豆炭

パーキンソン病に限らないことですが、病気は人を選びません。

ほとんどの患者さんが、「病気になったとき、どうしてわたしが、と思った」と言われます。

元気さんがパーキンソン病だとわかったとき、私も、「世の中は、どんなことでも起こるものなんだ」と思いました。

パーキンソン病の患者さんの中には、今の私より上の年齢で発症なさった方も大勢いらっしゃいますから、わたしの中には「いつかわたしもパーキンソン病になるかもしれないな」という思いがどこかにあります。

 

パーキンソン病になられてからの体調の悪さ、遭遇する状況については、みんな等しくお辛いと思います。

でも、中途疾患で進行性の病気ですから、「パーキンソン病とわかったとき」時点の最大瞬間風速に関していえば、これからの人生が長いほど、夢があるほど、逆を言えば、パーキンソン病になって諦めなければならなかったもの、方向転換しなければならないことが多いほど、瞬間的に背負われたものは大きかったのかな、とも思います。

パーキンソン病の患者さんには小学生で発症した方もいらっしゃいます。

運、不運もあると思います。

たとえば、同じ若年発症のお医者さんであっても、ある外科医さんはお仕事を断念されましたが、内科医さんは定年までお仕事をお続けになられました。

 

スポーツに関して言えば、パーキンソン病の方は、どういうわけか、もともとスポーツマンの方が多いような気がします。

わたしは、昔から運動音痴で、徒競走なども、ビリでなければ大儲けもの、運動会の前日は、いつも雨乞いをするような子供でした。

そんな人がパーキンソン病になるのと、テニスで優勝を重ねていた、いくつもの山を踏破してきた、ゴルフはハーフで40いくつ・・・、なんて人がパーキンソン病になるのとでは、引き受けなければならない衝撃の大きさはずいぶんと違うように思います。

 

みんな越えてきたものがあり、引き受けてきたものがあり、今も、進行する病という列車に乗って毎日を過ごされています。

パーキンソン病の患者さんが、冗談を言われたり、面白い話をされて、おかしくて大笑いすることもよくあるのですが、そのあとで心の中には、いつも豆炭のような静かな感動の気持ちが残ります。

                                                            (写真、yama-p)(きなこ)

 

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