イムジン河

 

昨日、しゅうじさんがコメントくださった「悲しくてやりきれない」と関わり深い「イムジン河」は、以前、カーステでよく聴いていた歌です。

 

パーキンソン病になって、公共機関を乗り継いでの通勤が難しくなり、一時間ほどの道のりを、二人でマイカー通勤していました。
通勤ラッシュでノロノロの車で毎朝聴いていた歌の一曲がイムジン河。

 

今でもたいてい元気さんは、助手席でなく後部座席にデンと座っているのですが、これはスーツと靴をひっかかえ、パンツとシャツ姿で転がり込むように車に乗っていたあの頃の名残です。

 

森本毅郎さんの「日本全国8時です」、武田鉄矢さんの「今朝の三枚おろし」をラジオで聴いたあとは、カーステに変えて音楽タイム。

元気さんが選曲した同じ歌を毎日繰り返し聴いていましたが、その中の一曲がイムジン河でした。
運転しながら時々バックミラーを見ると、元気さんが陰鬱な表情で外を眺めていたことを思い出します。

あの頃はただ必死な毎日でしたが、時間というのはありがたいもので、今は懐かしい気持ちで思い出しています。               (写真、yama-p) (きなこ)

 

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コメント: 5
  • #1

    しゅうじ (金曜日, 27 1月 2017 07:00)

    おはようございます。

    好きな言葉、好きな曲にはみな鮮明な思い出があるのですね。あの時の言葉、あの時の歌、あの時の写真。あの時の思い。

    イムジン河も悲しくてやり切れないも私にとってはとてもパワーソングです。

    人、民が負の出来事を背負わされた時、そのまま立ち止まるか、少しでもより良い道へ進もうとするか、その時に思い(どちらかというと間違いからの反省)によるんでしょうけど。

    その思いは自分一人の思いなのか、境遇を共にするものの思いなのか、同じ祖国をもつ者たちの思いなのか、祖先子孫の思いなのか、人類の思いなのか。

    支離滅裂なんですが、そんなこんなで、何故自分は生かされているのだろうと考えると、生きるっきゃないじゃん、めっちゃ生きる意味あるあると思い始めちゃんです。

    失礼いたしましたm(__)m

  • #2

    元気 (金曜日, 27 1月 2017 09:10)

    多分、今の自分は今までの積み重ねであって、すべて因果応報のようにも思います。なので今の境遇を嘆き悲しむときは過ぎ去りました。
    この人生を全うするのみです。

  • #3

    きなこ (金曜日, 27 1月 2017 11:18)

    選んで今を生きているわけではないけれど、また生きていて、自分が選べることも多くないような気もするけれど、与えられたものをどう過ごすかの自由はあるのかなあと感じています。
    それはきっと毎日をどう過ごすか、ということなんでしょうかね。
    誰かと関わりながら、ありがとうと言ったり言われたりしながらあたたかく毎日を過ごすことが、わたしにとっての「生きる意味」かなと今は思っています。
    しゅうじさんのコメントも元気さんのコメントも潔くて深くて、何度も読み返しています。ありがとうございました(*^_^*)

  • #4

    しゅうじ (土曜日, 28 1月 2017 06:31)

    おはようございます。人はいつの世もただ平穏無事には生きて行けませんよね。だから常に少しずつでも賢くなっていろいろバランスを取って行く術を磨かなくてはならんだろうと思ってます。それをただ自分一人で成就して幸せとすることよりも、境遇を共にするものと、同じ祖国をもつ者、祖先子孫、人類と、、、他人の幸福が自己の幸福に変わる幸福、普遍的な幸福!に淡い恋心を抱くんです。その実現にはLesson&Learnが必要、なのできょうもまず反省からスタートなのです(^^ゞ佳い一日を�

  • #5

    きなこ (土曜日, 28 1月 2017 13:17)

    「他人の幸福が自己の幸福に変わる幸福」
    それは、すばらしいことですね。
    条件によって得られない幸せもあると思うのですが、誰かが幸せだと思うことで幸せを感じることができるようになれたら、その幸せはどんなときも、きっと無くすことはないだろうなあと思います。
    しゅうじさんが言われるとおり、幸せを感じることができるかどうかは、自分の心にあるのでしょうね。そうですね!Lesson&Learnですね。