オシロイバナ

小学生の頃、家のすぐ前が、学校の正門でした。

わたしの家より小学校に近いところに家はなかったので、学校で一番、私は(正確に言えば、わたしと弟は)学校から近いところに住んでいる小学生でした。

友達がうらやましいなあ、と思うことはいろいろあったように思いますが、「学校から家が近くないこと」も、そのひとつでした。

 

学校からの帰り道、何人かで連れ立って、たのしいおしゃべりが始まったとたん、一人、みんなと別れなければならないつまらない気持ちを、今でも覚えています。

 

家の前には、ほんの20歩ほどの小道があり、そこを通って家に帰っていました。

みんなと別れる場所、その小道の入り口には、腰掛けるのにちょうどいい丸い石と、その横にオシロイバナが一群れありました。

濃いピンクの花が咲きはじめると、しべを抜いて、笛にして鳴らしたり、黒い種を割って、コロンと白い粉を出してつぶして顔に塗ってみたり。

いつも、バイバイ、と別れる友達たちが、オシロイバナの咲く時期には、なんとなく立ち止まって、オシロイバナで遊び始めることがありました。

だから、オシロイバナの咲く季節が、私は好きでした。

 

今でもオシロイバナを見ると、夕暮れに帰る友人たちの赤いランドセルの後ろ姿が浮かびます。

                          (写真、ジュリエットさん)(きなこ)

♪写真をクリックすると、「雨はともだち」をお聴きいただけます。

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コメント: 2
  • #1

    N (金曜日, 07 9月 2018 01:06)

    今もあるのですか?そのときの家、学校

  • #2

    きなこ (金曜日, 07 9月 2018 15:37)

    Nさん、こんにちは♪
    答えは、半分「はい」で、半分「いいえ」です。
    学校は今もあり、家はもうありません。
    わたしの借家は,毛利の殿様の米蔵の管理人のおうちだったのですよ!
    すごく古い、雨漏りのする家でした。
    その頃はわかりませんでしたが、北前船がお米を運んでいっていたのでしょう。
    今日、中国新聞の島根県版に、浜田市が北前船の寄港地として観光整備する、という記事が載っていて、そのあたりの写真が掲載されていましたが、その湾の雰囲気が、私の家の前の湾ととてもよく似ていて、ああ、やっぱりね、と思っていたところでした♪