心のひといろ

一年に何度かしか連絡のない友人から、メールが届きました。

 

2週間ほど前、目黒川のお花見に行ってきました。

あなたの「さくら降る」のとおりの桜でした。

 

そのようなことを書いてくれたあと、メールは、

「思いもかけず能楽堂で、『紅葉狩』という演目の鬼女!のお役を謡わせていただけることになりました」

と、続いていました。

彼女は普通の主婦ですが、もう何年前になるでしょう、ご縁があって、「謡」を習いはじめたと聞きました。

でも、能楽堂だなんて、相当一生懸命練習されていたのだなあ、と誠実な彼女の人柄を思いながらメールの続きを読みました。

 

「わたしは、『紅葉狩』という演目の鬼女!のお役を謡わせていただきます。

生真面目な礼儀正しい武将を惑わすものの、結局は切り殺されるという・・・!!

現実の自分にない役どころを表現する機会に恵まれて、うろたえながらも、がんばりたいと思っています。」

ご主人様が転勤族で、当時小学生のお子さんを育てながら、数年ごとに全国各地を点々としていた専業主婦の彼女に出会ったのは、わたしが1年だけ通っていた広島の紙屋町そごうのカルチャーセンターでした。

広島に引っ越してきて、思いがけず立派な借家に住むことになって、家を傷めないように気を遣ってたいへん。

洋服はあまり買わないの。気に入った型紙で、友達に何枚もスカートを縫ってもらっているの。

長い髪に、清楚なロングスカート。現実的なのに、女学生の感性。

年齢不詳に美しい彼女から、そんな話を聞いたことを覚えています。

堅実な主婦として生きてきた彼女にとって、「生真面目で礼儀正しい男性を惑わす役」は、たしかに「現実の自分にない役どころ」でしょう。

 

でも、もしかしたら、わたしたちが人生で「実際にそうすること」と「心に持ちあわせていること」は、少し違うのかもしれません。

きっとどんな人にも、意識無意識はあるにせよ、あらゆる感情は心にあって、その蓋を開けることを自分に許すか許すないか、という違いなのかな、とも思います。
そう思ったら、舞台という空間でだけ解き放たれ「謡」という形でだけ表現を許される彼女の心の一色がどのようなものか、拝見したいなあと思いました。

                        (写真、yama-p)(きなこ)

 

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