味深ですね…

  • #9

    元気 (日曜日, 03 11月 2019 22:04)

    いつも思うことがあります。地球の空気は薄皮一枚。宇宙空間から地球を写した写真は息をのむほど美しいけれど、同時に薄いとても薄い空気の層がとり巻いていることもよくわかります。
    ところで我々人間は、二次元の距離に対する感覚と三次元で加わる高さ方向に対する距離の感覚がまるで違いますよね。
    例えば3㎞という距離。徒歩で歩き回れる範囲です。一方、高さ方向の3lmは物理的には同じ距離であるとしても、既に富士山の高度にも近く、人間にとってすでに危険性を含んだものです。地球温暖化については我々人間だけでなく生命を守る空気層はこのように薄皮一枚であり、二酸化炭素の増加に対する地球温暖化の感度は高いということが容易に想定できること。

    そして、スミピーさん、Shujiさん(しゅうじさん)、お二人が言われる通り、地震や地球温暖化といったあたかも人間にとってランダムに発生するように見えるものであったとしても、一度発生した事象に対する対応(自然とのコミュニケーション)はas soon as quicklyが求められます。これを怠ると悲劇の再現となりますし、命をつなぐものしての義務のように感じます。

  • #10

    元気 (日曜日, 03 11月 2019 22:20)

    以下修正・追加します。

    3lm→3km

    地震や地球温暖化といったあたかも人間にとってランダムに発生するように見えるもの

    地震や洪水といったあたかも人間にとってランダムに発生するように見えるもの
    であったとしても、その要因となる力の蓄積や地球温暖化は連続して作用を及ぼしている分けであり、自然の猛威は反作用としていつ必ず発生する。しかも人間にとって壊滅的なパワーを伴って。
    従って。一度発生した事象に対する対応はas soon as quickly(できるかぎり迅速に)が求められる。

  • #11

    スミピー (月曜日, 04 11月 2019 01:13)

    元気さん、
    僕は学がないもので何度も読ませていただいてやっと少し理解したレベルですが非常に興味深く拝見させていただきました。
    確かに首里城の火災にしても、まだ原因はわかってはいませんが何もないところから火は立たないわけだからなんらかの原因やそれに対する危機管理意識が足りなかったのかもしれませんし、本来沖縄県民の心情を察すればそこばかり掘り下げるのは酷かもしれませんが、そこはやはりこれからのことを考えても原因究明が待たれるところですね。
    地震やそれに伴う津波、火災、台風や大雨洪水などなど、人類は地球に暮らし続ける以上、また原因が自分たちにある以上、いろんな意味でas soon as quickly(できるかぎり迅速に)己を知ることが大事なのかもしれませんね。

  • #12

    元気 (月曜日, 04 11月 2019 05:48)

    スミピーさん 私は少し勘違いしてました。作用は人類によるもので反作用は人類が採った措置に対して、さらにそれを凌駕して襲ってくる破壊力といったものでしょうか。私の思考はピントがずれてたところがありましたね。
    本件はとても奥が深いし、でもとても大切なことですよね。私も考え続けたいと思います。

  • #13

    元気 (月曜日, 04 11月 2019 06:26)

    Shujiさん、英文読み直しました。私はオフの時間はキーが打ちづらいこと、また昨日は東広島でのコンサートを控えていたことも相まってまずは返事をと思って短文を書いた次第です。
    コンサートの動画についてはとても感謝しています。本当にありがとう。

  • #14

    スミピー (月曜日, 04 11月 2019 09:32)

    元気さん、しゅうじさん、おはようございます。
    あの英文は元気さんとShujiさんにしかわからないやりとりだったんですね。
    コメントの中で意味深と触れてしまってすみませんでした。
    今日も良い一日を。きなこさんも!

  • #15

    しゅうじ (火曜日, 31 12月 2019 10:44)

    気遣いの神様と勝手に呼んでますがきなこさん、昨日は「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」のオンラインチケットの申し込み確認のメールをチェックした時にもう一つメールが届いていることに気がつきました。

    映画の予告が始まる前に、オードリーヘプバーンの唄うムーンリバーが流れていました。どうも生誕90周年でローマの休日を正月に上映するらしかったです。

    「この世界」の映画の主人公は浦野すずといいますが、ウラン 錫、のことです。原作者がそう名付けたのです。ウラン=不安定、 錫=安定です。説明はしません。原作者は私も通った建物で勉強してましたが学校に通うのは途中で辞めてしまいました。その建物には昭和20年以降ウランが染み込んでいます。人類が生きてきた40数億年をこれからかけてもその放射能はたったの半分にしかなりません。原作者は物の理を勉強していましたがおおよそ悟ったのでしょう何が制御可能で制御不可能か。

    今回の「この世界」は(さらにいくつもの)と入っていますが、前作より30分少し長尺になって160分強、でもようやく原作の「この世界の片隅に」に近づいた形で原作とは違います、前作より原作から遠ざかったところもあります。公開は12月20日でしたが、私は11月の広国映画祭でほぼ完成間近を観ています、この間にも修正が入っています。映画監督の執念深さはげんきなこにも似ていて感服します。

    あああと最近の出来事といえばまた第九を唄いました。あれは歓喜の歌というよりも反省の歌と確信してきております。要所要所で、nicht、nein、nich、英語のno、not、否定です、違う、ダメだ、納得できない、と歌わされるのです。作曲家自身が最後にそう振り返り、でもそのことにより自身が完結した。今誰に一番会いたいかと問われたら、私はベートーベンと応えます。

    げんきさん、きなこさん、げんきなこつながりのみなさま、どうか佳い年をお迎えくださいませ。

  • #16

    きなこ (火曜日, 31 12月 2019 22:56)

    しゅうじさん、コメントをありがとうございました。
    しゅうじさんは、ほんとうに「この世界の片隅に」を愛しておられますね。
    この世界の片隅に、について見聞きすると、ぽわん、としゅうじさんを連想します。
    今回のしゅうじさんのコメントも、深い!
    ベートーベンについては、私も知らないなりに思いがいろいろあるのですが、書きはじめると年が明けそうなので(笑)、それはまた今度に。
    この世界の片隅に話を戻しますが、それつながりで、熊野のお祭りで、「熊野の道は世界に通ず」を一人さみしく?踊っていたとき、どこからか現れて、鏡のように私の踊りにピッタリ合わせて踊ってくれた小さなかわいい女の子が「すずちゃん」という名前だったことも覚えています。
    元気さんがよく言う「一期一会のご縁」で、熊野のすずちゃんにあの時以来会ったことはないし、今後も会うことはないかもしれないけれど、あのときすずちゃんからもらった嬉しい気持ちはすばらしいもので、思い出すたびに幸せな気持ちになって、これからも忘れることはないでしょう。
    それに、あれからすずちゃんには会ってないけれど、しゅうじさんが撮影してくれた動画のおかげで、あのときのすずちゃんのかわいい姿に何度でも会うことができます。そのことにもいつも感謝しています。ありがとうございます!
    最近は、ブロブをずっとお休みしていましたが、このコメントが今年最後の書きこみになるように思います。
    しゅうじさん、皆さん、2019年もほんとうにありがとうございました。
    あと1時間で、2020年です。
    来年もみんな元気で、変わらずやさしくこの世界にいられますように。
    どうぞよい年をおむかえください♪

  • #17

    スミピー (水曜日, 01 1月 2020 01:12)

    げんきなこさん、しゅうじさん、げんきなこさんにお関わりの全ての皆さま、明けましておめでとうございます!
    僕の2020年はげんきなこブログのこちらのしゅうじさんときなこさんとのやりとりを拝見させていただきながらの年明けとなりました。
    しゅうじさんの「この世界の片隅に」や第九への想いの巡らせ方と言うか、本当に思慮深くていらっしゃり、物事を理解されてのちさらにそこから踏み込んだお考えまで巡らせておられ、いつもコメント熟読してしまいます。
    僕は「ひろしま」という映画を録画しているのですがまだ観ていません。制作ドキュメントが再放送されてましたもので興味を持ったのですが、気がついたら日々の生活に二度と繰り返させてはならない出来事があるという事実を録画予約ボタン一つ押すのと瞬時にまた日常へとすり替えてしまっていました。と、このコメントを書きながらもまたもう違う事を考えている自分もいます。
    そんな僕の願う気持ちというのはほんと薄っぺらい薄くて軽薄さが透けて見えるようなものでして…
    だからほんとしゅうじさんのコメントにはいつも色んなことを考えさせられます。
    そしてきなこさんの感受性の豊かさもまた負けてはいません。きなこさんの「一期一会」のお相手、熊野のすずちゃんも良い年を迎えられてるといいですね。そしてその子が育む日々の先や未来の世界がどうか明るいものでありますように…と思いながらまた数時間経ったらそのすずちゃんの将来を想うことも忘れてるんだろうな…
    あー、なんだかまたまとまりのない文章になってしまいましたが…
    どうかたちまちの2020年が皆さまお一人お一人にとっての素敵な一年となりますように♪
    HAPPY NEW YEAR!!

  • #18

    きなこ (水曜日, 01 1月 2020 23:50)

    すみぴーさん、あけましておめでとうございます。
    げんきなこブログで、2020年の年明けを迎えてくださったとのこと!かなり感激しました。ありがとうございました。
    すみぴーさんが薄っぺらいだなんて、全然そんなことはないですが、そう思う感性はとてもまっとうで、でもまっとうだとしんどいだろうなあ、と感じました。わたしたちは、「そんなに悪い人間じゃない」と妄信することで、自分の心を平穏に毎日を過ごせていますよね。
    私なんて、まともに自分のことを考えたら、自己嫌悪だらけで、とても平常心では生きられないと思います。
    道に落ちたごみを拾ったりすることも、私の場合、そんな自己嫌悪をちょっと解消したい、という深層心理があるのかも、と今、思いました。
    さて、ということで、今日は1月1日です。
    大切な人たちとあたたかく過ごせる一年になりますように、と願っています。
    スミピーさんも、今年もよろしくお願いいたします。

  • #19

    しゅうじ (土曜日, 04 1月 2020 15:01)

    皆さま、明けましておめでとうございます。
    きなこさん、スミピーさん、コメントをどうもありがとうございました。お二人の言葉とてもしみ入ります。ああ有り難いなあと思って読みました。
    正月三が日は実家、親戚、神社、ほかルーティーンとなっている所、知り合いなどを回りまして、昨日などは私のホームベース、ズムスタ、平和公園も回りました。
    平和記念資料館は本館改装後訪れていなかったのでそちらも。最近は海外から訪れる方が多いので、スケールの大きなといいますか、そのような展示を期待していたのですが、大きな写真を使ったり見せ方を工夫されていて、改装で良くなったところが多くあり、うれしかったです。
    まわらせてもらい思いますに、やはり「明けましておめでとうございます」なのだなと実感しました。一年、一月、一週間、一日を同じように繰り返す事は奇跡です。きなこさんもスミピーさんもコメント中に同じ意味合いのことを書かれていたと思いますが、ずうっと同じように廻り続けることが如何に大変なことか、大事なことか、できれば私のエネルギーの大半はこの大変なことを実現するために必要な問題解決に費やしたい、いつもそう思っているつもりですが、なお一層その気持ちを強くでき、佳き正月三が日でした。
    映画「ひろしま」は子供の通う学校でも上映があリました。見て楽しくはなりませんが、「ずうっと同じように廻り続ける」ためには、見て、知ることが必要な事実があるのであろうと思います。資料館を訪れた方々も、その直後は黙って、とても疲れた表情の方が多いですが、その陰の経験で、何かに気づき、学ばれた方は、その因果できっと陽の出来事が待っていると信じております。

    本年も皆様方に佳きことがより多くありますように。

  • #20

    きなこ (日曜日, 05 1月 2020 00:04)

    あけましておめでとうございます。
    しゅうじさん、とてもいいお正月をお過ごしだったようで、読ませていただきながら、あかるい気持ちになりました。
    ほんとうに今年のお正月はお天気がよくて、あたたかくて、おそらく私の人生史上最高にあたたかいお正月ではなかったかと思いますが、このあたたかさと日差しは空からもらったお年玉のようにうれしかったですね。
    例年のことですが、我が家の年末年始は、元気さんの母を迎えてお正月を過ごします。
    料理上手な義母に料理を作ってもらい、みんなでいただくのがいつものパターンです。義母の料理ばかりがほめられるので、わたしを気遣ってくれた義母が「このすし飯は、すごく味がいいねえ。どうやって味をつけたんかね?」とたずねてくれて「すし酢です」と答える恥ずかしい笑い話もありました。
    でも、それもしゅうじさんの書いてくれた通り、「ずうっと同じように廻り続け」てほしい日常の一つだと感じています。
    しゅうじさんの書かれていた「「ずうっと同じように廻り続ける」ためには、見て、知ることが必要な事実があるのであろうと思います。」の一文も、とても心打たれました。
    その通りですね。それを忘れないようにしないといけませんね。
    新しい年の初めに、嬉しい、そして大切なことに気づかせてくれるコメントをありがとうございました。
    しゅうじさん、皆さん、今年もよろしくお願いいたします。