2020年

3月

30日

ハコベを食べよう!

お弁当の飾りにするために植えたパセリの横に、勝手に芽吹いた野草。

かわいいので放っておいたら、パセリを育てているのか野草を育てているのかわからないことに。

 

名も知らぬ野草だったのですが、インスタグラムで「ミドリハコベ」と名前を教えていただき、それなら食べられるじゃん!と、ハコベ料理にチャレンジしました。

 

お浸し。

天ぷら。

写真は、ごま油炒めです。

 

今までのところ、いちばんおいしかったのは、てんぷらです。

春の野草特有の苦みがあるので、それがとてもいいアクセントになって、私が大好きなセリやパセリ、シソの天ぷらにも匹敵するおいしさでした。

 

きっと、このえぐみなら、三つ葉の代わりに茶わん蒸しに入れてもいいんじゃないかと、今日はこれからミドリハコベの茶わん蒸しにチャレンジです。

さて、どうなりますことか。

 

料理は得意ではないのですが、ハコベのおかげでたのしくてワクワクしています。

                            (きなこ)

 

 

 

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2020年

3月

27日

畑に遊びにいきました。

「野菜がたくさんできたから、畑に遊びにこられませんか?」

患者会の会報の編集長さんに誘っていただいて、編集部のみんなで遊びに行かせてもらいました。

総勢5人。

1台の車にみんなで乗り合わせて、途中でおいしいパン屋さんでお昼のパンを買って、おうちに向かいました。

 

評判のパン屋さんは、平日の午前中なのに、すれ違うのがムズカシイくらいの混雑ぶり。

こういうとき、決断力のない私は、迷いに迷ってしまうのですが、今日は決断力のあるUさんが一緒なので、サクサクと決まり、あっという間に買い物終了。

よかった!

 

編集長さんのおうちに到着して、あたたかい春の日差しが差し込む窓辺で、みんなでテーブルを囲んで、おいしいパンとそれからデザートは編集長さんの手作りのバナナケーキでランチをしました。

 

その後、待望の畑へ。

白菜、ちしゃ、ブロッコリー、大根、ニンジン・・・

いちばん驚いたのは、ホウレン草。

土から抜いた80センチほどもある株は、ホウレン草と言われなければ、誰もホウレン草とわからない立派さ!

 

それぞれサンタクロースほどの袋いっぱいの野菜をいただき、ほくほくで帰途につきました。

 

ほんとうは、皆さんそれぞれ体調も心の状態もよくないところがありながら迎えた当日だったのですが、少しずつムリしながらも、こうして一緒に同じ一日を過ごせて、心に残る一日になりました。(きなこ)

 

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2020年

3月

11日

望郷

3・11のあと、かなしみと苦痛の表情で故郷を離れていく多くの人の様子がテレビに映され、マスコミで報道されました。心ならずもふるさとを離れなければならない人の波を見ながら、私たちも胸が痛みました。

3・11の後、立ち入り禁止になり、帰れないところになった場所もあります。

あのようなことがあって、様々な事情が変わり、戻りたいけれど戻れなくなった人もおられることでしょう。

3・11だけではないでしょう。

戦争、飢饉、テロ・・・。

世界中には、心ならずも愛する故郷、心地よい場所から旅立ち、帰れない人が、多くおられると思います。

そのような方々は、どんな気持ちでふるさとを思っておられるのだろうか・・・。「望郷」は、そんなかなしみを歌ったうたです。(写真yama-p)(きなこ)

 

 

   *写真をクリックすると、望郷をお聴きいただけます。

 

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2020年

3月

07日

ふたたび出会う世界があるから

今日、Nishikoriさんがご本を送ってくださいました。

本多昭人著「ふたたび出会う世界があるから  お坊さん、癌を生きる」(本願寺出版社)という本です。

本多昭人さまは、島根県雲南市を見渡す高台に建つ成福寺という美しいお寺の先代のご住職様でいらっしゃいました。

昨年211日、癌との長い闘病の末、68歳で亡くなられたお方です。

 

ご住職さまと私たちのご縁については、以前、このブログに書かせていただきました。

一昨年、げんきなこの歌をお聴きくださったご住職さまから、成福寺でコンサートをしてくれませんか?とNishikoriさんを通じてご連絡をいただいたのがご縁のはじまりでした。

その後、私たちのCDをお送りさせていただいたり、文筆家で何冊かのご本も出版なさっているご住職さまの著書をお送りいただいたり、それからメールやお手紙を通して、心の交流がはじまりました。

ご本を読ませていただいて、ご住職様が浄土真宗の教えに真摯に向き合い、心をこめて布教活動をなさってきたことを知りました。そして手術のできない癌と闘っていらっしゃることも知りました

ご住職さまのお心の豊かさ、心根のやさしさ深さを感じ、ご住職さまのお話をもっともっと聞かせていただきたい、という気持ちはとても強かったのですが、癌患者でいらっしゃるご住職様がどのような毎日をお過ごしなのか、どのくらいしんどくていらっしゃるのかわからず、ご迷惑をおかけしたくないという遠慮の気持ちから手紙もメールも間遠にしかできませんでした。

 

本多ご住職さまからは、お会いした翌年の4月、つまり昨年4月のお花まつりでコンサートをお願いします、とお手紙が届きました。

でも、コンサートの2か月前、昨年の211日、ご住職様はお亡くなりになり、私たちはついに、この世でご住職様にお会いすることが叶いませんでした。

 

今日届いたご本は、ご住職様が亡くなる数か月前まで本願寺津村別院の月刊誌に連載なさっていたエッセイが好評で、今年2月16日に出版されたものです。

エッセイは、癌が再発して2年後の20154月からはじまり、わたしたちが出逢わせていただいた2018年を経て、20193月号で自ら連載を終了なさっています。

Nさんが送ってくださったご本を、手を洗い、姿勢を正し、ページをめくりました。

左手にたまっていたページが、読み進むに従い、右ページにたまっていきます。

それがそのまま本多ご住職様の人生の残り時間だと気が付いたときは、手が止まりました。

左手が持つページがとても薄くなったころ、ご住職さまとわたしたちが出会った期日が現れました。

ご住職様がご本にげんきなことの出会いのこと、また元気さんの考えた「しあわせ量保存の法則」についてお書きくださっていたのは、最後から数えて3番目のエッセイでした。

皆さんに法を授ける立派な方が、私たちのような未熟な者をあたたかくうけとめてくださっていることに、ただ頭を下げる気持でした。

 

私の机の上には、今も本多ご住職さまが送ってくださった今年の2月で終わってしまったカレンダーと匂い袋、それからご住職様がきれいな直筆で書いてくださった年賀状が置いてあります。

年賀状には、「年末に退院できました。4月のイベント、楽しみにしています」とお書きくださっていました。

今、こうしてご住職様がお書きくださった文章を書きうつしながら、「4月のイベント、会えるのをたのしみにしています」ではなく、「4月のイベント、たのしみにしています」とお書きくださっていることに初めて気が付きました。

亡くなった後、この年賀状のことを思い出し、ご住職様は、4月まではきっと大丈夫と思っておられたのだろう、と思っていましたが、会えないかもしれないと思っておられたのかもしれないと、初めて気が付きました。

一文字の誤植をそのままにしない、誠実なお人柄の方でした。

 

昨年の4月、ご住職様のおられないお寺で、お花まつりコンサートをさせていただいたとき、終わった後Nishikoriさんが、「成福寺の天井の高いところから、ご住職様がニコニコしながらご覧くださっているような気がしました」と言ってくださったことを覚えています。

ほんとうにそうだったかもしれないと、今、そう感じています。(きなこ)

 

 

 

 

 

 

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2020年

3月

03日

ミカン救出騒動

昨年、みかん山の持ち主である叔母が亡くなり、毎年、困るくらい貰っていたミカンが、パタリと届かなくなりました。

 

ところが先日のことです。

「みかん、いらんかね?」

と、実家の母から電話がありました。

「味はおいしいんよ。でも、みかけはまことによくないミカンをもらったんじゃけど、食べるかね?」

と尋ねられ、

「そりゃあ、食べるよね」

と答えたら、なんと数時間後に、島から二人で車でやってきました。

えらい早かったね、と言いながらトランクを開ければ、え?こんなに?!

大小まちまちの箱が数箱。

みんなミカンでいっぱいです。

「ミカンを作っちょる同級生んところに行って話しちょったら、何の話からか、娘家族はミカンが好きでね、という話になってね。

そしたら友達が、そんなら器量の悪いみかんじゃけど食べてもらえるかねえ?と言うから、そりゃあうれしいよ、と答えたら、倉庫からこんなにようけミカンを出してきてくれたんよ。」

多すぎると思ったけど、このミカンを見てから、こんなにいらんよとも言えんでねぇ、と、母は悪いことをして謝るように言い、その端切れの悪い言葉を聞きながら箱をのぞいてみれば、確かに象の皮膚のようにシワシワのミカンがいっぱいに詰まっていました。

「うちに置いとっても腐るばっかりじゃから、すぐにあんたんところに持ってこさせてもらったんよ。まあ、食べて頂戴や」

と、母はホッとしたように、申し訳ないように言うと、帰っていきました。

 

ミカンと一緒に母が持ってきてくれた、私が赤札半額でしか買わない和牛肉を冷蔵庫にしまいながら、途方にくれました。

こんなにたくさんのシワシワミカン、どうしよう…。

困り果てながら、とにかく一つ食べてみると、確かに味は悪くありません。

むしろ甘い。

でも、なんといっても見かけがわるいのです。

味がわかるのは食べてからのこと。 

差し上げた方が、「こんなものを持ってきて!」、と腹をたてても仕方ない姿のミカンです。

でも、私は島生まれですから知っているのです。

ミカンを作った人は、そしてミカンの島の人は、ミカンを捨てたくないのです。

きっと母にこのミカンをくれた友だちも、母がもらってくれて、ホッとしたことでしょう。

そのミカンを高級和牛をオマケにつけて持ってきた母も、ミカンを私に渡してホッとしたことでしょう。

そしてミカンは、今、私の前にあります。

ババ抜きでババをとってしまった気分といったら悪いのですが、でもそんな気分です。

はてさて、これを誰にもらってもらおうか。

 

時間は午後3時。

春めいているこの気候ですから、一刻も早くもらい手を考えなければ。

頭の中で、腹をたてないで貰ってくれそうな人を一生懸命思い出して、ようやく5人を決めたら、次はみかんを全部箱から出して選定作業です。

貰ってもらえるもの、さすがに貰ってもらえないもの。

大いに迷いながら二分別。

いい方の山のミカンをさらに5つに分けて、わかめやひじきなどの島の産物をおまけに付けて、配達の始まりです。

 

「こんなミカンで申し訳ないんですが、食べていただけます?

味は意外と悪くないんですけど…」

あとは、もじゃもじゃもじゃ…。

さっきの母の声色とそっくりだと思いながら、言い訳をたくさん並べながら、ペコペコしながら5件の家を回りました。

最後のお宅は、優しくて率直でご夫婦揃ってみかんがお好きなAさん。

恐縮しきった私の口上に、「じゃあ、ちょっといただいてみるよ」とさっそく玄関先で召し上がってくださると、「おいしいじゃない!」

さらに、「うちには孫がたくさんおるから、困っとるんなら全部もっておいで」

ホッとするやらうれしいやら。

その日のうちに、すぐまた車を飛ばしてAさんのお宅に、箱入りミカンを届けました。

 

子供が小学生の頃、給食参観で先生が

「旬のものを食べる、というのはどういうことだと思われますか?」

とお尋ねになりました。

みんな黙っていたら先生が、

「毎日毎日、繰り返し同じものを食べるということです」

その答えが意外でよく覚えているのですが、スーパーの陳列棚のように、都合の良いときに都合のいい量があるというわけではないのが旬であり、産地なのでしょう。

そして大量の作物への愛情ともったいないの心が、作物をなんとかムダにしないようにと大事にさせているのでしょう。         

                 (絵、マコリー田阪誠さん)(きなこ)

 

 

 

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2020年

3月

01日

RDDin広島

昨日、広難連主催RDD(希少・難治性疾患の日)in広島が、開催されました。

世はコロナ騒動で、イベントは中止、延期だらけ。

学校も休校。

その中で決行をお決めになった広難連の会長はじめ執行部の皆さんには、たいへんなご心痛と、逡巡と、強い思いがあったことと想像します。

パーキンソン病友の会も広難連の加盟団体ですから、わたしたちもマスクをして、もう一人のパーキンソンの会員さんと3人で参加させていただきました。

会場入口にはアルコール除菌液が置かれ、マスクをしていない参加者にはマスクが配られて開会しましたが、それでも参加者は、やはりかなり少なめでした。

 

司会は、ご自身も難病を抱える聡明で快活な女性Aさん。

きびきびと、いつもと変わらず的確に準備の指示を出してくださるその明るさに、うれしさと尊敬を感じながら、わたしも机を並べたり、ポスターを貼ったりと準備をしました。

「皆さん、マスクをお願いしますね。それからトイレから戻られたら、もう一度アルコール除菌をしてくださいね」とアナウンスがあり、開会しました。

 

2月29日は世界希少・難病の日難治性疾患の日だそうで、世界一斉、各地で会合を開催しているそうです。

今回、東京都でのRDD開催が延期になり、急遽、ご家族で駆けつけてくださったというきれいな事務局の女性のお話では、コロナのことで各種会合が中止や延期になっていますが、RDDについていえば、全国の半分の会が実施に踏み切ったそうです。

そうなんだ。

少し驚きました。

稀少難病は、読んで字のごとく、患者さんの数がとても少ない難病のことです。

数が少ないという事は、薬の開発も遅れ、同じ病気の患者さんに出会う機会も少ないということです。

229日は、そんな稀少難病のことを知ってもらいたい、仲間に出会いたいという大事な日です。

この状況の中で、半数の会が実施したことに、大きな思いを感じました。

 

今年のRDDin広島も、とてもあたたかいものでした。

今回は、希少難病の当事者と当事者の父親の二人が体験発表をしてくださいました。

最初の方は、インドネシアの方と結婚され、現在、治療のために広島に里帰りし、大学病院で治療をなさっているという女性でした。

一昨年の広島水害のとき、ご家族3人で広島に帰国されていて、インドネシアに帰ろうとされたちょうどそのときに豪雨水害が起こり、そのことと因果関係があるのかないのか、突然歩行困難になられたのがはじまりだったそうです。

ご主人様は、インドネシアのお医者さんだそうですが、奥様の病気は希少難病ゆえに、病状の微妙なニュアンスを伝えるにはやはり母国語が通じる日本の病院で治療したほうがいいというご主人さまのアドバイスで、広島の病院で治療をされているそうです。

「一番のストレスは、インドネシアに帰れないこと」と、「インドネシアに帰る」という言葉を何度も繰り返されながら、国を隔て家族と離れて治療を続けることの不安とストレスについて話してくださいました。

 

もうひとりは、小学生の希少難病患の娘さんを持つお父さんの発表でした。

もともとエンジニアだったそうですが、お嬢さんのご病気がわかって、家族で一緒に闘病できるようにと、福祉関係の仕事に転職なさったそうです。、

難病の兄弟を持つ子供の複雑な気持ちにも触れながら、お話をしてくださいました。

家族の中に1つ与えられた病気が、本人だけでなく、兄弟の心のありようや性格形成にも影響を与えることに胸が痛くなるとともに、ご家族皆でお嬢さんを支えようという強い思いと意志と愛情を感じました。

どちらの方のお話も心に届くものでした。

 

会の後半は司会のAさんが、発表者だけでなく会場参加者の方々にもマイクを向けながらの意見交換会でした。

彼女がマイクを向けた先には、今日初めて難病連の会に参加したという希少難病の方もいらっしゃいました。

一昨年、ただ一人のご兄弟が亡くなり、昨年はお父様が亡くなり、自分はたった一人で希少難病と向き合っています、と話されました。

斜め後ろでとつとつとお話になっている人の方を、私は振り返ることができませんでした。

Aさんは

「稀少難病にお一人で立ち向かうことは、たいへんなことだろうと思います。

これから広難連のいろいろな会に参加なさって、病気は違っても皆さんにお出会いになって、いろいろな方のことを参考になさってくださいね」

と言われました。

Aさんだから言えるあたたかいアドバイスと感じ入りながら、うかがいました。

 

中止、延期と、多くのイベントが中止になっています。

反論の余地はなく、コロナの撲滅、封じ込め対策は優先されるべきでしょう。

でも、昨日の会に参加して、中止の陰で、取りこぼされているものもあるんじゃないかな、と感じました。      (絵、マコリー田阪誠さん)(きなこ)

 

 

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2019年

12月

27日

緊急告知!八木栄子さんの特別番組の時間変更。

エフエムいかるで、毎月第一土曜日10時から放送されている八木栄子さんの「わたしのたからもん」。

明日、12月28日(土曜)は特別番組が放送されますが、放送時間が変更になりました。

 

12月28日(土曜)13時30分~

エフエムいかる 76.3メガヘルツ

 

ラジオをお聴きになるには、ネットで、「エフエムいかる」を検索いただき、「サイマル放送」という文字をクリックいただくとインターネットラジオのページがでますので、三角印を押して || の印が出てしばらく待ったら放送が流れ始めます。

 

八木栄子さんのかわいいけれど落ち着いた素敵なお声で読み聞かせてもらう童話の世界の間には、今回もスミピーさんが選曲してくださった「My Faivarite げんきなこ」からげんきなこの歌、2曲を流してくださるそうです。

八木栄子さん、いつもありがとうございますね!

皆さん、ご一緒にたのしみに聴かせていただきましょう♪

 

 

ネットで、

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2019年

11月

27日

コロンさんがFM放送「805たんば」に出演されます。

明日(令和元年11月28日(木))、コロンさんがFM放送局(805たんば)に出演されます。

コロンさんは熱くげんきなこを応援いただいている方です。

下記の番組に出演されます。この番組の中でアルバム「歌をうたって春にいる」に収録された5曲すべてがオンエアされる見込みです。(うち一曲はフル、4曲は部分演奏になる見込みです)

なお、本番組はインターネットでも聴くことができます。

 

番組名:丹波で暮らそう

放送時間:20時30分~21時まで

インターネット視聴サイト:クリック

 

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2019年

11月

01日

マゴチ釣ったどー!!

元気

 

話は、この写真の魚を釣り上げた4日前から始まる。

まずは序章

かの有名な江田島でのライブのため、車で眼下に広島湾を見下ろす高速道路を通過しているときだった。今日はいつも以上に水面が高い。後日テレビを見ていると宮島の神殿が海水に浸かったとの放送。これは毎年見られる現象で夏に太陽から蓄積された熱エネルギーが時間遅れをもって、海水温上昇及びそれに伴う海水膨張をもたらし、新月による大潮の中でこの時期の海水面が一年を通じ最も高くなることに起因するもの。

江田島への道すがら見えてくる海の風景は、いたるところに海面の変化に伴う水流による波紋が生じており、さぞかし水面下では魚たちの命を鼓舞する原動力となっているであろうことが感じ取れた。この時点で、今も釣り師と自称しているハートに火が付いた。江田島への往路、心の中で決めた。今日の帰路、大型釣具店で釣り具と餌を購入し、この時期、広島湾に入ってくるハマチを狙おう。決行は翌朝。

しかし、今日はなんだか体調がおかしい、熱っぽく、しかもふらふらしてうまく歩けない。でもやはり釣り師の血が騒ぐ状況が止むことはなかった。当日一緒にコラボし、往路復路ともに同乗いただいた平成の絵師さんにはご迷惑をおかけすることになるのは十分承知の上で、帰路いおいて往路で決めていた、釣具店に駆け寄り仕掛けと餌を購入した。

ちなみにエサは、生き餌釣りに必須のオキアミおよびできればシーズンインしたカレイも狙い、もちろんハマチ釣りのための生き餌となるサヨリを現地調達するための餌として共用できるゴカイと決めた。

 

しかしというか予想通りこの思いに急ブレーキが掛かった。帰宅後熱を測定したところ38℃だったのだ。

これからが奇跡にも近い物語の本章である。

 

購入してきたゴカイは、通常温度で放置しておくのが良いかと思ったが10月末とはいえ、25℃前後の気温が続く中、冷蔵庫の中に入れておくことにし体調の回復を待った。しかし熱はさらに39度まで上がり症状は全く回復しなかった。

病院に行ってみよう。月曜日の夕刻、かかりつけ医に診てもらった。インフルエンザ宣言を覚悟していたが、そうではなかった。とりあえず一安心ではあるが到底釣りの許可が出るわけはなかった。

翌火曜日は、もともと予定されていた義父母と親戚夫妻の手助けによる朽ちたウッドデッキの修復の日だった。私にとって心情的に高評価を受けるチャンス到来である。作業スタート時点の朝9時の時点ではまだ熱があったため何もせず臥していたが、1030分頃に熱が収まったためというより正確にはパーキンソンの薬が効のを待って、私も戦列に参加した。これは効果敵面で、翌朝体長が良ければという条件付きで釣行許可をゲットすることができた。

 当日は終日家にいた息子にお願いし、釣り場までの車の送迎を頼んだ。朝7時過ぎはやる気持ちを抑えて釣り場に到着。

 しかしながらショッキングな事実に直面した。餌のゴカイ君はすでに瀕死の状態でありすでに完全に伸び切ったものが多く、動いているものでも動物のナマケモノさながらの超スローな動きで、カレイ釣りとしての餌の機能ならびにハマチ釣りの生き餌となるサヨリ釣りの餌としての機能はとてもじゃないが果たせないことは容易に想定できた。冷蔵庫というゴカイにとっては極寒の環境の中で放置されたことが災いしたのだろう。何というミステイク、餌の新規購入も考えたが歩きでは遠過ぎ、車は既に家に戻っている。

 これで釣れれば儲けもの頭を切り替えることとし、投げ釣りおよびサヨリ仕掛けで何か釣れるのをひたすら待った。当日は午後リハビリが控えていたため、午前一本勝負であったが、最後のゴカイを使用するまで、当たりは一回もなし。勝負の舞台にさえ立つことはできなかった。しかし、am1030分、餌がなくなる直前に投げ釣り仕掛けに手のひらサイズのギザミが食ってきた。これは生き餌になると直感し、というかこの選択肢しかなかったのだが、すぐにエサとしてギザミをセットし、海に投入して当たりを待った。

 

 思い起こせばもう7年は経っただろうか今回の釣り場と目と鼻の先にある釣り場で67cmのハマチを釣り上げた。強烈な当たり、と引き、釣り上げたときの感激は未だに忘れられない。その幻影を追って毎年秋には大物を求めて釣行している。

 

 待つこと5分だっただろうか長い間待ち焦がれた当たりがついに来た、ドラッグを緩めて今から始まる魚との勝負に瞬時の間にそなえ、竿を持ち上げた。一気に沖へと走る。魚との勝負が始まった

 

 でもなんか違う。ハマチほどの強烈な引きがない。もしかして巨大なエソか。でも間違いなく強烈な引きである。5回以上の締め込みに耐え、水面に見えた獲物を確認。 ヨシっ大物のマゴチだ。たも網で慎重にすくいとろうかとも思ったが、アドレナリンが全放出状態で、そのままごぼう抜きすることを決断。一回目失敗、2回目に思いっきり引っこ抜いた。ワニを彷彿させるような巨大なマゴチが地面に横たわった。

胸の高鳴りは最高潮を迎えていた。

おしまい。

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2019年

10月

31日

考えない

考えない、から、今、私が笑っていられることがたくさんあります。

先日の台風19号の被害。

今日の首里城の火災。

シリアの問題。

チベットの問題・・・。

そんな大きく遠い問題でなくたって、自分の親のこと等にしても、考えればきりなく心配になること、心をいっぱいにしてしまうことはどれほどあるでしょう。

そのどれもこれも、私はがっぷりよつに考えていないから、私は今日を笑って過ごせているのです。

そんな自分の心の限界を、いつも感じています。

 

今日、スミピーさんから、1つの動画が届きました。

 
先ほどYouTubeを色々見ていましたところこちらの動画を見つけまして、 

 

ほんとに不謹慎かもしれませんが、観入ってしまったというか…

 

まるで別世界の他人事のように…そう、確かあの日あの時もそうでしたが、、、

 

でもこれは決して悪夢ではなく哀しすぎるけれども紛れもなく現実で、ひと事のように思えてしかたないのはきっと自分ごととして思いたくない、信じたくない、自分には起こって欲しくないというその現実から逃げているだけなのかもと…

 

危険は形は違えどどこの誰にもいつもそばにあるのに…

 

そんなことを思ったのでした。
僕たちにできることと言えば、義援金やボランティア活動というわかりやすい形もありますが、このような動画をどんどん広めていくということもYouTubeやそれこそSNSの真骨頂ではないかと思いました。
いつのタイミングでも構いません。
げんきなこさんのブログでも広めていただければと思いご紹介させていただきました。
皆んなわかってることだと言われればそれまでなのですが、少なくとも僕は今日この事実をやっと恐怖だと感じることができましたのでそれだけでこの動画に意味があると言えますし、もし僕と同じようなまだ気づけてない人がいらっしゃったらその気づきのきっかけにきっとなると思いました。」
動画を見て、ショックを受けています。
思いはじめると、心がふさぐことは世の中にあまりにも多すぎて、それらの一部さえ、わたしには解決できないのだけれど、こうしてスミピーさんが、動画を見たことが縁。私たちに動画を送ってくださったことが縁。
縁があったことについてだけでも、無力な私たちができることをしていけば、もしかしたら、何か次の縁につながって、私たちに何かができなくても、次の縁で、
ひょっとしたら、大きな前進につながるかもしてないという期待だけはつなぐことができますね。

つなげることが、できますようにと願いながら。

               (絵、高嶋宏子さん)(きなこ)

 

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2019年

10月

29日

手拍子

昨日、江田島の人権セミナーにお声かけいただき、トーク&ライブをさせていただきました。

今回はたっぷり1時間半の時間をいただいたので、ゲストに似顔絵作家の大上克己さんをお呼びして、質問形式で大上さんと元気さんの話をうかがいながら、進行するという形にしてみました。

二人とも40代で病気になっているので、仕事のこと、病気を隠さなければならなかったこと、似顔絵や音楽がどんな風に心を助けてくれたかということ等々・・・、若年発症特有の悩みなどもお聴きいただきながら、皆さんに歌とトークをお聴きいただきました。

皆さん、とてもあたたかくお聴きくださり、うれしかったのですが、中でも飛び切り感激した出来事がありました。

「わらって生きよう」という歌を歌っていたときのことです。

大上さんは、この歌に合わせて、ホワイトボードに会場から手を上げてくださった方の似顔絵を描かれていました。

まだあと2分くらい歌が残っているところで、ぷち、と音楽が止まってしまったのです。

この歌は、とてもノリがいいので、元気さんも一緒に2人で歌っていたのですが、いきなりカラオケが止まり、どうしよう、と思いましたが、大上さんが絵を描いている途中ですから、歌をやめるわけにいきません。

カラオケが流れないまま、アカペラ状態で歌い続けました。

会場の皆さんは、大上さんの似顔絵が出来上がるのをご覧になっていたので、手拍子をしてくださる人もいる、出来上がる似顔絵に夢中の方もいる、そんな状態だったのですが、カラオケが止まってから、どんどん手拍子が大きくなっていったのです。

それは、感激でした。

カラオケが止まって歌うのは心細いだろうなあ、と思いやってくださって、私たちを励ますために、皆さんが大きく大きく手拍子をしてくださったのです。

私たちが何を言ったわけでもありません。

それなのに、どんどん大きくなっていった手拍子に、ただただ感激しました。

昨日は人権セミナーだったのですが、人権ってどういうことか、私たちが教えていただいたような気がした瞬間でした。

                    (山中伸也先生の似顔絵、大上克己)(きなこ)

 

 

 

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2019年

10月

25日

キャッチボール

ふがいない私たちでも、ライブのあと、たまに「元気をもらいました」と言っていただくことがあります。

自分たちの未熟さは、よく自覚しているので、そのように言われると、うれしいというより、申し訳ないような気持ちになるのですが、そういう風に言っていただくのは、ライブが終って、私たちも喜びの気持ちいっぱいのときが多いです。

そんなとき、気持ちというのは、キャッチボールなのかもしれないなあ、と思います。

片方が元気をあげて、もう一方が元気をもらう、という一方通行ではなく、お互いが楽しい気持ち、うれしい気持ちをキャッチボールして、共に同じ気持ちを共有しているような気もします。

 

                           (yama-p)(きなこ)

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2019年

10月

20日

ひたすらな眼差し

ちょうど一週間ほど前の話です。

NHK主催で、毎年行われている合唱コンクールの本選のライブ放送が、Eテレでありました。

「15の君へ」

「Yell」

などなど、最近は、アンジェラ・アキさんやいきものがたりなど人気アーティストが作った歌を課題曲にしていることもあって、意外と中学生以外にも「Nコン」は、身近なコンテストになっているような気がします。

今回は、偶然にも前日に親しい方から「わたしの兄弟が、Nコンに関わっているのよ」という話をうかがったこともあって、休日のお昼間、Eテレにチャンネルを合わせて、ライブ中継を見ていました。

全国各地の地区予選を勝ち抜いた中学生たちの普段の活動の様子やインタビューが紹介されたあとで、あこがれのNHKホールで歌う中学生たちの合唱は、一生懸命な姿とあいまって心揺さぶられるものがありました。

 

今回の課題曲はSHISHAMOの「君の隣にいたいから」。

出場生徒たちの前で歌う女の子3人のロックグループSHISHAMOの歌にもがっぷりよつで心奪われ、あれから何度もユーチューブでSHISHAMOを聴いています。

宮原朝子ちゃん、すばらしい感性の持ち主ですねえ!

 

そんなあれやこれやに感激したNコンだったのですが、その後、Nさんから「今日は昨日、録画しておいたNHK全国学校音楽コンクール全国大会(Nコン)をみました。

とメールをいただきました。

なんという偶然、とびっくりしたのですが、メールを読むと偶然ではなく、中学校の先生でいらしたNさんは、毎年録画してNコンをご覧になっているのだそうです。

Nさんは、若年性パーキンソン病で50歳で学校をお辞めになった方です。

 

中国地区代表として、今回、地元出雲の中学校が出場したこと。

その中学が、ご自分にとっても、思い出深い学校であること。

などなど、Nさんが教員としてどれほどの思いと時間を中学生に注いでおられたかがあふれる長いメールの最後は、

「テレビ画面の中で歌っている、彼らのひたむきな眼差しが懐かしかったです。

と終っていました。

 

ああ、Nさんは30年近く、教壇から、あのまなざしで見つめられながら、教員生活を送ってこられたのだなあ、と、番組を見終わったばかりで私の記憶にも新しい中学生たちの瞳を思いおこしました。

どんなことがあっても、しなやかに剛いNさんですが、Nさんの心にある大切で美しいものを垣間見た気がして、SHISHAMOの歌と同じくらい、ずっと心に残っています。

                        (写真、yama-p)(きなこ)

 

 

 

 

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2019年

10月

15日

知らない

「幼稚園のとき、ブリキのコップを持っていくのが、ほんとうにイヤだったんよね」

 

おしゃべりの最中に、なにげなく、娘が言いました。

「え?ブリキのコップって、今、私が鉛筆立てにしているあのコップのこと?」

使いすぎて底に穴があき、今は鉛筆立てになっているブリキのコップが、私の机の上にあります。

「かあさんが鉛筆立てにしてるかどうか知らないけど、豚とか牛の絵がついたコップのこと。

みんなはキャラクターのついたかわいいコップなのに、わたしだけあんなコップにお茶をついでもらうのが、すごく恥ずかしかったんよね」

 

全然知らなかったので、びっくりしました。

 

今又再放送しているようですが、私は小学生の頃、「大草原の小さな家」が大好きでした。

アメリカ開拓民だったローラ一家の物語です。

NHKのテレビ放送が始まる前から、母が買ってくれた「大きな森の小さな家」の本を読んで、「大きな森」に暮らすローラの生活にあこがれていました。

大きな森の中で、父さんの建てた木の家に暮らすローラは、豊かではなかったけれど、読者の私があこがれる様々なものを持っていました。

とうもろこしの芯に服を着せたお人形。

豚の腸を膨らませた風船。

カリカリに焼いた豚の尻尾・・・。

そんな憧れのグッズのひとつが、ブリキのコップでした。

ローラはそれでお茶やお水を飲んでいました。

ローラが使っているそのブリキのコップがほしくて、小学生のころ、ずいぶん探しました。

母も協力して探してくれました。

でも、私が暮らしていた田舎町には、そのようなものは売っていませんでした。

近くで一番大きな街だった徳山の「近鉄松下」の食器売り場でも探しましたが、そこにもありませんでした。

徳山の「近鉄松下」にないということは、世界中にないのと同じことでした。

でも買えなかったために、ブリキのコップは、憧れのままで、ずっと私の胸の中に残ったようです。

 

大人になって、私の子供たちが幼稚園に入園することになったとき、入園案内に「お弁当と一緒にコップを持ってきてください」と書いてあり、街にコップを買いに行ったとき、偶然ブリキのコップをみつけました。

豚と牛と羊とニワトリが並んでコップをぐるりと取り囲んでいる図柄のそのコップは、あんなにほしかったローラのコップのイメージに、どんぴしゃでした。

ブリキのコップがほしくてたまらなかった、あのときの気持ちが、たちまちよみがえりました。

うれしくて、何の迷いもなくそのコップを2つ求めて、幼稚園に通う子供たちに持たせていました。

 

まさか、そのコップが娘を毎日憂鬱にさせていたなんて。

 

思いだしてみれば、私も自分の母がしてくれたことで、心ひそかに傷ついていたことがありました。

大人になって、母に話したこともあるかもしれませんが、ほんとうに傷ついたことは、いまだに言うことができません。

母に悪気はなく、きっと今でも母には思いもよらないことで、ただ幼いわたしが勝手に傷ついていたのです。

 

きっと娘にも、ブリキのコップよりもっと、私のしたことで傷ついたことがあるかもしれません。

子供だから言えなくて、ただ傷ついているだけだったかもしれません。

 

親子というのは、哀しいなあ、と思いました。

                 (写真 Oさん宅で「富士山」を弾く元気さん)(きなこ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年

10月

11日

夢コンサート(コスモスコンサート)終了

夢コンサート(コスモスコンサート)終了しました。

 

思えば、一気にいろんなことがプラス効果に働き、コスモスコンサートはさながらげんきなこにとって夢コンサートでした。

今回は廿日市市のさいき文化センターさんという公の団体から音楽祭として一時間のコンサートの依頼を受けたことに大変感激し、うれしく思いました。

 

ギリ街、ぶち山、ちいと山からなる廿日市の中で、かならずしも交通の便が良いとは言えない、ちいと山に位置する「さいき文化センター」に、私が知るだけでも遠く鳥取県、島根県、山口県、そして広島県からお越しいただくとともに、足元が不自由な患者仲間の皆さんも駆けつけてくださいました。

また、今回はうれしいことに会場地元の著名人の方々がコーラス部大尉に加わっていただくとともに親身になってげんきなこを先導くださっているYさんの多大なご尽力もありました。

 

加えて、直近の出来事として、万葉の歌音楽祭での審査員特別賞受賞、NHKでの放送等が重なり、自分自身かなり精神状態が高揚しました。

 

さらには、当日の音響も最高な状態にしていただき、コンサートの運営にかかわられた全ての皆様のご尽力に感謝します。

 

当日の状況はSUMIPYさんとS.TamさんがYOUTUBEにアップしていただいています。

 

この場を借りて深く感謝申し上げます。

 

SUMIPYさんによるUP

S.TamさんによるUP



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2019年

10月

03日

八木栄子さんの番組開始時間が繰り上がりました!10月5日、9時30分です。

待ち遠しい、エフエムいかるでの八木栄子さんの番組開始時間が、繰り上がりました。

うれしいことに、9時30分から10時まで、30分間追加になったそうです。

9時30分からを担当なさるパーソナリティの方が10時からの八木さんの朗読放送に先立って、八木さんをゲストに招いて、「わたしのたからもん」を書かれたいきさつや、八木さん自身のこと・・・などについて、インタビューなさるというものだそうで、これをお聴きになれば、これから始まる全6回の朗読番組が、より深く楽しめること請け合いの必聴番組です。

ぜひ、お聴きのがしないように、よろしくお願いいたします。

もちろん、私たちも聴かせていただきます!

            (写真、しゅうじさん)(きなこ)

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2019年

9月

28日

「エフエムいかる」で、八木栄子さんの朗読がはじまります!

パーキンソン病と告知されたあと、体の中に眠っていた、本人も気がつかなかった才能を花開かせる方は、意外と多くいらっしゃいます。

元気さんがパーキンソン病になって、暗いトンネルの時間を過ごす中で、思いがけずパソコンで音楽を作ったときには、「凄い!凄い!元気さん、凄い!」と舞い上がりましたが、その後、げんきなこの活動を続けている中で、全国の患者仲間の方にお会いしてみると、病気の発病後、それまで眠っていた、あるいは、それまで放置していた才能の種を芽吹かせた方は、少なからずおられることに気がつきました。

そして、その才能が、しんどい毎日を支えてくれる希望の種になっていることも、元気さんと同じでした。

 

 

京都にお住まいの八木栄子さんも、そのお一人です。

かわいらしいお孫さんがいらっしゃるようなお年ながら、ご自身も小学生のような、天然のかわいらしさを持つ女性です。

栄子ちゃん!という呼びかけが、何の違和感もなくできる、そんな永遠の少女の八木栄子さんが、パーキンソン病になったのは、まだ数年前。

一緒に野山を駆け巡れば、友人の自衛隊員もへとへとになるような抜群の運動神経をお持ちだった方が、体の動きが不自由になるパーキンソン病になったのですから、その心の葛藤はどれほどだったでしょうか。

そんな眠れぬ夜夜に、八木さんの頭にあらわれはじめたのが、小さい頃の思い出。

眠れぬ夜の闇をスクリーンにして、映画のシーンのようにその中で、自在に動き回り、笑う「ちいさな栄子ちゃん」の姿や、なつかしい思い出に、どんなにか心救われたと、八木さんは言われます。

そして、それをお話としておまとめになり、今年、出版されました。

「わたしのたからもん」

素敵なご本になりました。

あとがきを書かせていただいた元気さんも「八木栄子さんは、今はまだ無名の作家ですが、きっと宮沢賢治のように、広く愛される作家になられると思います」と書いています。

 

 

そして、このたび「エフエムいかる」さんで、八木栄子さんご自身の朗読で、その物語が放送されることが決まりました。

エフエムいかるさんは、京都市綾部市に本局を置くコミュニティエフエムさんです。

一昨年、わたしたちが綾部市のライブにお声かけていただいたとき、エフエムいかるの井関悟社長さん自らが指揮してくださった音響のお世話になり、取材もしていただきました。

そのすばらしい音と、もくもくとてきぱきと作業をなさるお姿に心惹かれていたのですが、それからまもなくして、井関社長が制作なさった「歩き始める」がギャラクシー賞奨励賞、放送活動優秀賞を受賞されました。

ギャラクシー賞は、小説の世界で言えば、芥川賞に匹敵する最高の賞です。

これは、大変な快挙です。

「歩き始める」は、パーキンソン病のお仲間を取材くださった番組なのですが、うれしいことに、私たちげんきなこの歌や言葉も番組の中に使ってくださっていて感激しました。

エフエムいかるさんは、そんなすばらしいラジオ局です。

 

 

10月5日から始まる八木栄子さんの番組は、インターネットラジオで、全国どこからもでもお聴きいただくことができます。

インターネットで、「エフエムいかる」と検索いただけたら、出てきます。

http://www.fmikaru.jp/

 

ぜひ八木栄子さんの素敵な世界を感じてください。

放送日は、毎月第一土曜日の10時から10時30分まで。

八木栄子さんの朗読の合間には、スミピーさんが選曲くださった「マイ フェイバリット げんきなこ」の中から、げんきなこの歌も流していただけるそうです。

 

「わたしのたからもん」がお読みになりたい方は

電話090-5154-5996

にご連絡ください。

税込み、1500円です。

                         (写真、しゅうじさん)(きなこ)

 

 

 

 

 

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2019年

9月

18日

万葉の歌音楽祭

(げんき)

万葉の歌音楽祭が終わりました。

ありがたいことに審査員特別賞として結実するとともに、さらに今後、地元で歌っていきたいので楽譜を送ってほしいとの発表も併せてありました。

当日は、患者仲間や高校同級生が駆けつけてくれて、とても嬉しい一日となりました。

当日うたった「明日香川物語」については、近くアップさせていただきますが、この明日香川に関し、私にとって感慨深い出来事がありました。

 

以下にその出来事を書きました。

私は、少年のころから川釣りが大好きだった。パーキンソン病の症状が進んできた今では、川をウォッチして魚の観察をして楽しんでいる。

先日の万葉音楽祭において、リハーサルの空き時間が結構あったので、野外会場を見渡したところ、舞台から見て右側に水の流れがあると直感し、歩いて行ってみることとした。

 

するとそこにはやはり川があった。

楽曲「明日香川物語」は妻「キナコ」が万葉集から詩を選び歌詞に引用し、私「げんき」のアレンジ(カラオケ制作)により、作ったものだが、かねてからキナコには万葉集に特別な思い入れがあったようだ。

 

私は音楽活動を開始してから、そんなきなこが作る楽曲に全力で伴奏曲(いわゆるカラオケ)を作っているが、万葉集を含め歌詞への思い入れは到底妻には及ばない。

 

明日香川の位置すら知らず、当然ながら「その川が明日香川とは全く知る余地もなかった。

その状態で、その川を見た時の感想ならびにその川が明日香川と知った後の感想を含め帰宅後、妻に次のように語った。

 

・水は清らかで、水温は低く感じた。

・生活水が混ざっているようにも思えたが、それは決して見てて不快に感じるものではなく、人間の生活と川が混在一体化したものであり、自然なものとして感じられた。

・川にかかった橋から眺めると上流は平たんな流れ、下流は急峻な流れとなっており、明日香の地は実は複雑な地形の集合体なのではないかと感じた。

・橋の周辺の集落は密集し、かつ高低差(屋根の高さの差異)があったように思った。これからも明日香川が長い歴史の中で変わらず明日香人の命の源であり、その川に磁石で吸い寄せられる鉄粉の如く人々が集まり、生活していったのであろう。

・川の大きさから、万葉集に描かれた飛び石の規模も容易に連想され、ほほえましく感じられた。

・ちなみに、魚影も確認した。おそらく私が少年時代夢中になって追いかけたカワムツであると直感しました。

 

 

これを聞いた家内は、とてもいい話だと言ってくた。

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2019年

9月

13日

平成の絵師、大上克己氏展覧会のお知らせ

大上克己氏展覧会のお知らせ

 

患者会における私の兄貴的な存在である大上克己氏がライフワークとされている似顔絵の展覧会が大阪の地で開催されます。

場所は阪神タイガースファンが優勝時にお約束のごとく決行される道頓堀川ダイブのすぐ近くとのことです。

 

 

 

 

 

大上克己氏テーマソング似顔絵ラブレターと合わせて紹介させていただきます。なお、本件は開催日までに時間がありますので、時機を見て再度ブログ他常設のコーナーにもアップさせていただきます。

ご案内詳細

大上さんの絵を使用させていただいた楽曲

似顔絵ラブレター

笑顔の魔術師本領発揮

花かをる

大上さん高校時時代の絵


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2019年

9月

09日

アメリカ

子供が小さい頃、工作教室に通っていました。

2歳とか3歳の小さな子供を対象とした教室だったので、子供が工作するというか、お母さんがそばにいて、手伝いながら一緒に工作をする、という感じの教室でした。

 

その中に、少しやんちゃな男の子がいました。

人の作ったものに触ったり、先生が言われたことをしなかったり。

周りから見れば、それほど問題な子だとは思えない、ただのやんちゃな男の子で、たいして悪いことはしていなかったと思うのですが、子供の工作ですから、その子が少し触っただけで壊れることもあり、いつもお母さんは一生懸命謝っていました。

 

男の子のお母さんは、その子とは全然タイプが違う、おとなしくて、気兼ねしいのお母さんでした。

男の子が何かするたびに、「ごめんなさい」「すみません」と、こちらが申し訳なくなるくらい小さくなって、一生懸命謝るようなお母さんでした。

そんなに謝らなくても、と周りはみんな思っていたのですが、あるとき、いつものように一生懸命謝った後、「もし、どうしようもなくなったら、この子と二人でアメリカに行って暮らそうと思っています。」と言われました。

「そんな風に思わなくても」と言ったのか、どう言ったのか。

そのとき自分が、なんと答えたか覚えていないのですが、ただびっくりしたことだけを強烈に覚えています。

 

 

でも、それ以来、私の中で、なにか困ったこと、つらいことがあると、「アメリカに行けばいい」とふわんと思うようになりました。

一度もアメリカに行ったことはないけれど、英語も話せないけれど、アメリカは、わたしにとってそんな国になりました。

 

 

東京で暮らしていた頃の話で、あれからそのお母さんにも男の子にも会っていないので、その男の子が、今、どんな青年になったのか知りません。

まさかほんとうにアメリカには行ってないと思いますが、あの親子さんから、なにか小さな希望の種のようなものをもらったような、そんな気持ちがすることもあります。

                  (写真 しゅうじくん)(きなこ)

 

 

 

 

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2019年

9月

03日

帽子の話

「花の道」のプロモーションビデオが好評です。

花の写真がとてもいいね、と私たちにもメッセージをいただいています。

「花の道」のプロモーションビデオは、元気さんがタイトルにあわせてほとんどを花の写真で編集したのですが、ビデオの一枚目だけは、花ではなく、帽子の写真です。

帽子に添うようにアイビーが置かれた麦わら帽子。

もちろんこれも、ジュリエットさんが撮影された「帽子」です。

 

「子供が幼稚園の頃かぶっていた帽子のリボンだけ取り替えて、私の帽子にしています。」と書かれたメールの添付をひらいたら、この写真があらわれました。

 

我が家の押入れにも、子供たちの幼稚園帽子が眠っています。

たくさんのものを処分しましたが、帽子だけは処分できずにしまっています。

ジュリエットさんが写真を送ってくださったとき「同じですねえ。私も帽子は捨てられなくて、しまってあるんです」とお返事したように思いますが、考えてみれば、同じようで違うことに気がつきました。

 

押入れの中の帽子は、過去の思い出の品。

でも、リボンを取り替えてかぶれば、今の時間をともにする現役の相棒です。

帽子をかぶれば、かわいかった姿、うれしい気持ちを折々に思い出すことでしょう。

 

一手間。

でもそれが愛情なのかも、と気がつきました。

                       (写真、ジュリエットさん)(きなこ)

 

以下をクリックすると「花の道」のプロモーションビデオをご視聴いただけます。

 

https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=-omNwAtcrYw

 

 

 

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2019年

9月

02日

翼をください

「翼をください」という歌もあるし、「翼があったらなあ」「鳥のように自由になりたい」というような話は、物語の中でも、会話でも、よく聞く話です。

ところが、最近、偶然見た二つのテレビ番組で、飛ぶことって、もともとは憧れでもなんでもないんじゃないかと感じることがありました。

 

沖縄に住むヤンバルクイナは、世界でただ一種だけ飛ばない鳥だそうです。

もともと空を飛んでいたヤンバルクイナですが、ヤンバルクイナの住む沖縄の島には狐などの地上の天敵がいないために、ヤンバルクイナは飛ぶことをやめて地上を歩いて暮らすようになったそうです。

 

また逆に、鳥ではないのにムササビやモモンガは、地上の天敵から身を守るため、木から木に飛び移って空中移動することを身につけたのだそうです。

 

私たちが自由の象徴のように感じている翼が、もともと身を守るためにできたもので、翼をもっている者からすれば、命が狙われる心配がなければ飛ばない選択をするものであることに、少し驚きました。

 

でも、弱者であるために持つことになった翼であっても、空の高いところから見る景色はやはりすばらしいのかもしれませんし、上昇気流に乗って舞い上がり、大気の流れに乗って空の高いところを旋回するのは気持ちいいことかもしれません。

 

元々はしなくてよければしないでおきたいことであったとしても、それが喜びを生み出すこともあるということなのかもしれないし、でも地上を歩くことだって、小さな花を見つけたり、芽吹きに出会ったり・・・、空からは見えない喜びがあるのかも、と思ったりしました。

                   (写真、ジュリエットさん)(きなこ)

                

 

 

 

 

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2019年

8月

31日

世界でひとつ

「ノイズキャンセリングをかけた時の周り雑踏の音がきえる感じが、なんとも不思議な感覚で、私は冷蔵庫に顔を入れた時のようでとても好きです。」

音楽と音響システムがお好きなAさんからそんな言葉をうかがいました。

 

冷蔵庫に顔を入れたときのよう

 

音が消えることをそんな風に感じる形容表現を初めてきいたので、とても新鮮でした。

世界でひとつだけの、Aさんならではの表現だなあ、と思いました。

 

 

わたし自身は、無音といえば、海やプールの中が思い浮かびます。

正確には無音ではないけれど、ずぶずぶと海に沈むと、ほの明るい水の世界の中で体が波にゆらゆらするその無音の世界が好きで、子供の頃はよく意味もなく海にもぐってゆらゆらしていました。

              (写真 yama-p)(きなこ)

 

 

 

 

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2019年

8月

30日

青空

朝、外に出たら、久しぶりに青空が見えました。

夏空、とは言えない薄い水色の空でしたが、それでも一瞬で心がうれしくなりました。

雨も嫌いではないのですが、やはり青空はいいですね。

 

 

まだ雨の予想は続いていますが、雨の合間、つくつくぼうしが鳴いています。

つくつくぼうしの鳴き声をきくと、宿題が終ってなくて「どうしよう」と焦っていた小学生の頃の気持ちを思いだします。

例年とは様子が違うけれど、カレンダーは夏の終わりですね。

                 (写真 しゅうじさん)(きなこ)

 

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2019年

8月

29日

赤いスイートピー

「団地のおうちレストランでウクレレのライブがあるから行きましょう」と、ラジオパーソナリティーのえつこさんに誘っていただき、元気さんと一緒にいきました。

 

演奏者はウクレレを始めて8年の素敵なママさん3人で、[夏の夜空]をテーマに1時間弱、歌あり、谷川俊太郎さんの歌紙芝居ありのたのしい時間を過ごさせていただきました。

 

夏の夜とは関係ないけれど、演奏曲の中に、「赤いスイートピー」がありました。

ピアノとウクレレによるインストルメンタルの「赤いスイートピー」。

口づさみたくなるのをぐっとこらえながら、うっとりきいていました。

 

 その気持ちが残っていたのでしょう。

家に帰って机に向かったら、「赤いスイートピー」の歌詞が書きたくなりました。

学生時代、授業中やテスト勉強のとき、ノートや教科書の端に好きな歌詞をよく書いてたっけ。

 

 春色の汽車にのって、海に連れて行ってよ

タバコのにおいのシャツに そっと寄り添うから

なぜ知り合った日から 半年過ぎても

あなたって手も握らない

I will follow you

翼のはえたブーツで

I will follow you

同じ青春走って いきたいの

線路の脇の蕾は、赤いスイートピー

 

 先日のブログで、一生のうちに「津軽平野」みたいな歌を作ることができたら、と書きましたが、「赤いスイートピー」も、聴くたびに、そう思う歌です。

 

 歌詞を書いてみて気がついたのですが、タイトルにもなっている「赤いスイートピー」の言葉のある最後の一行「線路の脇の蕾は、赤いスイートピー」って、それまでの歌詞の内容と、直接関係ないんですね。

それでも、それがタイトルにもなって、歌の世界を決定づけていること。

初々しい二人の物語から、ポンと話が変わったところに、二人の世界を象徴する風景を描く松本隆さんの歌詞の世界は、やはり凄いなあと感じました。

                          (写真 広島国際大学で)  (きなこ)

 

 

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2019年

8月

28日

山ひとつ

「グレートトラバース」の続きです。

 

断腸の思いで、三瓶山麓の民宿をあとにした田中陽希くん。
目指す次の山は、三瓶山の南に位置する吾妻山。
田中君は、島根の三瓶山から中国山地を越えて、広島に向かいます。

撮影のときは早春。
三瓶山麓ではかたく閉ざしたままだった新芽も、広島に入ると芽吹いたものもあり、中国山地を越えると風景も変わります。
しかし、田中君がショックを受けたのは、「三瓶山から来ました」と言っても、ほとんど誰も地震について関心を示さないことでした。
山ひとつ越えただけで、こんなにも違うことに「田中は戸惑っていた」と、ナレーションは告げます。

 

それはもちろん、広島の人がつめたい、という意味ではありません。

歩いていけるほど近いのに、山ひとつ隔てただけで地震の影響がほとんどない日常が広がっていること。

山の向こうのことを互いに知らないことに、「田中は戸惑っていた」と言っているのでしょう。

山ひとつ。

距離ではない隔たりを作り出すもの。
それもまた『自然』の非情な厳しさなのでしょう。
                            (写真、yama-p)(きなこ)

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2019年

8月

27日

グレートトラバース

朝の支度をしながら見ている「おしん」、「なつぞら」。
朝ごはん、お弁当、洗濯、夕御飯の下ごしらえなどなど、ながらで見ているのでテレビはつけっぱなし。
そのまま画面は、『グレートトラバース』『世界街歩き』と流れています。
そんなことで見はじめ、今は朝の三つ目の楽しみになった『グレートトラバース』
若い登山家の田中陽希くんが、日本の百名山を一筆書のように徒歩で制覇する旅に密着したものです。
再放送なので、田中陽希くんの数年かかりの旅を毎日拝見できるのも贅沢です。

昨日は心打たれるドラマがありました。
島根の三瓶山に登るために泊まっていた民宿を、夜中、震度5の大地震が襲い、田中くんは被災者として避難することになってしまいました。
三瓶山登頂から戻った田中くんが『ただいま』と扉を開けたのが印象的で、以前からの深い交遊関係を視聴者も感じていた民宿は、一夜で、足の踏み場もない状態になっていました。

その場に残りボランティアとして復旧を手伝うか、旅を続けるか。
田中くんもNHKのスタッフも迷われたことでしょう。
土壁が剥がれた部屋でもくもくと自分の荷物をまとめながら、『どうすればいいんでしょうね』とつぶやく田中くんの硬い表情から、大きな迷いと胸の痛みが伝わり、私たちも心揺さぶられました。

結局、残っても気を遣わせると判断した一行は出発を決めます。
複雑な気持ちを胸に抱えた田中くんに民宿のおばさんは、『これから先二年分のよ』とお守りと、それからハンカチに包んだお弁当を手渡してくれました。
こんな惨状の中、いったいどうやってお弁当を用意したのでしょう。
あまり感情をあらわにしない田中くんの小さな目から次々涙が溢れて、日に焼けた顔を背けても、ぬぐっても涙が止まりませんでした。

島根だなあと思いました。
そういう土地です、島根は。

瀬戸内の過疎の島に住む母も同じことをするだろうと思いました。
日本はそういう国だったのでしょう。

               (絵、安本洋子さん)(きなこ)

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2019年

8月

25日

見ごたえ

「久しぶりに見ごたえのある番組を見たなあ。」

本人はまったく意識していないらしいのですが、天然オモシロイAさんがボソリといった言葉に、元気さんと一緒に笑いました。

「見ごたえのある」番組。

たぶん、バラエティなんですけどね。ジャンルで言えば、この番組。

でも確かに「見ごたえ」ありました。

 

一切れ5000円の大トロを高い台の上に置いて、それを野良猫がいかにゲットするかを観察する番組です。

途中から見たので、詳細は少し違っているかもしれないのですが、場所は「猫島」と呼ばれる、野良猫がたくさんいる島でした。

 

大トロをゲットするためのチャレンジは、2つの方法で行われました。

1つ目のチャレンジは、幅跳び。

少し離れた台の上に大トロを置いて、大トロ欲しさに、猫が飛んだ距離を測るものです。

いずれかの猫がジャンプに成功するたびに、少しずつ台の距離を離すので、猫もためらったり、タイミングをはかったり、相当な覚悟で飛ぶのがわかるのですが、そんな思いをしてゲットした大トロを、自分には食べずに子猫に食べさせる母猫あり、横取りされてしまうオス猫ありで、猫のドラマも展開されました。

 

もうひとつは、高飛び。

猫がどれくらいの傾斜を駆け上れるかをみるものです。

45度から始まった台の傾斜は徐々に傾きを急にして、ついにまっすぐ、垂直になります。

高い台の上から、ぺロリとのぞいた大トロの姿を、何匹もの野良猫が見上げています。

何匹かが勢いよく壁を駆け上り、壁に爪を立てて自分の体重を支えますが、チャレンジ空しく、ズルズルと転落。

 

その中に、一匹群れから離れて木陰で休んでいた黒猫が、のそりと立ち上がり台に近づくと、いきなり垂直の壁を勢いよく、そしてしなやかに駆け上り、あざやかに大トロをゲットしました。

凄い!

 

 

いくら大トロの力をもってしても、野良猫に高飛びや幅跳びをさせるには、猫の生態について知識がなければできないことでしょうし、何より、野良猫に高飛びや幅跳びをさせようという単純な発想がいいなあ、と思いました。

 

やっぱりAさんの言うとおり、「見ごたえのある番組」を見ました。

           (写真、鶴見大学、鶴世先生&ヒデ先生記念ダンスパーティで)(きなこ)

 

 

 

 

 

 

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2019年

8月

24日

花の道

 「秋に、息子が結婚することになったんよ。

息子には、もったいないようなお嬢さんなんやけど、そのお嬢さんを、あちらのお父さんがもの凄くかわいがっていらっしゃるんよね。

それで、お父さんが娘さんを思う気持ちを歌った歌を作ってくれへんかな?」

山口弁と大阪弁がミックスしたコトバで、元気さんの同級生Mさんから、そんな話をうかがったのは、春だったでしょうか。

 

嫁ぐ娘を思う父親の歌!

ブライダルソングには、「秋桜」とか、「バタフライ」とか、「てんとう虫のサンバ」とか・・・、すぐに思い浮かぶ名曲がありますが、「父から娘に贈る歌を作って」と言われて、ウーン、と頭を抱えてしまいました。

 

娘が結婚することになったお父さんの気持ちって、どんな気持ちなんだろう・・・。

 

結婚するお二人をお祝いする大切な歌です。

プレッシャー、プレッシャー。

漬物石のような、プレッシャー!

 

元気さんは、「家庭内工業」と言って笑うのですが、私たちは家にいて、分業制で歌作りをしています。

大体の分担は、縄文の人でもしていたようなアナログなことが私で、デジタルなことが元気さんの担当です。

それで、歌詞については私が作ることが多いのですが、私の場合、映画のように、頭の中のスクリーンに物語が映し出されはじめると、歌詞が出来上がります。

たとえば「金言寺」という比較的長い歌詞の歌があるのですが、これはパーキンソン病友の会島根県支部がお誘いくださった奥出雲の旅で、金言寺の700年のいちょうと話し上手な金言寺の坊守様のお話に感動して、帰って割合すぐに出来上がりました。

 

でも、娘が結婚するときの父親の気持ちって、どんなものなんだろう・・・。

これまであまり考えたことがありませんでした。

私も結婚しているのに、思えば、親不孝なことです。

 

唸っている私を見て、元気さんが、「こんな歌があったよ」とユーチューブから聴かせてくれたのは、吉幾三さんの「娘よ」。

吉幾三さん、元気さんも私も大好きで、特に「津軽平野」は、元気さんがカラオケでよく歌うのですが、聴くたびに、なんてすばらしい!一生に1曲、こんな歌ができたらなあ、と感動します。

東北に生まれ育ち、津軽の四季、津軽の暮らしの喜びや悲しみを知っている人でなければ作れない歌だなあ、と思います。

「娘よ」は初めて聴きましたが、きっと実際にお嬢さんが結婚されるときに作られた歌なんだろうな、と感じる情感溢れる歌でした。

でも。

元気さんの心遣いはありがたかったのですが、「娘よ」を聴いて益々、私には父から娘への歌は作れないんじゃないか・・・、と心細くなりました。

 

プレッシャー、プレッシャー。

隕石のようなプレッシャー!

 

結局、同級生Mさんが何度か送ってくださった両家のご家族や若いお二人のお写真、それから何より、「あちらのお父さんが、物凄く娘さんをかわいがっておられるんよ」という一言が頭の映写機を回す鍵になって、ストーリーが動きはじめ、歌詞が出来上がりました。

 

「尾道への小旅行の帰りの車中、新曲をずっと聴いてます。

泣いてしまいますね。

「大丈夫」というコトバが、私はお気に入りですよ!」

と、一昨日、Mさんからメールをいただきました。

気に入ってくださったんだ♪

よかった♪

ホッとして、安心して、とてもうれしかったです。

 

今回のプロモーションビデオは、2年前のJPC(日本パーキンソン病コングレス)で出会い、それ以来ずっとメールでの文通を重ねていたジュリエットさんにコラボをお願いしました。

ジュリエットさんは、おじい様も、お父様も、息子さんも写真をお撮りになる代々写真家御一家で、毎回メールにジュリエットさんが添付してくださる素敵な写真を拝見しながら、いつか私たちの歌とコラボさせていただけたらうれしいのだけど、と思っていました。

その願いも叶い、「花の道」は、私たちにとっても、二重にも三重にも大切な歌になりました。

 

若いお二人のスタートに、心からお慶び申し上げます。

                          (写真 ジュリエットさん)(きなこ)

 

 

以下をクリックすると、「花の道」をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=-omNwAtcrYw

 

 

 

 

 

 

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2019年

8月

23日

リハビリ入院

パーキンソン病友の会広島県支部の会報 夏の号が発行になりました。

友の会の支部長をさせてもらっている元気さんは、いつも巻頭言を書かせていただいています。

夏の号の巻頭言は、「リハビリ入院」というタイトルでした。

 

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今年の6月初旬から7月までの約一か月弱の間、通院先の病院に入院しました。目的は規則正しい生活を実践するとともに、リハビリにより症状の改善を図ることでした。

主治医からは服薬量はすでに限界に近いと言われていて、今回の入院により服薬以外でできる限り改善を図ろうと私自身も覚悟を決めて入院に臨みました。

リハビリには、理学療法士、言語療法士、作業療法士の3名の先生方から毎日指導を受けましたが、いずれの方も若く、かつ治療に対して全力投入されていることをうかがい知ることができ、私も思わず力が入りました。

リハビリを受けた直後は、おそらくドーパミンが脳の活性化に一時的に多く費やされたためか、体が一時的にオフとなりましたが、30分程度経過すると服薬せずとも再びオンに戻るという状態が続きました。

さらには、不摂生ゆえに、体重が自己最高記録を更新し続けていましたが、食事が1日当たり1600カロリーに制限され、間食は厳禁とされました。

そして、その成果は驚くべきものでした。体重約8㎏減、首下がりも改善し、さらに最もうれしかったことはパーキンソン病となり言葉が不鮮明な状態となっていましたが、うれしいことに昔の自分の声がよみがえったと実感できたことです。まさに感激の極みでした。

知り合いの医者でありパーキンソン病患者である方に、リハビリによる改善が認められたことをお話ししたところ、現在制定されている.パーキンソン病治療にかかるガイドラインは、症状の進行度合いと服薬量、種類に関してであって、リハビリも含めたガイドラインが制定されることを願っているとのことでした。早速その旨を理学療法士の先生にお伝えしたところ、「大いに賛同します。じつはかねてよりパーキンソン病と診断されたその日からリハビリを開始してほしいというのが自分の思いです」と語られました。

おかげさまで、大変ありがたい治療を施していただきました。

大事なのはこれからの日々の療養生活です。

毎日自分自身と向かい合いながら、生きていきたいと思います。

                                (写真  yama-p)(元気)

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ブログ 「げんきなこ」ただひたすら団扇振りな日々