「物」は意外とあなどれません。
なんてことないものだった「物」が、その後日々思いをもたらす「物」になったり、捨てられない「物」になったり、そんなことがありますよね。

よその人にはただの「物」。
でも自分にはその後ろに思い出の風景が見える「物」。
そんな「物」が誰にでもあるのでしょう。
私にも幾つかそのような「物」があります。

我が家の食器棚には祖母が使っていた器がいくつか並んでいます。
祖父母には子供がなく、私の父母が養子に入り、あとを継ぎました。

島で呉服屋をしていた祖父母は、孫の私にはとても優しかったけれど、自分たちの流儀を通す厳しい人でもあり、父母の前にも二組の夫婦が養子に入り、縁組み解消したと聞いています。
料理上手だった祖母は、お向かいの子を連れてきて魚の身をむしって食べさせるほど子供好きだったのに自分たちには子供が出来ませんでした。
子供のいない分、人を呼んで振る舞いをしたり、旅をしたりして、夫婦の生活を楽しんだようです。
今思い出すと仲の良い祖父母でした。
蓄音機やたくさんのレコード、扇子や三味線などとともに、幾揃えもの器を残して、一年違いで逝きました。

食器洗浄機にかからない、普段使いには向かない器の幾つかが、今、祖母の食器棚から私の食器棚に引っ越して並んでいます。
この器には、いつも酢の物がよそってあったな。
このお茶碗は、祖母と母が使っていたな。

いちいち言わないけれど、器を取りだしよそうたびに、かすかに、確かに、思い出は立ち上がって、チクリと心を、甘く痛くするのです。

 

今年もお盆がやってきました。

               (写真、しゅうじさん)(きなこ)