日本人

わたしたちは、何でもかんでも希望通りにできるわけではありません。

どんなにお金を持っている人だって、どんなにきれいな人だって・・・、きっと、これまでに生まれた気が遠くなるほどの数の人はみんな、人生のある期間を、やりばのない思いに乱れながら、それを心に折りたたんで、この世の時間を過ごし、そして旅立っていったのでしょう。

 

私が幼い頃、大人というものはほとんど泣かないものでした。

父が泣いたとき。

母が泣いたとき。

祖母が泣いたとき。

そのときを、今でも覚えているのは、それだけそれが、子供の目に珍しいことだったからかもしれません。

 

父の涙を初めて見たのは、父の父、私の祖父の亡くなった日でした。

運動会の朝でした。

父が、真っ赤な目をして、「かなしいのう」とだけ言った一言が、今でも忘れられません。

祖母の目がうるんでいるのを見たのは、癌で先立った祖母の息子を仏壇に拝んでいるときでした。

「おばあちゃんは死なない人なんじゃないか」、わたしたち孫たちがそう信じていた気丈で楽しかった祖母が、あの頃から、「おかしい」と感じる瞬間が増えました。

元気さんの母が泣いているのを見たのは、義母の兄が亡くなったときでした。

仲のいい兄妹で、野菜をあげたりもらったり、おすそ分けをしたり、年をとってからも行ったりきたりしていた兄妹だったので、どんなにかさみしいことだろう、と思っていました。

でも、義母が、「しかたないねぇ」とぽそりと言った言葉が今も忘れられません。

 

ほんとうは、「しかたない」とは思えない思いを「しかたない」という言葉で胸に納める。

日本人というのは、みんなそうして静かに生きて逝ったのかな、と思ったりします。

                       (絵、安本洋子さん)(きなこ)

 

     ♪絵をクリックしたら、「のうた」をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=sKo66bpJ230&index=41&list=UUa030tIOyeM5LbDx_9FRZ9Q