2018年

10月

12日

かくありたい

患者会の会報に掲載の元気さんの原稿が届きましたので、お読みください。

 

かくありたい

 

  病状に応じて、変化していく身体、これには当然脳細胞の変化も伴う。

残念ながらこの変化は活性化を伴わず、劣化の一途をたどるような気がする。

しかしながら、それも自然の摂理。

抗いもするが、受け入れていこう。

その道筋において、きっと見えてくるものも、あるはずだ。

 

みんな弱くて、みんな強い。

我々患者は、寒風吹きすさぶ岩肌に咲く小さな花の群れのようだ。

そしてその花は、決して強風には屈しない。

なぜならしなやかであり、かつ小さな花同士しっかりと根を絡めあい、お互いを支えあっているからだ。

 

わが広島県支部も、そんな支部でありたい。

                    (写真yama-p)(元気)

 

 

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2018年

9月

09日

手のかかる器

食器乾燥機を使っています。

洗い終わった食器を、乾燥機のかごにどんどん並べて、入れ終ったら、スイッチポンして、乾燥させるだけ。

でも、いくつか、食器乾燥機に入れずに、ふきんで拭いている器があります。

同級生のA君が作った器です。

 

A君は、とても要領の悪い人でした。

経済学部の学生だったと思うのですが、およそ経済観念というものは感じられない人でした。

パチンコが好きで、たまに大当たりして大金を儲け、そんな時は、高級食材をたんまり買い込んで、得意の料理の腕をふるい、みんなに手料理をご馳走してくれましたが、負けが重なって仕送りが底をつき「自分が食べるものがない日」も案外あったようでした。

司馬遼太郎さんの歴史小説が好きで、「幕末の志士たちのように生きたい」と、よく言っていました。

「敷きっぱなしの布団をはぐったら、キノコがはえていた。いこじなキノコじゃ。」と聞いたのも、たしかA君からだったような気がします。

 

要領が悪いA君は、わたしたちが3年生になるとき、留年しました。

そして、みんなが就職活動しているとき、「大学をやめてコックになる」と言いはじめました。

「大学は卒業しておいたほうがいいんじゃないん? コックさんになるのは、そのあとでも遅くないよ」

みんなでそう言ったのですが、A君はわたしたちの卒業と同時に学校をやめて、九州のレストランで修行を始めました。

 

その後、いくつかの店を点々として修行をしたあと、広島で念願のお店を始めました。

鷹野橋商店街の近く、入り組んだ路地のとてもわかりにくい場所に、A君のお店はありました。

もともと居酒屋だったところを借り受けて、フランス料理のお店を始めました。

 

友人何人かでお花を持っていくと、白い上着を著たA君が一人で、照れたときに見せるいつもの困ったような顔で迎えてくれました。

体を左右に揺らしながら話すのも学生時代のまんまで、ぶっきらぼうに、「魚にする? 肉にする?」と尋ねてくれました。

一人で厨房に立っているというのに、料理はこれ以上ないくらい手が込んでいて、ソースは美しく幾何学模様を描き、食べるべきか残すべきか迷うような見知らぬ洋野菜が、彩りにあしらわれていました。

味は上等。

見栄えも抜群。

心もおなかも大満足でしたが、どう考えても金額と手間があっていないような心配をかかえながら、私たちは家に帰りました。

 

その後しばらくして、友だちと市内に出たとき、ふらっとA君のお店に立ち寄ったら、A君が一人で客席に座り、爪楊枝を重ねてバベルの塔みたいなものを作っていました。

「なかなか芸術的と思わん?」

と得意そうに見せてくれましたが、お客さんは?と尋ねると、

「フランス料理はむずかしいね。使いたい食材は、意外と高いんよ。

食材をそろえて待っていても、お客さんが来てくれんと無駄になるし。

でも、冷凍は使いたくないんよ。」

ということでした。

小さなチラシを作って本通りで配ってみたり、私たちも少しPRのお手伝いをしたけれど、あまりお客さんは増えていないようでした。

 

でも、お店をしている間に、とびきりいいこともありました。

その店のお客さんだった人と、A君は結婚したのです。

竜宮城から連れてきたの?と思うような、きれいな女性でした。

 

その後、あまり先ではなく、A君はお店を閉じました。

「料理のおいしさが引き立つような食器を作りたいと思うんよ」

そして、中国山地の山間の陶芸家の先生のところで修行をする、と言いました。

でも、今度は乙姫様のような奥さんも一緒だったので、私たちは、あまり心配しませんでした。

 

きれいで気立てのいい奥さんのおかげも、たぶんすごくあったのだと思います。

やがてA君は独立して窯を持ち、自分の家の一角で、焼き物を売るようになりました。

A君の食器は、A君の料理と同じで、とても美しくて繊細な焼き物でした。

でも、「食器棚にしまっているんじゃなくて、普段に使ってもらえるような食器を作りたい」というA君の目的とは、少し違っているような気もしました。

「すごく素敵だけど、もう少し厚くて、硬くて、私みたいなガサツな主婦が毎日使っても、割れんようには作れんのかねぇ?」

と尋ねると、

「そういう風には作りたくないんよ。

大事に洗ってもらえるような、そんな食器を作りたいんよ」

と答えました。

でもねぇ、主婦は意外と忙しいからねぇ、やっぱり普段食器なら、簡単に食洗器にかけられた方がありがたいし売れると思うよ、なんてことを私は言い、でもA君とは話が合致しなかったような記憶があります。

 

たまにドライブがてら、元気だった元気さんと一緒に、中国山地のA君のお店を訪ねることもありましたが、会うたびにA君は、仙人のような人になっている感じがしました。

 

そしてやがてA君と連絡が取れなくなってしまいました。

 

わたしの食器棚には、A君の作った食器がいくつかあります。

その食器だけは別に洗う自分に気づいて、ちょっと笑ってしまいながら、「結局、A君の言うとおりになっているな」、と思ったりしています。

                    (写真、yama-p)(きなこ)

 

♪写真をクリックすると、「きみといた日々」をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=Vw3PnWzVSlE

 

 

 

 

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2018年

9月

08日

本日FMはつかいちに出演します。

本日(9月8日)16:30~17:00までの予定で、FMはつかいちの「えつこの走れオリソンミュージック」に出演します。お時間と受信可能な場所にお住まいの方は、お聞きください。

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2018年

9月

07日

ヒグマのごちそう

5日ほど前だったでしょうか、少し遠いスーパーにスイカを買いに行きました。

今年最後のスイカが食べたくて、あのスーパーなら、まだきっとある!と見当をつけて行ったのですが、なんてラッキー、最後の1俵のスイカが、私を待っていてくれました。

990円。

少し小ぶり。

でも、「そんなの関係ねえ」!

 

大事に抱えて帰って見てみると、スイカは富良野産でした。

ラベルが貼ってあり、生産者のご家族でしょうか、女性2人男性2人のお写真も載っていて、「北海道産 ふらの ヒグマのごちそう」と書いてありました。

 

「ヒグマのごちそう」!

その素敵なネーミングに、心の中で、「座布団10枚!」と拍手喝采しました。

ラベルには、スイカを抱えるというより馬乗りになったヒグマのイラストも描かれています。

私のふるさとの瀬戸内の島では、スイカは「タヌキとヌートリアのごちそう」で、父は、網をかけたり、かごをかぶせたり、毎夏、知恵比べの喜怒哀楽を繰り返していますが、北海道でのスイカをめぐる攻防のライバルは、ヒグマなのですね。

ちょっと怖そうですね。

 

昨日、北海道で大変な大地震が起こりました。

このブログでも何度か紹介させてもらったクリオネさんは、北海道のオホーツクに近い村、西おこっぺ在住。

「旦那が出張だから、ひま~。

まだ停電が続いてるけど、ガスも水道も来てるから大丈夫! 

役場で、携帯も充電させてもらったし」

昨日、クリオネさんから届いたメールは、弱気のかけらもなく、明るくて元気いっぱいでしたが、でもご主人様が出張中の患者さんが、余震の続く夜を一人で過ごすのが、心細くないはずがなかったでしょう。

 

朝一番に、

「朝早くごめん、夜中の3時に突然テレビがつきびっくり。またいつ消えるかと思い、米といで風呂沸かし洗濯機回し炊飯器スイッチいれ風呂に入り今もついてる」

とメールが届きました。

 

どうか、これ以上ひどい事が起こらないで、地震がおさまってくれますように。

クリオネさんも、「ヒグマのライバル」さんご一家も・・・、皆さんご無事でと、心から願っています。

                           (絵、高嶋宏子さん)(きなこ)

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2018年

9月

06日

誠意

誠意、とか、けなげ、とかいった言葉を聞くと思い出す人がいます。

名前も顔も覚えていない小学生の女の子です。

 

そのときわたしは小学校に上がっていたのかどうか、もしも上がっていたとしても、1年生か2年生だったと思います。

彼女は、たぶん5年生か6年生くらいだったでしょう。

 

私の小学校の正門の両脇には、コンクリートに点々と、5センチほどの黒い石が埋め込まれた部分がありました。

正門の石ですから、黒い石はもともと高価な石だったと思いますが、長い間に自然にみがかれて、さらにつやつやときれいでした。

簡単には外れないように、黒い石はしっかりとコンクリートに埋め込まれていました。

ところがある日、その中に1ヶ所、クレーターのように穴が空いているのに気がつきました。

黒い石、取れるんだ!

そう思ったら、わたしは黒い石がほしくてたまらなくなりました。

 

いったいどんないきさつだったのか覚えていないのですが、記憶に残る次の場面は、女の子がしゃがみこんで、一生懸命、その黒い石を取ろうとしているシーンです。

きっと学校帰りの小学生のお姉さんをつかまえて、私がお願いしたのでしょう。

 

そのお姉さんは、しゃがみこんで、一生懸命、石を取ってくれました。

そのあたりに落ちている石で、黒い石の周りをたたいたり、ゴシゴシ削ったり。

でも、とれるはずはありません。

 

ずいぶん長いこと待っていましたが石は取れず、たぶん、もう石は取れないのだろう、と小さい私は思っていました。

でもお姉さんは、取れないな、とかつぶやきながら、いつまでも黒い石を取り続けてくれました。

わたしがわがままなお願いをしているのに、自分の方が悪いみたいに石を取り続けている気弱そうな背中を見ていて、わたしはすごく悪いことをしている気持ちになりました。

それで、全然ほしくなかったのですが、地面の中から少し顔を出している石を指差して、「こっちの石でもいいよ。これを取って」といいました。

お姉さんは、安心したように立ち上がると、楽々とその石を取って、「はい」と、私に渡してくれました。

そして、ほっとしたように帰っていきました。

 

記憶はそれだけです。

 

たぶん、今会ったとしても、この人があのときのお姉さんだと、私はわからないでしょう。

でも、忘れられなくて、たまに思い出して、心の中で、「ありがとう」と言っています。

                       (絵、安本洋子さん)(きなこ)

 

 

 

 ♪写真をクリックすると、「世界中の誰よりもきみが好き」をお聴きいただけます。

 

 

 

 

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2018年

9月

05日

オシロイバナ

小学生の頃、家のすぐ前が、学校の正門でした。

わたしの家より小学校に近いところに家はなかったので、学校で一番、私は(正確に言えば、わたしと弟は)学校から近いところに住んでいる小学生でした。

友達がうらやましいなあ、と思うことはいろいろあったように思いますが、「学校から家が近くないこと」も、そのひとつでした。

 

学校からの帰り道、何人かで連れ立って、たのしいおしゃべりが始まったとたん、一人、みんなと別れなければならないつまらない気持ちを、今でも覚えています。

 

家の前には、ほんの20歩ほどの小道があり、そこを通って家に帰っていました。

みんなと別れる場所、その小道の入り口には、腰掛けるのにちょうどいい丸い石と、その横にオシロイバナが一群れありました。

濃いピンクの花が咲きはじめると、しべを抜いて、笛にして鳴らしたり、黒い種を割って、コロンと白い粉を出してつぶして顔に塗ってみたり。

いつも、バイバイ、と別れる友達たちが、オシロイバナの咲く時期には、なんとなく立ち止まって、オシロイバナで遊び始めることがありました。

だから、オシロイバナの咲く季節が、私は好きでした。

 

今でもオシロイバナを見ると、夕暮れに帰る友人たちの赤いランドセルの後ろ姿が浮かびます。

                          (写真、ジュリエットさん)(きなこ)

♪写真をクリックすると、「雨はともだち」をお聴きいただけます。

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2018年

9月

04日

半紙の手紙

Aさんから、お手紙が届きました。
もうじき80になられる患者さんで、手仕事がお好きで、端切れや折り紙やビーズで、お家でも通われてデーサービスでも、いつも手仕事をされているそうです。

気前がよくて、作ったものはすぐに誰かに上げてしまうから、「自分の手元にはほとんど何も残っていないの」とほっほほっほと笑って話されます。

 

時々私にも、猫やすずめなどの、かわいい小物などを送ってくださいます。

とてもかわいいので、それに自分で安全ピンをつけて、ブローチにして胸に着けて歩くと、なんだか自分が猫や鳥の飼い主にでもなったようなうれしい気持ちになります。

 

そんなAさんからのお手紙だったので、買い物に出かけようとしていた玄関から回れ右して、ハサミで手紙を開けました。

すると、封筒の中から、ぱらぱらと、折り紙のカエルとトンボがこぼれて、それから、半紙が一枚現れました。


『デイサービスで、今年の目標は年賀状を筆ペンで書いて出すこと、と言いました。
約束は約束ですから、毎日少しずつでも練習して、病気のせいにせず、少しでも前のように書けるように頑張ろうと思います』

それで、今日は筆ペンで手紙を書いています、読めなかったら飛ばして読んでください、と書いてあり、最近作られた小物を主治医の先生に差し上げたら、とても喜んで受け取ってくださりうれしかった、というようなことが、半紙いっぱいに書いてありました。

く白い半紙の、やわらかな風に少し流されながら降る雨のように、少し傾いて並んでいる文字の列がとてもきれいで、しばらく見とれていました。
鼻を近づけたら、まだかすかに墨の匂いがしました。 

                             (写真、yama-p)(きなこ)

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2018年

8月

07日

遙かなる丹波(その2)

(元気)

 

2日目は、朝食からサプライズが始まった。

 

Kさんは、朝8時30分に開店する町内のレストランを予約しているので行こうとおっしゃる。平坦な道を北上し、およそ15分後に到着。しかし外観はどう見ても古民家である。

 

玄関に入って驚いた。靴を脱いで上がるとそこには巨大なワンフロアのスペースがあり、テーブルと椅子が配置されている。そしてほぼ270°のパノラマビュー。私たちが案内されたテーブルの窓の外は、数メートル先から急峻な山の頂に向けたスロープが始まっていた。また山の頂に目を移すと、樹木の姿を肉眼ではっきりととらえることができた。ここでも森と町が混然一体となっていると感じた。」

 

 

テーブルに案内されて待つこと10分程度、運ばれてきたのはスペシャルモーニング。厚焼き玉子を具として挟んだボリューム満点のサンドイッチと、ぜいたくなフルーツの盛り合わせ、等々、見た目も実際の味も大満足。ごちそうさまでした。

 

その後、町内の観光地や、歴史資料館に足を運び、織田信長の子孫にあたる方々がこの地を治められたことを知った。

 

 

昼前にいったんKさん宅へ戻り、休憩を兼ねて夕刻16時からのリハーサルに備えた。

 

ここでのサプライズを一件。

 

それは、今まで食べた中で一番うまい素麺をご馳走になったこと。広く市販されている揖保乃糸と麺つゆに、みょうがを具材としたものなのだが、とにかく抜群のうまさだった。ゆで方や冷水で締めるタイミングに極意があるように思うが定かではない。

帰宅後、Kさんに聴いたレシピをもとに冷やす素麺を調理し、食したものの、残念ながらその味は同じレベルといえるものではなかった。(キナコさん、ファイト!!)

 

 

 

ゆっくりとした時間が経過したのち、16時直前にお祭り会場である地元の小学校へ入った。

実は前日と当日午前中にも行き、下見とスタッフの皆様へのあいさつをしたた。

実行委員長殿いわく、「このお祭りは地元の一大イベントであり、このイベントを通じて、町民がまた一枚岩となっていくことを毎年実感している」とのこと。

そんな価値あるお祭りに出演させたいただくことへの感謝と緊張感が18時30分から始まる本番に向けて急激に高まっていった。

 

 

 

とはいえ、超食いしん坊なわたくし、控室に用意されたお弁当(お刺身も入った、超豪華版)をペロリと平らげ、まずはごっつあんでした。

 

 

 

そしてうれしいことにEさんご夫妻を含め前日のイルカ女子のメンバーも駆けつけていただいた。感謝あるのみ。

さらにEさんは、意を決してか、ノリノリになってか、はたまた元気くん(私)への助太刀のためかは定かではないが、途中から舞台に登壇いただき、満面の笑顔で団扇を振っていただいた。昨日に続き、私のへっぽこ団扇振りに拍車がかかったのは言うまででもない。これまた深く感謝です。

 

 

 

夏とはいえ、夏至からすでに一か月半が過ぎている。若干早く感じた日没後、徐々に夜を迎える明るさへと移行する中、18時30分に本番がスタートした。持ち時間は30分間。演奏楽曲は「五橋渡り、金言寺、愛し子、みんなが笑顔、パーキンソンブルー、Dear)である。

私はいつも男性ボーカルグループ(すでに解散している)ファンキーモンキーベイビーズでパフォーマンス担当だったDJケミカル氏を目標として団扇を振るのだが、キナコは常日頃「あんたも歌いんさい、歌うところに意義があるんよ」と私を洗脳しており、決して人様の前で歌うレベルではなく、逆に失礼なことと認識しつつ、もともとは目立ちたがり屋のキャラと相まって、好き勝手に歌っている。

 

この日もいつも以上の高揚感が後押ししてか、いつも以上に好き勝手に歌ってしまった。

 

あとで、キナコに歌ってよかったんだろうかと聞くと、「まあよかったんじゃない」との返答。まあという言葉に引っ掛かりはあったがまずは納得。Kさんは後日「熱唱だったね」と総括いただき納得。

 

しかし、何より嬉しかったのは、演奏終了直後、スタッフの皆様から大きな拍手をいただいたことと、演奏後しばらくして、お祭りが佳境となる中、帰路に就くため駐車場へと移動する際、道すがらあちこちから拍手をいただいたことであった。

 

 

気が付けばすっかりと夜の帳につつまれ、西の空には若干の明るさが残っていた。この情景は見たことがあると直感し、記憶を辿ってみると小学生の時、歌っていてとても心地よく、美しいと感じたメロディー「朧月夜」を口ずさみながら見ていた山際の風景に他ならなかった。

 

 

 

もう一つ嬉しいことを書かせていただきます。

 

それは「みんなが笑顔」という楽曲をお祭り会場となった小学校でも給食時間に全校に流していただいていると伺ったこと。げんきなこ出演にあたり、げんきなこの活動を会場となる学校側へと説明する際、この楽曲の紹介もしていただいたとのこと。

この話からも、いかに準備にあたり多くの人が動き、ご尽力されたかをうかがい知ることができ頭が下がる思いだった。

 

この楽曲は広島県北部にあるというかあった(昨年廃校)小学校5年生(総勢15名)が書かれた一行詩を集結し、それに曲をつけ音楽にしたものである。

 

これに曲をつけてくださいと見せていただいた詩がとにかく素晴らしく、その詩の世界に一気に導かれるようにきなこと二人で曲として仕上げた。

 

この詩を見たり聴いたりすると、改めて子供の感性のすばらしさを感じるとともに、日本の未来は明るいと感じてしまう。

 

 

 

このようにして、日本の原風景までをも感じた丹波ツアーは終了し、帰路22時に姫路駅で息子と合流し、その後息子運転のもと、きなこ爆睡状態、私スピード落とせの大絶叫の中、無事我が家に辿り着いたのは深夜2時であった。

 

 

長くなりました。

 

おしまい。

 

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2018年

8月

05日

遥かなる丹波

(元気)

 

久々に私(元気)による投稿です。

 

昨年の京都綾部でのライブで知り合った、Kさんのご尽力で実現の運びとなった兵庫県丹波でのライブ(高齢者施設:8月3日と、地元のお祭り:8月4日の計2回のライブ)のため、8月3日早朝6時に我が家を出発した。今回は4日の帰路の途中、姫路で息子と合流し、広島まで戻ることとしたため、息子が運んでくるであろう荷物の増量分を勘案し、音楽機材を極力削減・軽量化を図った。

 

 

重量物積載状態の運転では、ハンドルを取られるリスク、パンクのリスク、急ブレーキを踏んだ時、重量物が後ろから飛んできて頭を直撃するリスク、なによりパーキンソン病ゆえか、私がスピードが増すにつれて感じる恐怖心を回避したいため、運転手となるキナコともに帰路運転手となった息子にこれらリスクの内容を説明するとともに、とにかくスピードを落とすように言い聞かせたものの、馬耳東風までとは言わないが、私の意に反して、スピードを上げることが多々あり(制限スピードはクリアしています:汗)スピードが増すにつれ倍増する恐怖心の中、絶叫に近い声を繰り返す私であった。(PD患者(私だけ?)はスピード感に恐怖心を覚えるのです)

 

 

 

さて、中国縦貫道を降りて加古川沿い)丹波を目指したが、ここで目に入る景色に不思議が感覚を覚えた。まずどこまでも続く平坦な土地とそれを囲むように位置する低~中高度の山々(盆地ですね)の景色が新鮮であった。私が住む広島は、平坦な土地少なく、傾斜のある斜面に住居が並んでいる。

丹波に入るとまさに、森の中に街があるといっていいような景色となり、千と千尋の神隠しの冒頭で見知らぬトンネルを潜り、パラレルワールドへ入っていくシーンを連想した。

 

到着した会場では、Kさんがすでに待機されていて、また施設関係者の方々も準備万端状態で迎えてくださった。

 

 

 

今回のライブでKさんは、広くご友人に声掛けされ、十名程度のご友人にも駆け付けていただき、オリジナル楽曲「ふたたびの少年」に合わせて、体操実演を事前練習よろしく、一糸乱れぬ(私を除いて)状態で演じていただいた。体操チーム名「イルカ女子」の皆様、ありがとうございました。

 

さらに嬉しいことに綾部でのライブで知り合い、その後わざわざ京都から我が家までKさんと一緒に訪ねてきてくださった、Eさんとそのご主人も途中からご列席くださった。

Eさんは、年上ですがとてもかわいらしい女性で、わたしのへっぽこ団扇振りに合わせて、見事なへっぽこ振りで団扇を振っていただいた。これを見て、へっぽこぶりに拍車がかかり私はノリノリ状態となりました。

実はこのEさんは、児童文学作家(と私は認識している)と呼ぶにふさわしい、作品をこのたび、書き上げられました。小さい頃の出来事をまさにそのころの視線で書き上げられています。広島に来られた際、直接ご本人の朗読で聞かせていただきましたが、幻燈を見ている感じがするとともに、小学校の国語の教科書にあった、「やまなし」(たしかこのタイトルだったと思います)の一節にあった、「モランボンは笑ったよ」(「これまた私の記憶から、違う表現だったかもしれません)という個所を思い起こしました。

Eさんの作品はとても懐かしく、せつない思いもする美しい内容に仕上がっています。

 

このようにして丹波遠征第一ステージはあっというまに幕を閉じ、その後、再度本年10月にオファーをいただいた、近隣にある別の高齢者施設の下見をさせていただいた。

 

さて、当日はKさんの家にお招きいただき、食事と宿泊をさせていただいた。お邪魔してからというもの、Kさんの愛犬「アラシ君」と敷地内同居されているKさんご子息ご家族のお孫さんお二人により、楽しい時間が倍増された。

 

アラシ君はもうお爺さんの年齢なのだが、その愛くるしさといったら、まさに「半端なく」、帰路車の中で、犬飼おうかなーって会話が続き、帰宅してから、きなこは犬関連のサイト検索を繰り返している。

 

お孫さんは、かわいい盛りであり元気な盛りでもある5歳と3歳の兄妹で、お邪魔したときは、捕まえたバッタや、カブトムシをうれしそう私たち二人に見せてくれた。特に、カブトムシのふるまいに興味津々の様子で、例えば壁伝いにカブトムシが上昇移動するにあたり、どのような材質の違いによる(壁紙、タイル、木質等)移動のし易さの分析や、カブトムシが壁に張り付く強力な力を体感するなど、まさにこれからわんぱくで冒険に満ち溢れた少年時代へと突入していく様子が、頼もしく感じられた。

Kおばあちゃん、幸せですね。

 

アラシ君、ご兄妹のまさにツートップの歓迎を受けたのち、夕方6時に先のKさんご友人にもご参加を賜り食事会がスタートした。

 

このご友人の方々から「げんきなこのCDを繰り返し聞いているとか、だれか力のある人がげんきなこの存在を発見し、引き揚げてくれないかと願っている」といった話をお聞きし、ファンということばが、いささか気恥い感じはするものの、ファンの皆さまの大切さ、ありがたさを感じ入った日でした。

 

 

 

後半部分はまた後日

 

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2018年

7月

28日

笑顔

患者会の集まりがありました。
「主人が迎えに来てくれるから、お先にごめんなさい」
会が終わると、Aさんは誰よりも早く部屋を出られました。
ところが。
来てくれるはずのご主人様は、いつまでたっても来られません。
Aさんは携帯を忘れて来てしまって、ご主人様に連絡もつきません。
夕方とは言え、外気はまだ35度を超えていると思われる暑さの中、入口の前でキョロキョロソワソワ、伸び上がり、心細げに待つAさんを
「外は暑いですから、中にいて、車が来ないか見ていましょう」
と無理やり建物のなかに引っ張りこみました。

やがて一時間。
みんな帰ってしまい、ついにAさんだけ。
家に帰ることにします」
暗い声でAさんが言われたところに、ご主人様が現れました。
そのときのAさんの、なんとまあ、うれしそうな顔!
表情豊かに自己表現される方ではないのですが、ご主人様を見つけたときのその笑顔は、幼児がうれしいことに出会ったときのような、喜びが顔いっぱいにあふれた笑顔でした。

なんで早く来てくれなかったの!
私なら、とっさの感情に、相手を責める気持ちが含まれるような気がしますが、ただただ来てくれたことを喜ぶ気持ち100パーセントのAさんの笑顔を見て、ますますAさんが好きになりました。
                                  (絵、安本洋子さん)(きなこ)

♪絵をクリックすると、一緒にいよう♪♪をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=2ua_5CSuy3g

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2018年

7月

27日

危険な暑さ

危険な暑さ、という言葉をニュースで聞きました。
初めて耳にした言葉です。ちょっと驚きました。

NHKニュースでアナウンサーが「危険な暑さ」と言われるのを聞きながら、今年の流行語大賞になるかも、と思いました。

昨日は、月に一度の、ケアマネさんが来てくださる日でした。

スリッパをお出ししながら、
「毎日暑いですね」
お決まりのご挨拶をすれば
「外は暑いんですが、こうしてお宅にお邪魔すると涼しくて、でも仕事柄、1日に何回もそれを繰り返しているから、なんだか最近、皮膚がヘンな感じなんですよ」
と肌をさすられました。

ラジオを聴いていたら
「最近喋り始めた我が子は、「パパ」の次に、「ママ」を飛ばして「アチュイ(暑い)」を覚えました」
という投稿がありました。
確かに「アチュイ」毎日ですが、元気さんのケアマネさんのように、お仕事によっては、暑くて、涼しくて、また暑くて、今度は冷えすぎて…と、温度差を繰り返しながら1日を過ごされる方も少なくないのでしょう。
でも、こんな短時間に温度差を繰り返す経験は、人類にとって初めてのことかもしれません。
前人未到の領域

高いところの葉っぱを食べることに適応したからキリンの首は長いのだ、と聞いたことがありますが、この温度差の体験は、人に何らかの変化をもたらすのでしょうか

                             (写真、yama-p)(きなこ)

♪写真をクリックすると、「冬のひまわり」のオケをお聴ききいただけます。https://www.youtube.com/watch?v=kfleHvVouUI

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2018年

7月

25日

感情増幅器

優しい人だな、と思う人に出会うことがあります。

優しい人は、誰かのしんどさを、実際以上に増幅して感じているようにも思います。

優しい人はしんどいだろうな、と思います。

わたしの母も、そんな人です。

なにかちょっとしたことを話すと何倍も心配して、ずっと胸を痛めています。

母の心には、感情増幅器があるのではないかと思ったりします。

                      (絵、TERUKICHI)(きなこ)

♪絵をクリックすると、「のうた」をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=sKo66bpJ230

 

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2018年

7月

24日

毎日

ご主人様がパーキンソン病である奥様のお話をうかがう機会がありました。

「私にとって、昨年は今まででいちばんしんどい一年でした。

もう何もかもがいやになり、その思いから逃げるために、ずっと毎日、ゲームをしていました。子供に、「ゲームばっかりしちゃだめ」と言っておきながら、そのわたしがゲーム三昧になっていました」

「でも主人は、そんな私に、「しんどくても毎日ちゃんとご飯も作っているし、家事もしているし、えらいよ」と言ってくれていました。その頃、主人自身もとても症状が悪かったのですが。」

 

奥様は、他にも様々なことをお話しくださったのですが、ここに書かせていただいたことが、私には今も心に響いています。

 

どんなに悲しいこと、しんどいことがあっても、毎日の生活には雑事もあり、家族がいたり、ペットがいたりすると、食事の支度をしたり、洗濯をしたり・・・、ただ悲しみにくれてそこにしゃがんでいるわけにはいかないことが目の前にあります。

ささいなことでも、自分がしんどいときにそれを繰り返し続けることは、大変なことだと思います。

 

奥様が、ゲームに逃げるほどの精神状態でありながら、家事をなさったこと。

でも、おそらく最低限の家事だったと思いますが、ご主人様がゲームをなさる奥様を責めるのではなく、「えらいよ」といわれたこと。

そのどちらもすばらしいことだと思いました。

 

奥様は、今、心もお元気になられたそうです。

きっとそんなお二人だから、こうしてまた心元気になられたのだろう、と思いました。

                           (写真,スミピー)(きなこ)

写真をクリックすると、パーキンソンブルーをお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=QuLIX1EW9oM

 

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=QuLIX1EW9oM

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2018年

7月

23日

たかがカレー。

昨日、久しぶりにカレーを作りました。

半年くらい、作らなかったでしょうか。

カレーが食べたい、と元気さんが言えば、スーパーで、レトルトカレーを買って出していました。わたしは納豆ご飯を食べていました。

 

こんなところで告白するのはとても恥ずかしいのですが、わたしは料理が下手です。

主婦になって20年以上。

料理本もたくさん持っているし、お料理上手な人からレシピをいただいものを自分でもファイルしたりして、それなりに毎日料理してきたと思うのですが、それでも、料理にはまったく自信がありません。

こういう主婦が困るのは、お食事を伴うお客様です。

「お昼(あるいは、夜)に、○○さんが来られるよ」と、元気さんに言われて一番に思うのは、「メニュー、何にしよう!」です。

そんな私のほとんど唯一と言っていいお客様メニューは「カレー」と「「牡蠣めし」です。

カレーはカレーである以上に、料理下手な私のツートップの大切なメニューでした。

 

ところが。

半年ほど前。

「このカレーは、なんだかおいしくないね。」と、元気さんが言いました。

小さく傷ついて「そうかねぇ」と、言ったのですが、そんなことが何度か続きました。

もともと料理に自信がなく、根性ナシのわたしは、元気さんが残したカレーを自分で食べながらすっかりカレー作りに自信をなくし、カレーを作る気もなくなり、作らなくなりました。

カレーがアウトになったということは、お客様メニューが「牡蠣めし」だけになったということです。

でも、「牡蠣」は、冬のもの。Rのつく月以外に「牡蠣めし」は出せません。

つまり、冬場以外のお客様メニューがなくなった、ということです。

 

そんな状況の中で、数日前、元気さんから「同級生が来るよ」と言われました。

どうしよう、と頭を抱えていたのですが、一度、我が家でカレーを召し上がってくださった同級生が、「カレーを食べたい」とリクエストしてくださいました。

他に作れるメニューもなく、そんなわけで、半年ぶりにカレーをたきました。

 

そして当日。

おそるおそる出したカレーを、みなさん、「おいしいね」と召し上がってくださいました。

うれしかった!

 

人間というものは、くさされれば、凹み。ほめられれば、うれしいものだと、つくづく感じています。

ほめられてうれしいのは、子供だけではないのですね。

お相手にしてみたら、軽い気持ちで口にしたことであっても、たまたまそれが自分の劣等感のツボにはまってしまうと、ズーンと落ち込む、ということがあるのですね。

実は半年間、料理を作る意欲というもの自体が失われていたのですが、今日は偶然テレビで見かけた「いかのカレーマヨ炒め」を広告の裏に走り書きでメモったりしました。

 

たくさんほめて、たとえリップサービスでもたくさんほめられて暮らしていきたいと思いました。

                  (写真、ジュリエットさん)(きなこ)

♪写真をクリックしたら、STのテーマをお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=EaF7_Bg

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2018年

7月

22日

希少価値

幼稚園には、お弁当をもっていっていました。

お茶だけは幼稚園でもらっていました。

お弁当の時間になると、お当番さんがカネ製のカップを配り、その後で、先生が大きなヤカンでお茶をついでくれました。

取っ手がひとつ付いたカップは、ほとんどが金色でしたが、いくつかだけ、薄いブルーのカップが混じっていました。

形はまったく同じ。

でも、ブルーのほうがとびきり素晴らしく思えて、カップを配る時間になると、わたしたちはみんな、ブルーのカップが自分のところに来ないかと、当番の手元を、じーっと見ていました。

ブルーのカップを自分に配ってもらうために、ワイロも横行していました。

きれいな千代紙とか、ビー玉とか、そんなものをお当番の子にあげて、「私にブルーのカップ配ってね」とお願いするのです。

 

小学校になってからは、給食の飲み物は牛乳になりました。

牛乳は、紙のふたがついたビン牛乳でしたが、ほとんどが透明なビンに赤色で絵や文字が書かれたものでしたが、少しだけ青色のビンも混じっていました。

みんな青色の牛乳がほしくて、やはり争奪戦が起こりました。

ところが、何年かしたら牛乳ビンがモデルチェンジして、今度は青色ビンがほとんどで、赤が少しになりました。

すると、「赤い牛乳のほうが味が濃い。青いのは、水が混じってる」と、誰ともなく言いだし、赤い牛乳のほうが人気になりました。

 

小学校の水泳実習では、みんなで隊列を組んで、湾を一周泳いでいました。

遠泳の途中で、小船に乗った先生がみんなに「カンロ飴」を1つづつ配ってくれました。

それを立ち泳ぎをしながら自分で皮をむいて口の中に放り込むのですが、そのカンロ飴の皮にも、黄色い皮と茶色い皮があり、少ない茶色いの方が人気でした。

カンロ飴は、今でも同じものがお店に並んでいています。

三つ子の魂百まで。

カンロ飴が差し出されると、今も迷わず私は茶色いほうに手を伸ばしています。

                       (絵、安本洋子さん)(きなこ)

♪写真をクリックしたら、「ふたたびの少年」をお聴きいただけます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=hEDIN2GTibw&feature=youtu.be

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2018年

7月

21日

自分の役割

今日も暑い一日です。

朝、患者仲間のAさんが、用事があってお電話をくださいました。

「オフでちょっと体勢が悪いから聞き取りにくいかもしれないけど」

と言われて、お話をしていました。

15分ほどして、それじゃ、また、とお電話を終るときに、

「まだオフですか?」と尋ねると

「まだオフですよ。でも、これから草刈をしなければ」

と言われて、お電話を置かれました。

 

Aさんと話していると、よく草刈の話が出てきます。

自然は目やお腹や心に喜びや恵みをもたらしてくれるけれど、常に闘っていなければならない厳しさもあります。

田舎に住んでいると、それをよく感じます。

Aさんは患者さんだけれど、草刈が必要な場所に住む一社会人でもあります。

Aさんは、その場所に住む自分の役割を果たすために、草刈をなさっているのでしょう。

 

今日、Bさんは消防団活動で、被災地でボランティアにいかれています。

「自分の体も大事にね。気分が悪くなったら、すぐに誰かに言うんよ。水飲むのを忘れないで。」

患者仲間はみんなBさんを心配して、送りだしました。

わたしも同じことを言いながら、でもなんだか少し、救援活動ができるBさんがうらやましいような気持ちも感じていました。

今朝、ラジオをきいていたら、同じようなことをDJの方が言われていました。

「なにをしたらいいかわからなくて、なにもしていない自分に罪悪感を感じる」と。

もしかしたら、今、広島には、そんな小さな罪悪感が、こっそり満ちているのかもしれません。

 

でも、その気持ちは間違っているのかもしれませんね。

自分の位置で、自分のできることをする。

Aさんは草刈を。

元気さんはリハビリを。

Cさんはこの炎天下、今年も後輩の応援に声を枯らしているのでしょう。

思っていれば、また何か、自分のできることがめぐってくることがあるでしょう。

それでいいのかも、と思いました。

                      (写真yama-p)(きなこ)

♪写真をクリックしたら、Dearをお聴きいただけます。

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2018年

7月

20日

水をまく

猫の額どころか、ネズミの額ほどもない私の庭に、毎日水をまいています。

 

あれはいつのことだったか、大雑把なわたしが水をまいた後のことでした。

庭で一緒に、草をひいていたか、何か植えていたかした母が、作業が終って家に入りがてら、ふと立ち止まって、「まあまあ、あんたは、水をもらえんかったかね。そうかね、そうかね」と言いながら、わたしが水をかけ忘れた植物に、ひしゃくで水をかけていたことがありました。

 

こんな風に、わたしも育ててもらったのだろうな。そう思いながら、母が水をかける様子を眺めていたことを覚えています。

 

酷暑。炎暑。獄暑。千年猛暑。

お天気キャスターの森田さんが、いろんな言葉で、今年の暑すぎる夏を表現されていました。

水をもらい損ねた植物がないように、気をつけて水をまいています。

                      (写真、ジュリエットさん)(きなこ)

♪写真をクリックしたら、チカタクネをお聴きいただけます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=KJb_ZaT-m1M

 

 

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2018年

7月

19日

セミ時雨

小さい頃、海のそばの借家に住んでいました。

裏庭の石垣の向こうがすぐに海で、夏休みになると、毎日弟と石垣から飛び込んで、海で遊んでいました。

泳ぎ疲れて畳の上でお昼寝をすると、ほてった体の上をわずかな涼風がとおりすぎ、せみ時雨がわんわんと耳に渦をまくように届いていました。

 

今日も、朝からセミが大合唱をしていました。

でも、お昼になって気がつくと、セミの鳴き声がありません。

セミにとっても、暑すぎる酷暑なのでしょうか。

 

豪雨災害以来、広島のローカルラジオからは、被災地の状況が流れ続けています。

お風呂に入ることができなくて、人に会うのがおっくうになっています。

お風呂の無料開放をしています・・・。

 

どうぞ皆さん、熱中症になられませんように、と願いながら、ラジオをきいている毎日です。

                         (絵、高嶋宏子さん)(きなこ)

 

♪絵をクリックしたら、Dearをお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=M5FgsPzELLc

 

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2018年

7月

17日

アリと泥ダンゴ

小さい頃、がっかりした話を2つ。

 

保育園で、泥ダンゴを作ることが流行っていました。

保育園の敷地に一箇所、泥ダンゴに適した粘土質の土のある場所があって、その土に水をかけて丸めて、泥ダンゴを作っていました。

「何回も磨きよったら、鉄になるんて~」

鉄の泥ダンゴ!

なんて素敵なの!

そんな泥ダンゴを作りたいと、保育園でも、家に帰ってからも、泥ダンゴ作りに熱中していました。

泥ダンゴの芯に小石を入れる。

サラサラの砂(サラ粉、と呼んでいました。)をふりかけて磨く、を繰り返す。

ツバをつけて磨く・・・。

教えてもらったあらゆる「秘伝」を試しましたが、私の泥ダンゴは鉄になることなく、いつも途中で割れてしまいました。

 

もうひとつの話は、小学校1年の時のことだったと思います。

その頃住んでいた借家には、真砂土の庭があり、夏になるとその庭の真ん中に、ポツンと穴が開いて、真っ黒で大きなアリが出入りしていました。

「アリの巣の一番深いところには、アリの宝物があるんよ」と、誰かに聞きました。

それで、夏休みのある日、スコップで庭のアリの巣を掘り返してみました。

庭に深い穴が出現しただけで、アリの宝物を見つけることはできませんでした。

 

当時はがっかりしたから、こうして覚えているのでしょうが、今ではたのしい思い出です。

                      (絵、ふなえみゆきさん)(きなこ)

♪写真をクリックすると、「たまのやの風」をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=_QB7F64fzvM

 

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2018年

7月

16日

新しい

メダカが産卵しました。
お母さんは、ホームセンターで買ってきた白メダカ。
お父さんは、昨年ライブに伺った熊野で思いがけずいただいたメダカ。

熊野は、このたびの大雨で大きな被害が出た町です。

熊野の皆さんのご無事と、早く穏やかな日常が戻ってくることを心から願っています。

 

以前ブログにしきりにきましたが、熊野でいただいたメダカは大きなオス・メス一匹ずつと、少し小さいチビサンのオス一匹でした。
やがて春が来ると、オスメダカのボスが、ぴったりメスのそばにくっつき、少しでもチビサンが近寄ると大変な勢いで威嚇し、やがてメスメダカのお尻に、ぷつぷつと透明な卵が現れました。

初めて見るメダカの卵に見入りながら、でも、狭い水槽の中で、1組の熱愛があり、威嚇されるもう1匹が逃げ回る様子は、ココロをザワザワもさせて、ついにホームセンターに行って、メスの白メダカを一匹買ってきました。
ところが。
それから一月もたたないうちに、チビサンが死に、またしばらくしたら、元からいたメスメダカまで死んでしまいました。
どうして?
メダカのこととはいえ、なんだか厭になってしまい、あれほどしばしば覗きこんでいた水槽を、まったく見なくなりました。

ところが。
2日前でしょうか、その日もぞんざいに餌をやっていたのですが、え?白メダカのお尻に何か。
なんと卵がついているではありませんか。
私が知らないうちに、水槽の中で新しい恋が始まっていたのでした。

チビサンを威嚇してまで、メスメダカを追いかけ回していたのに。
メダカの小さな体に、少しはかなしみのようなものはあったのかな。

そんなわけで、まだ少しフクザツな気持ちながら、野生の命のたくましさに目を見張り、そして新しい命の兆しはやはりうれしくて、また水槽を覗きこむ毎日です。
                         (絵、これこさん)(きなこ)
♪絵をクリックすると、「くまのの道は世界に通ず」をお聴きいただけます。

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2018年

7月

14日

先生

『始業のチャイムが鳴っても体が動かず、教室に行けないことが多くなってしまって。もちろんサブの先生はいるんですが、生徒たちがかわいそうだから辞めました』

定年よりずいぶん早く退職なさったのですが、Bさんは中学校の英語の先生でした。
英語が話せないことは私のコンプレックスの一つなので、
『どうしたら英語が話せるようになるんでしょうかね?やっぱり、英語に向いている英語脳って、あるんでしょうかね?』
と尋ねたら
『そんなものありませんよ。ひたすら努力です。狂ったんじゃないかと思うくらい、書いて書いて、読んで読んで、そうしたら誰でも英語はできますよ。』
そんな風に指導して、30点しか取れなかった生徒が、90点以上取れるようになったこともありましたよ、とBさんからうかがい、自分の不勉強を恥じました。
生徒さんたちとのエピソードを楽しそうに話されるBさんのお話をうかがいながら、きっとほがらかで一生懸命ないい先生でいらしたのだろうなあといつも感じています。

そのBさんと、先日群馬のパーキンソン病友の会の全国大会で出会い、何人かで一緒にレストランで食事をしました。
一時間ほどもお喋りをしながらご飯を食べていたでしょうか。
Bさんが
『ちょっとオフになってきたので運動します』
と言われ、歩きにくそうに、隅の少し広くなった場所まで移動、体を動かし始められました。
そうだね、じっとしていると、体が固まるよね』
と言いながら、みんなでBさんの体操を見ていたのですが、その柔軟なこと。
『柔らかいですねぇ!』
私は体が固いので、羨ましいなあと思いながらそうお声をかけると
『そうでもないですが、こうしていたら、また動けるようになるんですよ。』
と言われ、床に手をつき、カエルのように四つん這いになられたかと思うと、フワリと足を浮かせて、両手だけで体を支えました。
『え!凄いっ。』
どこから手や足が出ているのかわからないように柔らかいBさんの体の有り様に、目を見張りました。

そう言えば、前に一緒にカラオケに行ったときも、『ちょっと体が固まってきたから』と床に伏せると、軽々と腕立て伏せをはじめられ、驚いたことがありました。

きっとBさんは、毎日『狂ったんじゃないかと思うほどの努力』をされているのでしょう。
中国雑技団もかくやの柔軟さと、腕立て伏せが軽々百回できるほどの筋力をもってしても、足の裏に強力な接着剤が付いたように一歩が出ないパーキンソン病。
時々近所で動けなくなって、助けを求めていますよ、とさらりと言われるBさんが、ほがらかに過ごしていらっしゃること。
そんなBさんの心の強さ柔らかさを思うたびに様々なことを教えられ、やはりBさんは、生来、先生なのだなあと感じています。

                            (写真yama-p)(きなこ)
♪写真をクリックすると、星月夜をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=NGI7YFMaODw&list=UUa030tIOyeM5LbDx_9FRZ9Q&index=69

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2018年

7月

10日

願い

もう一人のおばが亡くなりました。

晩年のおばは、何も話せない、何も食べられない、たくさんの管に命を支えられている、そんな状態の8年を病院のベッドの上で過ごしていました。

今日、久しぶりに対面したおばは、棺の中で、小さく小さくなっていました。

おばにとっては、楽な8年ではなかったと思います。

この8年の間、おばの子供、わたしのいとこにも、悲しいことがありました。

「寂しくなったね。何か私にできることがあったら、何でも教えてね」

と言ったら、いとこは静かにしっとりと涙ぐんで

「ありがとう」

と言いました。

小さい頃から、感情を派手に表現することのなかったいとこでした。

ものが言えない、自分を理解してくれているかどうかもわからない、でも、ぬくもりをもってベッドに横になっている病院のお母さんのそばで、いとこは癒されていたのかもしれないと思いました。

何も言えないけれど、叔母はきっと、いとこの「生きていてほしい」という願いの中で、懸命に生きていたのかもしれないな、と思いました。

誰かの願いが、命をつなぐのだな、と思いました。

                       (絵、yama-p)(きなこ)

 

♪写真をクリックしたら、パーキンソンブルーをお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=QuLIX1EW9oM

 

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2018年

7月

08日

雨の合間

今日一日、断続的に降っていた雨が、夜になってようやくあがりました。

幸いに、私の地域は何もなかったので、知らなければ何てこともないいつもの雨。

でも、今日は、早くやみますように、と待ち望んだ雨上がりです。

 

昨夕、思いがけず両親が玄関に立っていました。

「どうしたん!?」

驚いて言うと、

「明日はまた雨が降るらしいから、今のうちに届けとこうと思って」

そう言いながら、ぼん、と置かれた箱には、茄子とハランキョウと蕗と人参と・・・、野菜がぎっしり入っていました。

「また雨が降ったら野菜が傷んでしまうけぇね、今のうちに採ってしまっとこうと思ったんよ」

そして、もうひとつ、小さな保冷バックがあり、

「こっちには、お刺身がはいっとるけぇね。大丈夫とは思うけど、でも、もしも傷んじょると思ったら、おなかが痛くなるから、食べんさんなよ」

母はそういいながら、保冷剤がたくさん入ったバッグのファスナーをあけて、中のお刺身を一瞬、私に見せて、またすぐにファスナーを閉めました。

こんなお天気というのに、どこで獲ったのか、りっぱな鯛のお刺身でした。

お昼に法事があって、そのときに付いていたお刺身なのだと、母は言いました。

両親のことだから、野菜をわたしたちに届けるのと一緒にお刺身も持って行ってやろうと、箸をつけずに持ち帰ってくれたのでしょう。

 

こんな時間に来て。帰りは暗くなるじゃないの。どうしてー、

私がそう言うより先に母は

「怒りんさんなよ、年寄りは気が短いからね。思ったらすぐにそうしとるんよ」

と笑いました。

 

昔、教員だった父は、

「お帰り~お土産~」

と玄関に飛び出す小さい弟と私に、かばんの中からごそごそと、紙で包んだお菓子を出してくれました。

父がお菓子を持って帰ってくれることを当時は不思議に思っていませんでしたが、今思うと、教員室で配られたお土産やなんだかんだのお菓子を、父は食べずに持ち帰ってくれていたのでしょう。

 

こんなお天気の中。

法事が終って、疲れているだろうに。

80を過ぎた今でも変わらない両親。

そして変わらない、親掛かりの私です。

                     (絵、安本洋子さん)(きなこ)

♪絵をクリックすると、「のうた」をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=sKo66bpJ230

 

 

 

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2018年

7月

07日

なにもないこと

たいへんな災害が起こりました。

愚かにも昨日まではのんびり構えていたのですが、夜もふけ、朝になっても新聞が届かない、テレビをつければ、県内、日本国内・・・、各地の惨状が映し出されているのを見るに至り、これは大変なことになったと、ようやくどきどきしはじめました。

 

私たちは患者会に入っているので、やはり一番に気になるのは、会員さんたちの安否とお薬の有無です。

パーキンソン病は主としてお薬で体調をコントロールしている病気なので、お薬が欠かせません。

朝から、気になる地域の方々に連絡して、避難なさっている方、納屋が床下浸水になった方などいらっしゃいましたが、怪我をされたり、お薬がなくて困っているような方は今のところいらっしゃらないようなので、まずは少しほっとしているところです。

ただ、このようなことがあると、やはり、何もないことはありがたいことだなあ、と通感します。

青空でも、曇り空でも、頭の上にいつもの空があって、揺れない地面があることの幸せを感じています。

どうか、皆さん、ご無事でありますように。

                           (絵、安本洋子さん)(きなこ)

 

♪絵をクリックすると、あいのうた、をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=ku_iJJSeL-k&feature=youtu.behttps://www.youtube.com/watch?v=ku_iJJSeL-k&feature=youtu.be

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2018年

7月

06日

「ああ、これこれ」

Aさんは、パーキンソン病の患者さんです。

ご主人様も、ベッドでお過ごしになることの多いご病気です。

毎日の生活はどんなにかたいへんだろうな、と思うのですが、Aさんは、とても朗らかな方です。

Aさんとのお付き合いは、まだ1年ほどなのですが、知るほどに、Aさんがご家族を大切に、とてもきちんと生活されていることに心打たれています。

 

最近、この蒸し暑さのせいか、ご主人様の食欲がなくなり、Aさんも心配されていたそうなのですが、思いついて、ショウガの甘酢漬けを作って食卓に並べたところ、ご主人様が「ああ、これこれ」とおっしゃって、その日はずいぶんとよく召し上がられた、と教えてくださいました。

 

美しいAさんと知りあって、1年。

秋には「栗の渋皮煮を作りました」、お正月には「お節を作って、体の弱い母に届けました」そんな細やかで優しい気持ちのあふれるメールを、季節季節にいただきました。

きっとショウガの甘酢漬けも、Aさんは毎年お作りになられているのでしょう。

Aさんが、しんどいお体で主食ではないものを手作りされていること。

「ああ、これこれ」と言われる家族の味があって、それがご家族の元気を引き出されたこと。

そんなことに心打たれて、私も甘酢漬けを作りました。

                               (きなこ)

♪写真をクリックすると、「夢を追いかけて」をお聴きいただけます。

 

 

 

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2018年

6月

26日

カボチャとミカン

パーキンソン病友の会の一年一度の全国大会が今年は群馬県でありました。
2つの新幹線と2つの普通電車を乗り継ぐ、一行六人の旅。
電車の扉が開くたび、車椅子と渡し板を持って待っていてくださるJRの方のお世話になりながら、無事二泊三日の旅から戻ってきました。

群馬での乗換駅でのこと。

向かいのホームに停まっている電車はグレーの車体に、オレンジと緑のライン。
わたし幼い頃、瀬戸内を走る電車はオレンジと深い緑に塗り分けられたツートンカラーで、『みかん電車』と呼んでいました。
それと同じ色の組み合わせなのが懐かしく、一緒に電車を待っていてくださった駅員さんに、
『こちらの電車はオレンジと緑のラインなんですね
問いかければ
はい、以前は車体全体を緑とオレンジに塗っていて『カボチャ柄』と呼んでいたんですよ』
え?そうなのですか? こちらはカボチャの産地なのですか?』
ああ、そうですね』

同じ色の電車を、瀬戸内では『ミカン電車』と呼び、群馬では『カボチャ柄』と呼んでいたなんて。

新幹線を2つ乗り継いでも六時間半もかかる群馬と瀬戸内。
海のない町と海の町を走る同じ色の電車。
その土地に暮らす人の目が、同じ色の組み合わせを、ミカンに見たり、カボチャに見たりしていたのですね

 

ふるさとを愛するやさしい人の心に触れたようで、小さな大発見にウキウキしながら、初めて降りた駅のホームに立っていました。
                            (写真yama-p)(きなこ)

♪写真をクリックしたら、「あけびの実の熟れる頃」をお聴きいただけます。https://www.youtube.com/watch?v=9Fy5TxG5sJU

 

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2018年

6月

20日

みい

亡くなった母の家には、ずっと猫がいました。

代々茶白の猫で、代々、名前は「みい」。

一度だけ、みいの子供だから、こみという名前の猫いましたが、1度だけで、また名前は「みい」に戻りました

エサも、当時はキャットフードなどはありもしませんでしたが、ご飯にお味噌汁をかけてもらったのを、みいは食べていました。

祖父はアラ汁をよく食べていましたが、食べ終わるたびに魚の骨を、ぽい、と足元のみいにやると、みいは首をよじりながら、ガシガシとあごに力を入れて食べていました。

もちろん、田舎の家ですから、みいは家の中も外も自由に出入りしていました。

 

これは、当時まだ結婚前で祖父母と一緒に住んでいた、とても猫好きな叔母から聞いた話です。

眠っていた叔母をみいが起こすので、なんだろう、と思って灯りをつけて見たところみいがネズミを捕まえていたそうなのです。

「もう、びっくりしてね。夜中のことではあるし、怖くて。

でも、みいは、わたしにほめてもらおうと見せにきたんだからと思って、「よくとったね」と頭をなでてやったんよ」

私がその話をきいたのは、小学生の頃でしたが、ひっくり返るほど驚き、そんなことができる叔母を尊敬もしそして、猫を飼うって、そういうことなんだなあと思ったことを覚えています。

 

この強烈な幼児体験のせいで、というわけでもないのですが、この年になるまで、まだ私は、一度も猫も犬もったことがありません。

                (絵、安本洋子さん)(きなこ)

♪絵をクリックすると、「飯の山」をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=NZnQ-4NVQRk

 

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2018年

6月

18日

あいあい傘

霧雨が降る夕方、車で走っていたら、中学生が二人で歩いていました。
一人は傘をさした女の子
一人は自転車を押している男の子
女の子は男の子に傘をさしかけるわけでもなく、男の子は自転車に乗るでもなく、おしゃべりしながら二人で小雨の中を歩いていました。

女の子は男の子に、傘をさしかけてあげられないのかな。
濡れているのが気になっているだろうに、好きならなおさら、あいあい傘ははずかしいのかな。
中学生だものねぇ。

そんな想像をしながら、『がんばれ!青春』と胸でつぶやいて、ゆっくり二人を追い越しました。
                                (yama-p)(きなこ)
♪写真をクリックしたら『初雪』をお聴きいただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=iaaVhEJkIb0

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2018年

6月

17日

「みんなが笑顔」

中国山地の真ん中、広島県の安芸高田という神楽の盛んな町に、全校生徒60人ほどの小さな小学校がありました。

その小学校の5年生が、地域の障碍者施設に体験学習に行ったあと、みんなで詩を書いてお礼に送ったのが、この「みんなが笑顔」の歌詞です。

 

「机の中にしまっておくのがもったいないので、歌にしてもらえませんか?」

先生からそんなお電話をいただいた後に、ファックスで届いた詩を読んで、私たちも驚きました。

      一人一人、苦手も違う

      だからほめ合う 苦手はカバー

      助け合えば、みんながほっとする

      小さな幸せが、大きな幸せを呼ぶ

      できなくっていいさ、助け合おう、人間だから

      ホントの思い行動にしたなら、笑顔になれる

      やさしさは僕らが持っている

 

10人足らずの5年生が、1行詩を書いてまとめたものだそうですが、大人の私が頭で考えたのでは絶対に思いつかない宝物のような言葉が、キラキラ並んだその紙を手に、感激でしばらく立ち尽くしました。

子供たちのこのすばらしい言葉を台無しにしませんように、と願いながら、私たちも一生懸命、歌を作りました。

残念ながら、この小学校は今年の春、統合によって廃校になりましたが、「みんなが笑顔」を歌うたび、日本の将来は明るい!、と感じています。  

                   (絵、安本洋子さん)(きなこ)

♪絵をクリックしたら、「みんなが笑顔」をお聴きいただけます。https://www.youtube.com/watch?v=Vd2WmvFx1O4

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2018年

6月

16日

ボクチャン

叔母が逝きました。
みかん農家の四人兄弟の長男の嫁で、ミス大島で、働き者だった叔母は、祖父の自慢の嫁でした。
叔母には姉弟二人の子供がいましたが、とくに弟はお母さん子と親戚間でも有名で、何か心細いことがあって叔母を探しはじめると、『ボクチャンだからねぇ』とみんなで笑って見ていました。

祖父のみかん山を叔母と母が手伝っていたので、私は学校に上がるまでは、みかんの色づく季節になると祖父母の家に行き、体が弱かった祖母と『ボクチャン』と三人で留守番をしていました。

3つ年上のボクチャンは、スラリと背の高い男の子でしたがおとなしい子で、私もボクチャンと一緒にいると全然喋らず、『あんたたちは、まあ、ようおとなしゅう待っちょるねぇ』と大人たちを感心させるほどお利口に、ふたりでただみかん山の上り口に並んで座って、母たちの姿が見えるのを待っていました。

あれから何十年も過ぎて、ボクチャンも白髪が目立つほどオジサンになりました。
病気に縁のなかった叔母は思いがけぬ病を得て、3ヶ月で逝ってしまいました。
葬儀の日、わたしたちが知らなかった叔母との最後の日々のことやお世話になった方々へのお礼の言葉もしっかりと話したボクチャンは、でも最後のお別れのとき、棺に花を捧げながら、叔母の額に手を置いて、肩を震わせていました。
みかん山から降りてくる叔母と母を、一緒に並んで待っていたボクチャンを、私は思い出していました。

           (絵、安本洋子さん)(きなこ)

♪絵をクリックしたら、赤トンボをお聴きいただけます。

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ブログ 「げんきなこ」ただひたすら団扇振りな日々