いとおしい

小さい頃、折り紙を折る母の手を見ているのが好きでした。

母の手はわたしと似ていない、女性らしいきれいな手です。

母の手が四角い紙を器用に折り畳み、開き、やがてひとつの形を作りだす指先を見ていると飽きませんでした。

 

それから幾年も過ぎ、母も私も年をとりました。

あるとき、母の手にしみができ、しわもたくさんあることに気がつきました。

あらためて母の手を見たことがなかったので、驚きました。

マドレーヌやパンを焼き、ナイフで鉛筆を削り、編み物をしていた母の手。

母は、畑仕事をし、6人の両親を送り、今も島で暮らしています。

 

人は誰かを好きになると、その人にも好きになってもらいたくて、一生懸命、きれいになろうと努力をしますよね。

より似合う髪形に。

よりきれいな爪先に。

でも、いとおしい、という感情は、きれいな手やまっすぐな背筋・・・、とは反対のものに感じるのだなぁ、と、年をとって感じています。

                        (写真、yama-p)(きなこ)

                        「のうた」 写真をクリックしたら流れます。

 

 

 

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コメント: 3
  • #1

    スミピー (木曜日, 06 4月 2017 15:35)

    きなこさん、こんにちは。
    "いとおしい"っていったい何なのでしょうね??
    ときに心温かく、ときに心切なく、ときに心かき乱し、ときに心浄化していく…
    僕には今とても"いとおしく"感じてる方がいらっしゃいます。ただそれはその方の美しい心にであったり綺麗な容姿にであったり…
    でもこの日記を読ませていただきながらふと、
    自分はほんとはその方の一体どこにいとおしさを感じていたのだろう??と…
    その反対側…という境地にまで辿り着くにはまだいささか不安定ですが、ただ確かに思うのはこれまで自分はその方から沢山の大切なことを教えていただき、そして沢山の歓びや楽しい時間を過ごさせていただいたということ。最大級のありがとうの気持ち。
    あれ??やはり何か違いますね^_^;ゞ
    春はお別れの季節…
    きっと最後にできることとは思いを紡ぎひたすらに心を給うことなのでしょう。
    悲しさや寂しさとともにこれまでの自分は決して間違いではなかったのだという確かな確信めいたものを頼りに、さようならをしたいと思います。
    何だか内容にそぐわない意味不明な長文ですみません。

  • #2

    きなこ (木曜日, 06 4月 2017 23:14)

    スミピーさん、素敵なコメントをありがとうございます♪
    全然違っていないですよ。
    スミピーさんは「いとおしい」って、何?と思われたそうですが、わたしは「いとおしい」を書きながら、「恋しい」って何?と、考えていました。
    恋しい。愛おしい。
    求める気持ちに近いのが「恋しい」で、与えたい気持ちに近いのが「愛おしい」なのかなあ、瞬発力に近いのが「恋しい」で、持久力に近いのが「愛おしい」かなあ、なんて思いながら書いていました。
    そう思うと、「恋愛」って言葉は、与えたい気持ちとあげたい気持ちがない交ぜになった感情だから、よくできた言葉だなあ、と妙に感心していました。
    でも、こんな分析めいたことは、実際の恋愛の前にあってはどうでもいいことで、スミピーさんがその方と一緒に過ごしたうれしい時間、楽しい時間がすべてなのでしょう。
    その方の美しい心と綺麗な容姿を全部ひっくるめて。
    スミピーさんの今日のコメント、心動かされながら読ませていただきました。
    私の書いたものに、こんな風に心からの言葉をくださることがうれしかったです。
    ありがとうございました。

  • #3

    きなこ (金曜日, 07 4月 2017 00:24)

    上のコメント、わたし、書きマチガってましたね!「与えたい気持ちとあげたい気持ち」じゃなくて、「与えたい気持ちと与えられたい気持ち」ですね。失礼しました。