「生きる」

8月6日です。

原爆については、「生きる」という歌を作らせていただいた田中さんと出会い、わたしが長年抱いてきた答えが見つからない疑問が、少しずつほぐれているような気持ちがしています。

 

わたしの疑問は、広島は発展してもいいのだろうか、ということでした。

元気いっぱいの広島を見た人は、「なんだ、原爆で破壊されたとしてもこうして復興できるんじゃないか」と思ってしまうのではないだろうか。
そんな疑問があって、広島に新しいビルが建つ、地下街ができる、新しい交通網ができる・・・、と聞いても、素直に喜べない気持ちがいつもありました。

 

でも、田中さんにお会いして、少し気持ちが変わりました。
たぶん、広島は、どんなに元気になってもいいのだ、と。

それが、人の力だと、すばらしさということなのだ、と。
でも、その間にあったこと、原爆に遭遇された方がどんな思いで生きてこられたか、つらい思いをどのように抱えながら、街の復興を支えてこられたのか、してこられたのか・・・、そを知ることが大切なのだと思うようになりました。

 

わたしたちは、昭和20年8月6日、そのとき何があったかを知りたいと思いがちですが、もっと知らなければならないのは、その後を生きて来られた方々の「人生」なのかもしれないと、田中さんに出会った今、思っています。

生きることを、生き「残った」という思いで生きてこられた人たちが、どう生きてこられたのか、生かされたのか、ということ、を。

繰り返してはならないのは、街が焼け野原になったことだけでなく、それ以上に人が傷つき、その傷を背負い続けて生きていらっしゃることなのですから。

 

8月の患者会では、田中祐子さんの原爆の体験を聞かせていただけることになっています。

皆さんに聞いて頂けるのが一番嬉しくて、心の底の言葉をお話しようと考えています」と、今日、田中さんからメールをいただきました。
お話を聞かせていただける日を心待ちにしています。

                             (写真、yama-p) (きなこ)

 

  ♪写真をクリックすると、「生きる」をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=sSpmRXbmJDM&feature=youtu.be

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コメント: 6
  • #1

    しゅうじ (火曜日, 15 8月 2017 10:05)

    その後を生きて来られた方々の「人生」には戦争や8・6がなければ別の人生があったはずです。俯瞰して見るならば、なぜその別の人生を歩むことができなかったか、国民一人ひとりが反省すべきを反省し正していくことが一番大切だと考えます。それを一番訴えてくれているのが田中さんのような生き証人だけというのが寂しい日本と考えます。

  • #2

    きなこ (火曜日, 15 8月 2017 13:11)

    しゅうじさん、こんにちは。
    今日は終戦記念日ですね。
    今年は、わたしにとっては、戦争や、ことに原爆を思うことについて、大きなターニングポイントになった年でした。
    それは、しゅうじさんや、田中祐子さんからお話を聴かせていただいたこと、そして「生きる」という歌を作ることを許していただいたことが大きかったです。
    山口県は、広島の隣、ということもあるのか、小学校の頃から夏休みになると、原爆の本を読むように言われたり、読書感想画を描くように言われていましたが、自分の中では、ただ恐い、という思いだったような気がします。
    元気さんと結婚して、広島に住むようになり、広島の住人になっても、原爆をどんなふうに受け止めていいのか、自分はどうしたらいいのか、広島はどうしたらいいのか、ずっと自分の中でわからないでいました。
    でも、今年、しゅじさんのお父さんのお話、その子供であるしゅうじさんのお気持ち、田中さんのお話をうかがって、ようやく自分の中で、自分の立ち位置を見つけることができました。
    しゅうじさんが書いてくれた『語ることが癒しになる」ということを教えてもらったことも大きかったと思っています。
    自分の中だけで考え迷っているだけでなく、お話を聴かせてもらうことで、わたしたちの中に、「その思い」が宿る。そのことを感じています。
    それが、体験者ではないわたしたちができることなのではないかと、感じています。
    しゅうじさんが阿品市民センターでの田中さんのご講演をビデオ録画してくださったことも、田中さんは、とても喜んでいらっしゃいました。「初めて、自分の話しているところを見ました。自分のスマホにも入れました」と。しゅじさん、ほんとうにありがとうございます。
    17日に、また患者会で、田中さんのお話を聴かせていただくことになっています。
    『皆さんに聞いていただくのが一番うれしくて、心の底の言葉をお話ししようと思います」とメールをいただきました。
    先日の、たいへんな番組を制作されたテレ朝の若いディレクターさんや、テレビをご覧になって、ぜひ田中さんのお話を聴かせてほしいと言われる米子のわたしたちの友人も一緒にお話を聞かせていただくことにしています。平日ですから、しゅうじさんはお仕事でしょうね?


  • #3

    しゅうじ (火曜日, 15 8月 2017 21:12)

    きなこさん、こんばんは。
    17日は午前中でしたら都合つくのですが場所はどちらでしょうか?
    先日、田中さんのVTR撮らせて頂いた時は、事前に主催者の方には撮影OKを貰ってたのですが、当日田中さんにはご挨拶できませんでした。一言撮影させていただいたことと貴重なお話をありがとうございましたとお伝えしたかっただけなのですが。同じく被爆者の女性で同じ境遇の方でいらしたのでしょうか、長い時間田中さんとお話しされていた方が居られたのでそのまま会場を後にしてしまいました。もし都合がつくようであればお伺いしようと思います。ご連絡有難うございました。

  • #4

    きなこ (火曜日, 15 8月 2017 22:25)

    しゅうじさん、こんばんは。
    17日は、午後なのです。13時半から廿日市市の廿日市市役所はす向かい、エディオンの向かいにある総合福祉センター(あいプラザ)の2階リハビリ室で、廿日市、大竹、岩国など、広島西部に居住の患者家族関係者が主となって患者会をしています。毎月一度の集まりで、いつもはパーキンソン病に関する話題が主なのですが、昨年から、8月は『戦争の話をしましょう」という企画を始めました。
    田中さんには、今、読ませていただいたしゅうじさんのお気持ちを伝えておきますね。
    きっとまた、田中さんとしゅうじさんが出会うときが、意外と早く巡ってくると思っています。

  • #5

    しゅうじ (水曜日, 16 8月 2017 07:04)

    きなこさん、おはようございます。そうなんですね。私の都合はたいした都合ではないのと、こんなことならもう少しあの時ねばってでもご挨拶して帰ればよかったとおもうこともありますので調整してみます。ご連絡ありがとうございました。

  • #6

    きなこ (水曜日, 16 8月 2017 20:30)

    しゅうじさん、こんばんは。
    今日は出かけていて、すっかり返信が遅くなりすみません。
    明日、調整してみる、ということで、そのお気持ちがうれしいなあ、とうれしくなっています。
    でも、田中さんとのご縁は、今回が難しくなったとしても、また次をなんとかしますから、大変なご無理まではされなくていいですからね。
    こちらこそ、ご連絡と調整、ありがとうございます。