2018年

12月

09日

春よ来い

重たい雨が降りはじめました。
あたたかい12月から一転、昨日から冬らしい日になって、体もビックリしたのか、いきなりアカギレができました。
でも、それでも気温は8度。
いつもの12月に比べれば、まだまだありがたい冬です。
毎年寒さを感じる時期になると、春までの残り時間を5ヶ月4ヶ月と数える私ですが、今年はあと3ヶ月半こらえれば、うれしい春が来ます。

母は逆に、暑さが苦手。

同じ「指折り」を、暑くなるとそうです。

似ていない、似たもの親子です。

                (写真、yama-p)(きなこ)

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2018年

12月

07日

落ち葉拾い

日曜日は、一年一度の広島市身障者センターの文化祭です。

パーキンソン病だけでなく、様々な障害団体の方々の、歌あり、作品展示あり、ダンスあり、カープの選手とのお楽しみタイムあり、はたまた、おうどん、焼き芋などなどのテントなども並んで、身障者センターはたいへんな賑わいの一日になります。

 

パーキンソン病友の会も、毎年、会員さんの絵や手作り作品をご覧いただいたり、コーラスグループの歌をお聴きいただいたりしているのですが、わたしは今年は、安本洋子さんと一緒に作品展示の係をおおせつかりました。

殺風景な事務机に敷物を敷いたり、フワフワっとした飾りをあしらったり。これまで展示のお手伝いをして、会員さんたちそれぞれの力作が、飾り方によってさらに素敵になるマジックを見せていただいてきました。

それで、安本さんと相談して、「今年は落ち葉で飾りましょう!」と決めて、今日は、その葉っぱを拾いに一緒に公園にいきました。

 

今年は暖かかったおかげで、街路樹はまだたくさんの美しい紅葉をたたえて、私たちの目を楽しませてくれています。

わたしたち3人は、市内の賑わいが聞こえる一角で、美しい落ち葉を拾いました。

 

雨は、上がったばかり。

樹にも地面にも、濡れてつやつやと、ますますきれいな葉っぱ、葉っぱ、葉っぱ。

葉っぱはまるで宝石のようで、どれを拾おうかと迷うほどで、あ、これも、あ、これも、と、わくわくドキドキ、うきうきしっぱなしでした。

それは、安本さんも元気さんも、同じ。

「ねえ、これ見て。こんな葉っぱがあったわよ」

と、安本さん。

見れば、鳥の羽のように長細い葉っぱです。

「こんなのもあったよ」

元気さんの拾った葉っぱは、たぬきが頭に載せるのによさそうな葉っぱでした。

上を眺めたり、下を眺めたり、忙しいこと、忙しいこと。

心はそわそわ、心高鳴ること!

 

自分が子供だった頃や、子供が小さかった頃は、こういう秋もあったように思いますが、子供も大人になり、わたしもおばさんになってからは、こんなことは、とんとありませんでした。

楽しい一日でした。

                 (絵、安本洋子さん)(きなこ)

♪絵をクリックしたら、「雨はともだち」をお聴きいただけます。

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2018年

12月

05日

渓流釣りは楽しい

 

久しぶりに渓流釣りの話

 

 

 

元気

 

 

 

若かりし頃、島根県の奥出雲や鳥取県大山、同じく鳥取県日野川上流河川によく出かけた。

 

狙うは岩魚、ヤマメである。

 

今でも、どの川のどのポイントでどんな魚を釣り上げたのかを明確に覚えている。

 

 

 

先日キナコが大掃除をしていた際に、その記憶を鮮明に蘇らせてくれるものを押し入れの中から取り出してきた。

 

私が独身時代に釣りあげた大物の魚拓(計4匹)である。

 

 

 

一番大きいのが、ヤマメの33.5cm、8月の終わりに奥出雲で釣った大物である。

 

本流から支流をさかのぼり最初の大きな堰堤の下にある大きな岩の岩陰に潜んでいた。

 

時刻は確か1430分頃、夏の強い日差しが幾分弱まりすでに秋を感じる空気が漂っていた。

 

エサはミミズ、流れの中央に鎮座する大岩に向かって反対側を流したため、当たりは竿から直接伝わってくるごつごつとした魚の動きでとるしかない。

 

第一投目、その動きが伝わってきた。しばし間をおいた後、手首のスナップをきかせて鋭く合わせる。

 

これからが大変だった。

 

かつて感じたことがない強い引き、糸が切れるのではという恐怖と闘いながら、なんとか岸に引き上げたところ、魚が大暴れしたせいか、糸が体にグルグルと巻きついていた。

 

何だか少しかっこ悪い釣り上げ方だなと苦笑いしつつも、いわゆる夢の尺物ゲットでガッツポーズを何度も繰り返した。

 

恐らく本流にて豊富な餌を捕食して大きく成長し、支流へと遡上してきたものなのであろう、体高が高く銀色に輝く見事なヤマメであった。

 

そして、意気揚々とその日釣り上げた27cmのヤマメとともに行きつけの釣具店にて魚拓にしていただいたのだった。

 

その4か月後に結婚を控え、幸先いいなと一人で悦に入り、幸せを感じていたころだった。

 

 

 

それにしても、やはり渓流釣りはいいですね。ドリームアゲイン。

 

 

元気

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2018年

12月

04日

タイムマシン

歌を聴いて、その歌が流れていた頃のことを思い出した、という話はよく耳にします
方言も同じなのですね。
昨日のブログにしゅうじさんがコメントの中に書いてくださっていた『おはようありましたのんた』というなつかしい方言を目にして、新幹線より飛行機よりアポロよりはやく、『あの頃』にワープしました。
人間はまだタイムマシンを作りあげていませんが、私たちは心のうちにタイムマシンを持っているのですね。

私の場合、このタイムマシンは、つらい気持ちになる場所へはほとんど行かないようです。
『星影のワルツ』を聞くと、掘炬燵に入って一緒に歌っていた祖母の隣にワープするし、『世界は二人のために』を聴くと、お化粧が崩れるけぇ泣いちゃあいけんよと美容師さんに諭されていた白無垢姿の泣き虫の叔母の隣に私は立っています。
島に橋がかかるまでは、桟橋の職員さんが、船に乗る新婚カップルのために『世界は二人のために』を流してくれて、見送る私たちは紙テープを投げて見送りました。

いつも思い出の中に暮らしているわけではありませんが、私たちはタイムマシンでワープする場所を、心のにいくつも沈ませながら生きているのだなあと思いました

                   (絵、安本洋子さん)(きなこ)

 

 

♪絵をクリックしたら、「のうた」をお聴きいただけます。

 「のうた」は、もちろん、方言の「のうた」のことです。

https://www.youtube.com/watch?v=sKo66bpJ230

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2018年

12月

02日

誤字

来年4月、お花祭りにご縁をいただいている島根県の成福寺のご住職さまから、ゆうメールがとどきました。

あっ!と、ドキドキしながら開いてみれば、やはりそうです!

青い封筒から出てきたのは、月刊誌「御堂さん」でした。

 

「成福寺に、いらしてください」とお声かけいただいて以降、ご住職さまが執筆なさったご本を送っていただいたり、わたしたちのCDをお聴きいただいたりしながら、何度かお手紙やメール、それから1度だけお電話でもお話しをさせていただきました。

そんな中でご住職さまから、

「わたしが「癌を生きる」というタイトルで毎月連載をしている「御堂さん」という月刊誌に、げんきなこのことを紹介してもいいでしょうか」

と、ありがたいお声かけをいただきました。

元気さんがこのブログに書いた「しあわせ量保存の法則」に共感くださって、それを紹介したい、と言ってくださったのです。

 

「掲載は、12月号になります」とおっしゃられていたので、1週間前くらいから、そわそわと待っていたのですが、ついに到着した封筒をあけると、皺のないピカピカの雑誌とお手紙が入っていました。

 

入院先からのお手紙でした。

心配しながらも、でも直筆の文字はいつもと変わらず力強く美しいのに心が晴れるお手紙でした。

「12月号が届いたら、げんきなこに送るから、すぐ持ってきてほしい」、と奥様の坊守さまにお願いしてくださっていた月刊誌を、坊守さまは

「ジャーン、お待ちかねのものを持って来ましたよ」

と、そのためだけに届けてくださったそうです。

「しかし、いまひとつ心が弾みません」

とお手紙は続いていました。

文中に誤字があったそうなのです。

 

私も、「御堂さん」を開いてみました。

げんきなこについてご紹介くださったありがたい文章の最後のあたり、ボールペンで文字が修正してありました。

阿弥陀さまのお働きについて、「普照」、すなわち「あまねく照らす」という意味で、「普」の文字が使われるはずが、別の文字になっていました。

 

恥ずかしいのですが、わたしは「普」という字が「あまねく」と読むと、このたび初めて知りました。

ご住職様が訂正してくださらなければ、誤字だと気がつきもしなかったでしょう。

 

久しぶりに漢和辞典をめくってみました。

あまねく

広く行き渡る

と書いてありました。

 

驚きました。

普通って、あまりいい言葉だと思っていませんでした。

ありふれている。

どこにもある。

平凡な。

そんなイメージでした。

でも、「普通」って本来は、「あまねく行き渡り、届いているもの」という意味なのですね。天から光が降り注いで、すべてを照らすような、そんな素敵な言葉なのですね。

私の中の「普通」の意味が、変わりました。

「普」というはんこを作って、あちらこちらの大切な場所に押したいくらい、いい文字なのですね。

 

長い文章の中の、たった1字。

誤字でなければ気にとめることはなかったし、ご住職さまが訂正してくださらなければ、誤字だとも思わず通りすぎていたでしょう。

ハプニングと誠実なお気持ちのおかげで、素敵な漢字とのご縁をいただきました。

                       (写真、yama-p)(きなこ)

 

♪写真をクリックしたら、「さくら降る」をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=lslW9lddNs8&feature=youtu.be

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2018年

12月

01日

海の道

先月の初めに、1年一度の中四国地方の患者会の集まりがありました。

毎年各県を持ち回りしながら開催しているのですが、今年は香川県の患者会のみなさんにお世話になり、水野美邦先生のご講演あり、香川の皆さんの盛装でのハーモニカ演奏あり、もちろんうれしい再会と新しい出会いもありで、今年も心たのしい2日間を過ごさせていただきました。

そこで初めてお出会いした方から、先日お電話をいただきました。

大きな会を開催した後は、体調を崩される方が多いので、体調はいかがでしょうか?とお尋ねしたら、

「はい、やっぱりちょっとえらいんですけど、おかげさまでなんとかやっています」

とおっしゃいました。

え?えらい?!

「えらい」という言葉に驚いて、お体の心配をすることも忘れて

「香川でも、「えらい」って言うんですか?」

とお尋ねすると、

「ああ、そうですよ。立派って意味じゃないですよ。

しんどいって意味です。そちらでも使われるんですか?」

と尋ねられたので、

「そうです、そうです、私のふるさと大島でも、同じ意味で使います」

と、ウキウキしながら申し上げました。

 

げんきなこが作った第1曲目は、ふるさと山口県の周防大島を歌った「島風」ですが、その中に「飯の山が ああ 見えた」という歌詞があります。

それを聴いてくださった方から

「この歌は、香川を舞台にした歌ですか?」

と尋ねられたことがありました。

「飯の山という山が香川県にあって、讃岐富士と呼ばれているんですよ」

と言われ驚いたのは、もう5年ほども前だったと思いますが、その方の話では、香川の飯の山も、山口の飯の山と同じようなおむすび型の形をしているとのことでした。

 

イギリス人が移住したアメリカにニューイングランドがあり、広島の人が北海道に集団移住して作った町を北広島と名づけたように、瀬戸内海を船で行き来していた古代の人々が、どちらかの飯の山の名前をもうひとつの山にも名づけたのでしょうか。

大島は島ですから、どちらかというと香川の飯の山の名前が大島の飯の山になったのかもしれません。

 

大島にしかDNAのルーツを持たない私ですが、話をうかがって、なんだか急に香川県に親しみを感じています。

                   (絵、安本洋子さん)(きなこ)

♪絵をクリックしたら、銀輪をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=4&v=avwyn1DYs7s

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2018年

11月

29日

王様の耳はロバの耳

げんきなこは、元気ときなこの2人組の音楽ユニットです。

こんな年になって音楽活動を始めたきっかけが、音楽経験ゼロの元気さんが思いがけずパソコンで音楽を作ったのに私が驚いたということだったので、「2人で」音楽活動をしていることは、わたしたちにとって当然のことだったのですが、げんきなこを結成して3ヶ月目くらいだったでしょうか、声をかけていただいた24時間テレビのディレクターの方から、「歌っているのはきなこさん1人だけなのに、どうして2人でステージにあがっているのですか?きなこさんだけがステージで、元気さんは制作者、という方法もあったと思うのですが。」という質問を受けて、とても驚いたことがありました。

音楽経験のない、こんなおじさんとおばさんが思いがけず始めたことですから、わたし1人がステージに上がるのなら、きっと、していないと思います。

 

来年4月が来たら、げんきなこも6年目を迎えます。

ライブの回数は195回。走行距離は、11万キロ。

いろいろなことがありました。

楽しいことは山ほどありましたが、しょげることもたまにありました。

でも、そんな時にも、二人で愛車「まるきち」に乗って、情けなく愚痴ったり、時にやけ食いもしながら、ああだこうだと話しているうちに、いつしか気持ちも落ち着いて、ま、いっか、次がんばろう!という気持ちになれました。

元気さんもわたしも、それほど強くないのですが、同じ体験をした人が横にいて、後悔も失敗も心のままに言い合えることで、自分だけを責める気持ちから自分を解放できたようにも思います。

言わざるは腹ふくるるわざ、という諺がありますが、つらいこと、心を苦しめていることを話せて、共感してくれる人がいることで、重たい劣等感と後悔に縛られず、心を軽くできたように思います。

 

「王様の耳はロバの耳!」

 

イソップ物語の床屋さんは、自分が掘った穴に思いを叫びましたが、私たちは、お互いを床屋さんの掘った穴のように、穴から跳ね返ってくるこだまのように、いいことも悪いことも話しながら5年を過ごしてきたのかもしれないなあ、と思います。

                     (写真 ジュリエットさん)(きなこ)

♪写真をクリックすると「おとうと~大伯皇女と大津皇子~」をお聴きいただけます。

 

https://www.youtube.com/watch?time_continue=7&v=IBOrPigP5NY

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2018年

11月

26日

素敵なフライパン

患者友達のNさんと電話で話していたら、どういう話からか、

「わたしはとても素敵なフライパンを持っているんですよ」という話になりました。

Nさんのフライパン、上蓋と下蓋が強力な磁石で合さるようになっていて、おまけに片面の底は、波打っているのだそうです。

 

「ネットで見つけて、これだ!と思って買ったのですが、これが大正解。

深めなので、パスタもゆでられるし、ホットケーキを焼くと、波々のホットケーキが焼けて、とっても美味しいんですよ」

いつもゆったりと話されるNさんの声をききながら、私の頭に浮かんだのは、ぐりとぐらのカステラ。

「わぁ、いいですねぇ。昔、ぐりとぐらのカステラにあこがれていましたが、波々のホットケーキもいいですねぇ」

と言ったら、

「ああ、覚えていますよ、ぐりとぐらのカステラ。

わたしもぐりぐらの絵本が好きで、あの本、子供に、よく読んでやっていました。」

「そうなのですか。わたしもよく読んでやっていましたよ。」

「歌のところがありましたよね。そこは、勝手にメロディつけて、歌ってましたよ。」

「え?Nさんもですか?わたしもですよ。

えーと、たしか、

♪ぼくらの名前はぐりとぐら 

この世で一番好きなのは

お料理すること 食べること 

ぐりぐら ぐりぐら ♪

あ、今でも歌えますね!」

 

もう何十年も絵本を開いていないのに、一言一句、ちゃんと覚えているなんて、歌ってすごいな、メロディってすごいな、と感激しながら電話を置きました。

 

その後、Nさんが歌っていたのはどんなメロディだったのだろう、と気になって、メールのついでに尋ねてみたら、

「それが、きなこさんが歌ってくれたのとまったく同じだったんですよ。

驚きました。以心伝心ですかね。」

と返信がありました。

 

以心伝心、と言ったって、Nさんと知りあう何十年も前の話です。

「57577、という短歌の定型は、言葉に力を持たせる魔法の杖」というようなことを歌人の俵万智さんがどこかに書いていらっしゃいましたが、逆に力ある文章も、俳句のように、短歌のように、同じメロディを導くのかな、と思ったりしました。

                             (写真、yama-p)(きなこ)

 

♪写真をクリックしたら、「あけびの実の熟れるころ」が流れます。https://www.youtube.com/watch?v=9Fy5TxG5sJU

 

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2018年

11月

24日

断然、いい

今年も柿をよく食べました。

元気さんは柿が好きなので、季節になると、我が家の冷蔵庫には、いつも柿が入っています。

くるくると柿の皮をむいていたら、サルカニ合戦の物語を思い出しました。

 

カニはサルに、「おむすびは食べたらなくなってしまうけど、柿の種なら、やがて実って、腹いっぱい食べても、また来年実るから、種のほうがいいよ」と言われ、おむすびと柿の種を交換します。

サルがカニを騙したようなこのシーン。

でも、ほんとに柿の種のほうがいいんじゃないの、と、皮を剥きながら、ふと思いました。

 

「はやく芽を出せ、柿の種。出さぬとはさみで、ちょんぎるぞ」

幼い頃、本箱から取り出して、何度も眺めていた昔話の絵本では、カニの親子がそんな歌を歌いながら、地面に埋めた柿の種に水をかけていました。

芽が出れば、「葉を出せ」、と歌い、葉を出せば、「実になれ」、と歌いながら、柿の実りを待つ親子のカニの様子もたのしそうでした。

 

やっぱり、おむすびより、柿の種のほうがいいかも。

 

そんな思いつきを、安本洋子さんに話したら、

「そりゃ、柿の種のほうが、断然いいわよ」

と言ってくれました。

うれしくなりました。

                        (絵、安本洋子さん)(きなこ)

 

♪絵をクリックすると、「蜂ヶ峯~思い出は今もきらら~」をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=VlAGpT8XjHs

 

 

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2018年

11月

23日

義父のカーディガン

ずいぶん寒くなってきました。

シャツ1枚だったのが、その下にセーターを着るようになり、数日前からカーディガンをはおっています。

今、わたしが着ているのは、かなり大き目の茶色のカーディガン。

これは元気さんの亡くなったお父さんが着ていたものです。

 

義父が亡くなってしばらくして、元気さんの母は折あるごとに、少し遠慮がちに、「こんなのがあったんじゃけど、着れるのがあったら、着てもらえたらいいんじゃけど」と、義父が身につけていたものを見せてくれるようになりました。

スーツ、靴下、靴、杖、帽子・・・。

義父も元気さんと同じ「せごどん」体型だったとはいえ、元気さんの方が「少し大きいせごどん」なので、全部が全部入るわけではないのですが、たいていは「ありがとうございます!」と言ってもらって帰ります。

きっと元気さんのお母さんは、義父が身につけていたものを自分の手で捨てることができないのでしょう。

 

私は、物をためこむタイプです。

押入れの中には、子供たちが作った工作やよく似合っていた洋服など、今は子供たちさえほしがらないもの、あるいはもう何十年も着ていない私の母が編んでくれたセーターなどがたくさん入っていて、場所を占領しています。

日常にまぎれて、見ることもなく、しまったままの「私だけの宝物」ですが、たとえばもしも母が逝ってしまったら、わたしは一生自分でそれを捨てることができないだろう、と思うようになりました。

両親が元気な今なら、まだきっとできる。

今のうちに、処分しなきゃ。

 

そう思いながら、もういくつも季節が過ぎています。

                            (写真 yama-p)(きなこ)

 

♪写真をクリックしたら、「チカタクネ」をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=15&v=KJb_ZaT-m1M

 

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2018年

11月

11日

感動の浜田漁港

 

元気

 

楽しみにしていた、昔の職場仲間との島根県浜田漁港への釣行日が来た。

 

 

 

もう何年がたっただろうか。病気が告知されてからいろんなものを失いそして、新たにかけがえのないものを得た。失っていく一方で得たものはわずかだった時期、つまり私が苦しみぬいた日々を目の当たりにされた諸兄三名との再会となった。

 

 

 

仕事を離れもう何年たったであろうか。

 

その後、音楽と出会い、新しい道筋が見えてきて、生きる目標が再び定まってきて現在に至る。今になって思うに、これまで生きてきた時間は全て私の人生そのものであり、ここまでの生きざまは受け入れていくほかはなく、また今ではそれを肯定できるようになった自分にも気づき始めている。

 

だから今まさに再会できる環境が整ったのだろうと思う。

 

今回の釣行を提案していただいた方、またそれに呼応して参加いただいた方々に心からの感謝の気持ちを伝えたい。

 

 

 

以下、当日の状況

 

朝7時、はやる気持ちを抑えつつ、急ぎ合流地点へとキナコ運転にて向かう。いつもはオーバースピード気味だと言って、スピードダウンを厳しく指示する私なのだが、今回は遅く感じて、もっとスピード出したらと言ってしまうほどであった。まるで愛犬が久々に飼い主と再会するときの状況に似ている?

 

諸兄との再会はam7:45広島から浜田へ向かう高速道路上にあるサービスエリアで果たした。十年近くブランクがあったようには全く感じることなく、目から入った画像は、昔の記憶とすぐに連結し、なんの違和感なく私の脳が捉えた。

 

しばし、再会の喜びに浸ったのち、一路浜田漁港へ向け出発した。

 

ポイントは浜田マリン大橋下。ここはかつて45センチのカレイを釣り上げた場所だ。

 

 

 

現地に着くと、すぐに私が海へ落下しないようにと、現地にあった金属パイプでできた工事用区域仕切りを借用して、簡易壁を作っていただいた。竿置きにもなる優れもの。諸兄の心遣いが胸にしみてくる。

 

またキナコが、事前に仕込んでいたサンマのホイル焼の準備に取り掛かる。これは患者仲間から教わったレシピに基づいたもので、最高の味だった。

 

その他、現地で釣れたアジ、キスのから揚げ、煮込みラーメン、キナコが準備していた牡蠣飯のおにぎり、豚汁、さらには持参いただいた餃子や砂肝の焼き鳥など、さながら釣り場レストランと化した。(シェフを務めていただいた方、以前よりも腕前上がってました。)

 

 

 

夕刻日没まで粘るものの狙っていた大物は来なかったが、一回大きなあたりがあり、すぐに仕掛けが切られてしまった。

 

逃がした魚は大きいというけれども、大物釣りへのチャレンジは次回にまたとっておくこととしよう。

 

釣果は決して満足できるものではなかったが、それを凌駕するような至福の時間に身をゆだねることができ、私にとって決して忘れることができない素晴らしい一日となった。

 

 

 

日本海に沈みゆく夕日も美しかった。この人生、決して悪くない。

 

もっともっと謳歌しなければ。。。

 

 

元気

 

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2018年

10月

31日

金言寺ライブ

 

怒涛の如く続いた秋ライブも金言寺ライブでようやく一区切りとなった。

 

今年もよく動いたが、何か進展があったようでもあり、なかったようでもあり、何とも言えない。

 

でも確かに言えることがある。

 

それはどのライブも全て関係する人々の誠意があって実現したということ。

 

ライブは生き物、いろんなことがある。

 

金言寺ライブはそれをまさに凝縮したようなものだった。しかしながら私はここに至るまでの過程と、授かった誠意は決して忘れない。そうどのライブも全て。。

 

 

 

これからしばらく、予定も入っておらず、ゆっくりとした時間が過ごせます。

 

新しい曲作りや、音響の改善、PR活動の改善など見直していきます。

 

もちろん、体のケアもしながらです。(最重要事項:自分への戒め)

 

 

 

元気

 

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2018年

10月

12日

かくありたい

患者会の会報に掲載の元気さんの原稿が届きましたので、お読みください。

 

かくありたい

 

  病状に応じて、変化していく身体、これには当然脳細胞の変化も伴う。

残念ながらこの変化は活性化を伴わず、劣化の一途をたどるような気がする。

しかしながら、それも自然の摂理。

抗いもするが、受け入れていこう。

その道筋において、きっと見えてくるものも、あるはずだ。

 

みんな弱くて、みんな強い。

我々患者は、寒風吹きすさぶ岩肌に咲く小さな花の群れのようだ。

そしてその花は、決して強風には屈しない。

なぜならしなやかであり、かつ小さな花同士しっかりと根を絡めあい、お互いを支えあっているからだ。

 

わが広島県支部も、そんな支部でありたい。

                    (写真yama-p)(元気)

 

 

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2018年

9月

09日

手のかかる器

食器乾燥機を使っています。

洗い終わった食器を、乾燥機のかごにどんどん並べて、入れ終ったら、スイッチポンして、乾燥させるだけ。

でも、いくつか、食器乾燥機に入れずに、ふきんで拭いている器があります。

同級生のA君が作った器です。

 

A君は、とても要領の悪い人でした。

経済学部の学生だったと思うのですが、およそ経済観念というものは感じられない人でした。

パチンコが好きで、たまに大当たりして大金を儲け、そんな時は、高級食材をたんまり買い込んで、得意の料理の腕をふるい、みんなに手料理をご馳走してくれましたが、負けが重なって仕送りが底をつき「自分が食べるものがない日」も案外あったようでした。

司馬遼太郎さんの歴史小説が好きで、「幕末の志士たちのように生きたい」と、よく言っていました。

「敷きっぱなしの布団をはぐったら、キノコがはえていた。いこじなキノコじゃ。」と聞いたのも、たしかA君からだったような気がします。

 

要領が悪いA君は、わたしたちが3年生になるとき、留年しました。

そして、みんなが就職活動しているとき、「大学をやめてコックになる」と言いはじめました。

「大学は卒業しておいたほうがいいんじゃないん? コックさんになるのは、そのあとでも遅くないよ」

みんなでそう言ったのですが、A君はわたしたちの卒業と同時に学校をやめて、九州のレストランで修行を始めました。

 

その後、いくつかの店を点々として修行をしたあと、広島で念願のお店を始めました。

鷹野橋商店街の近く、入り組んだ路地のとてもわかりにくい場所に、A君のお店はありました。

もともと居酒屋だったところを借り受けて、フランス料理のお店を始めました。

 

友人何人かでお花を持っていくと、白い上着を著たA君が一人で、照れたときに見せるいつもの困ったような顔で迎えてくれました。

体を左右に揺らしながら話すのも学生時代のまんまで、ぶっきらぼうに、「魚にする? 肉にする?」と尋ねてくれました。

一人で厨房に立っているというのに、料理はこれ以上ないくらい手が込んでいて、ソースは美しく幾何学模様を描き、食べるべきか残すべきか迷うような見知らぬ洋野菜が、彩りにあしらわれていました。

味は上等。

見栄えも抜群。

心もおなかも大満足でしたが、どう考えても金額と手間があっていないような心配をかかえながら、私たちは家に帰りました。

 

その後しばらくして、友だちと市内に出たとき、ふらっとA君のお店に立ち寄ったら、A君が一人で客席に座り、爪楊枝を重ねてバベルの塔みたいなものを作っていました。

「なかなか芸術的と思わん?」

と得意そうに見せてくれましたが、お客さんは?と尋ねると、

「フランス料理はむずかしいね。使いたい食材は、意外と高いんよ。

食材をそろえて待っていても、お客さんが来てくれんと無駄になるし。

でも、冷凍は使いたくないんよ。」

ということでした。

小さなチラシを作って本通りで配ってみたり、私たちも少しPRのお手伝いをしたけれど、あまりお客さんは増えていないようでした。

 

でも、お店をしている間に、とびきりいいこともありました。

その店のお客さんだった人と、A君は結婚したのです。

竜宮城から連れてきたの?と思うような、きれいな女性でした。

 

その後、あまり先ではなく、A君はお店を閉じました。

「料理のおいしさが引き立つような食器を作りたいと思うんよ」

そして、中国山地の山間の陶芸家の先生のところで修行をする、と言いました。

でも、今度は乙姫様のような奥さんも一緒だったので、私たちは、あまり心配しませんでした。

 

きれいで気立てのいい奥さんのおかげも、たぶんすごくあったのだと思います。

やがてA君は独立して窯を持ち、自分の家の一角で、焼き物を売るようになりました。

A君の食器は、A君の料理と同じで、とても美しくて繊細な焼き物でした。

でも、「食器棚にしまっているんじゃなくて、普段に使ってもらえるような食器を作りたい」というA君の目的とは、少し違っているような気もしました。

「すごく素敵だけど、もう少し厚くて、硬くて、私みたいなガサツな主婦が毎日使っても、割れんようには作れんのかねぇ?」

と尋ねると、

「そういう風には作りたくないんよ。

大事に洗ってもらえるような、そんな食器を作りたいんよ」

と答えました。

でもねぇ、主婦は意外と忙しいからねぇ、やっぱり普段食器なら、簡単に食洗器にかけられた方がありがたいし売れると思うよ、なんてことを私は言い、でもA君とは話が合致しなかったような記憶があります。

 

たまにドライブがてら、元気だった元気さんと一緒に、中国山地のA君のお店を訪ねることもありましたが、会うたびにA君は、仙人のような人になっている感じがしました。

 

そしてやがてA君と連絡が取れなくなってしまいました。

 

わたしの食器棚には、A君の作った食器がいくつかあります。

その食器だけは別に洗う自分に気づいて、ちょっと笑ってしまいながら、「結局、A君の言うとおりになっているな」、と思ったりしています。

                    (写真、yama-p)(きなこ)

 

♪写真をクリックすると、「きみといた日々」をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=Vw3PnWzVSlE

 

 

 

 

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2018年

9月

08日

本日FMはつかいちに出演します。

本日(9月8日)16:30~17:00までの予定で、FMはつかいちの「えつこの走れオリソンミュージック」に出演します。お時間と受信可能な場所にお住まいの方は、お聞きください。

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2018年

9月

07日

ヒグマのごちそう

5日ほど前だったでしょうか、少し遠いスーパーにスイカを買いに行きました。

今年最後のスイカが食べたくて、あのスーパーなら、まだきっとある!と見当をつけて行ったのですが、なんてラッキー、最後の1俵のスイカが、私を待っていてくれました。

990円。

少し小ぶり。

でも、「そんなの関係ねえ」!

 

大事に抱えて帰って見てみると、スイカは富良野産でした。

ラベルが貼ってあり、生産者のご家族でしょうか、女性2人男性2人のお写真も載っていて、「北海道産 ふらの ヒグマのごちそう」と書いてありました。

 

「ヒグマのごちそう」!

その素敵なネーミングに、心の中で、「座布団10枚!」と拍手喝采しました。

ラベルには、スイカを抱えるというより馬乗りになったヒグマのイラストも描かれています。

私のふるさとの瀬戸内の島では、スイカは「タヌキとヌートリアのごちそう」で、父は、網をかけたり、かごをかぶせたり、毎夏、知恵比べの喜怒哀楽を繰り返していますが、北海道でのスイカをめぐる攻防のライバルは、ヒグマなのですね。

ちょっと怖そうですね。

 

昨日、北海道で大変な大地震が起こりました。

このブログでも何度か紹介させてもらったクリオネさんは、北海道のオホーツクに近い村、西おこっぺ在住。

「旦那が出張だから、ひま~。

まだ停電が続いてるけど、ガスも水道も来てるから大丈夫! 

役場で、携帯も充電させてもらったし」

昨日、クリオネさんから届いたメールは、弱気のかけらもなく、明るくて元気いっぱいでしたが、でもご主人様が出張中の患者さんが、余震の続く夜を一人で過ごすのが、心細くないはずがなかったでしょう。

 

朝一番に、

「朝早くごめん、夜中の3時に突然テレビがつきびっくり。またいつ消えるかと思い、米といで風呂沸かし洗濯機回し炊飯器スイッチいれ風呂に入り今もついてる」

とメールが届きました。

 

どうか、これ以上ひどい事が起こらないで、地震がおさまってくれますように。

クリオネさんも、「ヒグマのライバル」さんご一家も・・・、皆さんご無事でと、心から願っています。

                           (絵、高嶋宏子さん)(きなこ)

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2018年

9月

06日

誠意

誠意、とか、けなげ、とかいった言葉を聞くと思い出す人がいます。

名前も顔も覚えていない小学生の女の子です。

 

そのときわたしは小学校に上がっていたのかどうか、もしも上がっていたとしても、1年生か2年生だったと思います。

彼女は、たぶん5年生か6年生くらいだったでしょう。

 

私の小学校の正門の両脇には、コンクリートに点々と、5センチほどの黒い石が埋め込まれた部分がありました。

正門の石ですから、黒い石はもともと高価な石だったと思いますが、長い間に自然にみがかれて、さらにつやつやときれいでした。

簡単には外れないように、黒い石はしっかりとコンクリートに埋め込まれていました。

ところがある日、その中に1ヶ所、クレーターのように穴が空いているのに気がつきました。

黒い石、取れるんだ!

そう思ったら、わたしは黒い石がほしくてたまらなくなりました。

 

いったいどんないきさつだったのか覚えていないのですが、記憶に残る次の場面は、女の子がしゃがみこんで、一生懸命、その黒い石を取ろうとしているシーンです。

きっと学校帰りの小学生のお姉さんをつかまえて、私がお願いしたのでしょう。

 

そのお姉さんは、しゃがみこんで、一生懸命、石を取ってくれました。

そのあたりに落ちている石で、黒い石の周りをたたいたり、ゴシゴシ削ったり。

でも、とれるはずはありません。

 

ずいぶん長いこと待っていましたが石は取れず、たぶん、もう石は取れないのだろう、と小さい私は思っていました。

でもお姉さんは、取れないな、とかつぶやきながら、いつまでも黒い石を取り続けてくれました。

わたしがわがままなお願いをしているのに、自分の方が悪いみたいに石を取り続けている気弱そうな背中を見ていて、わたしはすごく悪いことをしている気持ちになりました。

それで、全然ほしくなかったのですが、地面の中から少し顔を出している石を指差して、「こっちの石でもいいよ。これを取って」といいました。

お姉さんは、安心したように立ち上がると、楽々とその石を取って、「はい」と、私に渡してくれました。

そして、ほっとしたように帰っていきました。

 

記憶はそれだけです。

 

たぶん、今会ったとしても、この人があのときのお姉さんだと、私はわからないでしょう。

でも、忘れられなくて、たまに思い出して、心の中で、「ありがとう」と言っています。

                       (絵、安本洋子さん)(きなこ)

 

 

 

 ♪写真をクリックすると、「世界中の誰よりもきみが好き」をお聴きいただけます。

 

 

 

 

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2018年

9月

05日

オシロイバナ

小学生の頃、家のすぐ前が、学校の正門でした。

わたしの家より小学校に近いところに家はなかったので、学校で一番、私は(正確に言えば、わたしと弟は)学校から近いところに住んでいる小学生でした。

友達がうらやましいなあ、と思うことはいろいろあったように思いますが、「学校から家が近くないこと」も、そのひとつでした。

 

学校からの帰り道、何人かで連れ立って、たのしいおしゃべりが始まったとたん、一人、みんなと別れなければならないつまらない気持ちを、今でも覚えています。

 

家の前には、ほんの20歩ほどの小道があり、そこを通って家に帰っていました。

みんなと別れる場所、その小道の入り口には、腰掛けるのにちょうどいい丸い石と、その横にオシロイバナが一群れありました。

濃いピンクの花が咲きはじめると、しべを抜いて、笛にして鳴らしたり、黒い種を割って、コロンと白い粉を出してつぶして顔に塗ってみたり。

いつも、バイバイ、と別れる友達たちが、オシロイバナの咲く時期には、なんとなく立ち止まって、オシロイバナで遊び始めることがありました。

だから、オシロイバナの咲く季節が、私は好きでした。

 

今でもオシロイバナを見ると、夕暮れに帰る友人たちの赤いランドセルの後ろ姿が浮かびます。

                          (写真、ジュリエットさん)(きなこ)

♪写真をクリックすると、「雨はともだち」をお聴きいただけます。

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2018年

9月

04日

半紙の手紙

Aさんから、お手紙が届きました。
もうじき80になられる患者さんで、手仕事がお好きで、端切れや折り紙やビーズで、お家でも通われてデーサービスでも、いつも手仕事をされているそうです。

気前がよくて、作ったものはすぐに誰かに上げてしまうから、「自分の手元にはほとんど何も残っていないの」とほっほほっほと笑って話されます。

 

時々私にも、猫やすずめなどの、かわいい小物などを送ってくださいます。

とてもかわいいので、それに自分で安全ピンをつけて、ブローチにして胸に着けて歩くと、なんだか自分が猫や鳥の飼い主にでもなったようなうれしい気持ちになります。

 

そんなAさんからのお手紙だったので、買い物に出かけようとしていた玄関から回れ右して、ハサミで手紙を開けました。

すると、封筒の中から、ぱらぱらと、折り紙のカエルとトンボがこぼれて、それから、半紙が一枚現れました。


『デイサービスで、今年の目標は年賀状を筆ペンで書いて出すこと、と言いました。
約束は約束ですから、毎日少しずつでも練習して、病気のせいにせず、少しでも前のように書けるように頑張ろうと思います』

それで、今日は筆ペンで手紙を書いています、読めなかったら飛ばして読んでください、と書いてあり、最近作られた小物を主治医の先生に差し上げたら、とても喜んで受け取ってくださりうれしかった、というようなことが、半紙いっぱいに書いてありました。

く白い半紙の、やわらかな風に少し流されながら降る雨のように、少し傾いて並んでいる文字の列がとてもきれいで、しばらく見とれていました。
鼻を近づけたら、まだかすかに墨の匂いがしました。 

                             (写真、yama-p)(きなこ)

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2018年

8月

07日

遙かなる丹波(その2)

(元気)

 

2日目は、朝食からサプライズが始まった。

 

Kさんは、朝8時30分に開店する町内のレストランを予約しているので行こうとおっしゃる。平坦な道を北上し、およそ15分後に到着。しかし外観はどう見ても古民家である。

 

玄関に入って驚いた。靴を脱いで上がるとそこには巨大なワンフロアのスペースがあり、テーブルと椅子が配置されている。そしてほぼ270°のパノラマビュー。私たちが案内されたテーブルの窓の外は、数メートル先から急峻な山の頂に向けたスロープが始まっていた。また山の頂に目を移すと、樹木の姿を肉眼ではっきりととらえることができた。ここでも森と町が混然一体となっていると感じた。」

 

 

テーブルに案内されて待つこと10分程度、運ばれてきたのはスペシャルモーニング。厚焼き玉子を具として挟んだボリューム満点のサンドイッチと、ぜいたくなフルーツの盛り合わせ、等々、見た目も実際の味も大満足。ごちそうさまでした。

 

その後、町内の観光地や、歴史資料館に足を運び、織田信長の子孫にあたる方々がこの地を治められたことを知った。

 

 

昼前にいったんKさん宅へ戻り、休憩を兼ねて夕刻16時からのリハーサルに備えた。

 

ここでのサプライズを一件。

 

それは、今まで食べた中で一番うまい素麺をご馳走になったこと。広く市販されている揖保乃糸と麺つゆに、みょうがを具材としたものなのだが、とにかく抜群のうまさだった。ゆで方や冷水で締めるタイミングに極意があるように思うが定かではない。

帰宅後、Kさんに聴いたレシピをもとに冷やす素麺を調理し、食したものの、残念ながらその味は同じレベルといえるものではなかった。(キナコさん、ファイト!!)

 

 

 

ゆっくりとした時間が経過したのち、16時直前にお祭り会場である地元の小学校へ入った。

実は前日と当日午前中にも行き、下見とスタッフの皆様へのあいさつをしたた。

実行委員長殿いわく、「このお祭りは地元の一大イベントであり、このイベントを通じて、町民がまた一枚岩となっていくことを毎年実感している」とのこと。

そんな価値あるお祭りに出演させたいただくことへの感謝と緊張感が18時30分から始まる本番に向けて急激に高まっていった。

 

 

 

とはいえ、超食いしん坊なわたくし、控室に用意されたお弁当(お刺身も入った、超豪華版)をペロリと平らげ、まずはごっつあんでした。

 

 

 

そしてうれしいことにEさんご夫妻を含め前日のイルカ女子のメンバーも駆けつけていただいた。感謝あるのみ。

さらにEさんは、意を決してか、ノリノリになってか、はたまた元気くん(私)への助太刀のためかは定かではないが、途中から舞台に登壇いただき、満面の笑顔で団扇を振っていただいた。昨日に続き、私のへっぽこ団扇振りに拍車がかかったのは言うまででもない。これまた深く感謝です。

 

 

 

夏とはいえ、夏至からすでに一か月半が過ぎている。若干早く感じた日没後、徐々に夜を迎える明るさへと移行する中、18時30分に本番がスタートした。持ち時間は30分間。演奏楽曲は「五橋渡り、金言寺、愛し子、みんなが笑顔、パーキンソンブルー、Dear)である。

私はいつも男性ボーカルグループ(すでに解散している)ファンキーモンキーベイビーズでパフォーマンス担当だったDJケミカル氏を目標として団扇を振るのだが、キナコは常日頃「あんたも歌いんさい、歌うところに意義があるんよ」と私を洗脳しており、決して人様の前で歌うレベルではなく、逆に失礼なことと認識しつつ、もともとは目立ちたがり屋のキャラと相まって、好き勝手に歌っている。

 

この日もいつも以上の高揚感が後押ししてか、いつも以上に好き勝手に歌ってしまった。

 

あとで、キナコに歌ってよかったんだろうかと聞くと、「まあよかったんじゃない」との返答。まあという言葉に引っ掛かりはあったがまずは納得。Kさんは後日「熱唱だったね」と総括いただき納得。

 

しかし、何より嬉しかったのは、演奏終了直後、スタッフの皆様から大きな拍手をいただいたことと、演奏後しばらくして、お祭りが佳境となる中、帰路に就くため駐車場へと移動する際、道すがらあちこちから拍手をいただいたことであった。

 

 

気が付けばすっかりと夜の帳につつまれ、西の空には若干の明るさが残っていた。この情景は見たことがあると直感し、記憶を辿ってみると小学生の時、歌っていてとても心地よく、美しいと感じたメロディー「朧月夜」を口ずさみながら見ていた山際の風景に他ならなかった。

 

 

 

もう一つ嬉しいことを書かせていただきます。

 

それは「みんなが笑顔」という楽曲をお祭り会場となった小学校でも給食時間に全校に流していただいていると伺ったこと。げんきなこ出演にあたり、げんきなこの活動を会場となる学校側へと説明する際、この楽曲の紹介もしていただいたとのこと。

この話からも、いかに準備にあたり多くの人が動き、ご尽力されたかをうかがい知ることができ頭が下がる思いだった。

 

この楽曲は広島県北部にあるというかあった(昨年廃校)小学校5年生(総勢15名)が書かれた一行詩を集結し、それに曲をつけ音楽にしたものである。

 

これに曲をつけてくださいと見せていただいた詩がとにかく素晴らしく、その詩の世界に一気に導かれるようにきなこと二人で曲として仕上げた。

 

この詩を見たり聴いたりすると、改めて子供の感性のすばらしさを感じるとともに、日本の未来は明るいと感じてしまう。

 

 

 

このようにして、日本の原風景までをも感じた丹波ツアーは終了し、帰路22時に姫路駅で息子と合流し、その後息子運転のもと、きなこ爆睡状態、私スピード落とせの大絶叫の中、無事我が家に辿り着いたのは深夜2時であった。

 

 

長くなりました。

 

おしまい。

 

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2018年

8月

05日

遥かなる丹波

(元気)

 

久々に私(元気)による投稿です。

 

昨年の京都綾部でのライブで知り合った、Kさんのご尽力で実現の運びとなった兵庫県丹波でのライブ(高齢者施設:8月3日と、地元のお祭り:8月4日の計2回のライブ)のため、8月3日早朝6時に我が家を出発した。今回は4日の帰路の途中、姫路で息子と合流し、広島まで戻ることとしたため、息子が運んでくるであろう荷物の増量分を勘案し、音楽機材を極力削減・軽量化を図った。

 

 

重量物積載状態の運転では、ハンドルを取られるリスク、パンクのリスク、急ブレーキを踏んだ時、重量物が後ろから飛んできて頭を直撃するリスク、なによりパーキンソン病ゆえか、私がスピードが増すにつれて感じる恐怖心を回避したいため、運転手となるキナコともに帰路運転手となった息子にこれらリスクの内容を説明するとともに、とにかくスピードを落とすように言い聞かせたものの、馬耳東風までとは言わないが、私の意に反して、スピードを上げることが多々あり(制限スピードはクリアしています:汗)スピードが増すにつれ倍増する恐怖心の中、絶叫に近い声を繰り返す私であった。(PD患者(私だけ?)はスピード感に恐怖心を覚えるのです)

 

 

 

さて、中国縦貫道を降りて加古川沿い)丹波を目指したが、ここで目に入る景色に不思議が感覚を覚えた。まずどこまでも続く平坦な土地とそれを囲むように位置する低~中高度の山々(盆地ですね)の景色が新鮮であった。私が住む広島は、平坦な土地少なく、傾斜のある斜面に住居が並んでいる。

丹波に入るとまさに、森の中に街があるといっていいような景色となり、千と千尋の神隠しの冒頭で見知らぬトンネルを潜り、パラレルワールドへ入っていくシーンを連想した。

 

到着した会場では、Kさんがすでに待機されていて、また施設関係者の方々も準備万端状態で迎えてくださった。

 

 

 

今回のライブでKさんは、広くご友人に声掛けされ、十名程度のご友人にも駆け付けていただき、オリジナル楽曲「ふたたびの少年」に合わせて、体操実演を事前練習よろしく、一糸乱れぬ(私を除いて)状態で演じていただいた。体操チーム名「イルカ女子」の皆様、ありがとうございました。

 

さらに嬉しいことに綾部でのライブで知り合い、その後わざわざ京都から我が家までKさんと一緒に訪ねてきてくださった、Eさんとそのご主人も途中からご列席くださった。

Eさんは、年上ですがとてもかわいらしい女性で、わたしのへっぽこ団扇振りに合わせて、見事なへっぽこ振りで団扇を振っていただいた。これを見て、へっぽこぶりに拍車がかかり私はノリノリ状態となりました。

実はこのEさんは、児童文学作家(と私は認識している)と呼ぶにふさわしい、作品をこのたび、書き上げられました。小さい頃の出来事をまさにそのころの視線で書き上げられています。広島に来られた際、直接ご本人の朗読で聞かせていただきましたが、幻燈を見ている感じがするとともに、小学校の国語の教科書にあった、「やまなし」(たしかこのタイトルだったと思います)の一節にあった、「モランボンは笑ったよ」(「これまた私の記憶から、違う表現だったかもしれません)という個所を思い起こしました。

Eさんの作品はとても懐かしく、せつない思いもする美しい内容に仕上がっています。

 

このようにして丹波遠征第一ステージはあっというまに幕を閉じ、その後、再度本年10月にオファーをいただいた、近隣にある別の高齢者施設の下見をさせていただいた。

 

さて、当日はKさんの家にお招きいただき、食事と宿泊をさせていただいた。お邪魔してからというもの、Kさんの愛犬「アラシ君」と敷地内同居されているKさんご子息ご家族のお孫さんお二人により、楽しい時間が倍増された。

 

アラシ君はもうお爺さんの年齢なのだが、その愛くるしさといったら、まさに「半端なく」、帰路車の中で、犬飼おうかなーって会話が続き、帰宅してから、きなこは犬関連のサイト検索を繰り返している。

 

お孫さんは、かわいい盛りであり元気な盛りでもある5歳と3歳の兄妹で、お邪魔したときは、捕まえたバッタや、カブトムシをうれしそう私たち二人に見せてくれた。特に、カブトムシのふるまいに興味津々の様子で、例えば壁伝いにカブトムシが上昇移動するにあたり、どのような材質の違いによる(壁紙、タイル、木質等)移動のし易さの分析や、カブトムシが壁に張り付く強力な力を体感するなど、まさにこれからわんぱくで冒険に満ち溢れた少年時代へと突入していく様子が、頼もしく感じられた。

Kおばあちゃん、幸せですね。

 

アラシ君、ご兄妹のまさにツートップの歓迎を受けたのち、夕方6時に先のKさんご友人にもご参加を賜り食事会がスタートした。

 

このご友人の方々から「げんきなこのCDを繰り返し聞いているとか、だれか力のある人がげんきなこの存在を発見し、引き揚げてくれないかと願っている」といった話をお聞きし、ファンということばが、いささか気恥い感じはするものの、ファンの皆さまの大切さ、ありがたさを感じ入った日でした。

 

 

 

後半部分はまた後日

 

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2018年

7月

28日

笑顔

患者会の集まりがありました。
「主人が迎えに来てくれるから、お先にごめんなさい」
会が終わると、Aさんは誰よりも早く部屋を出られました。
ところが。
来てくれるはずのご主人様は、いつまでたっても来られません。
Aさんは携帯を忘れて来てしまって、ご主人様に連絡もつきません。
夕方とは言え、外気はまだ35度を超えていると思われる暑さの中、入口の前でキョロキョロソワソワ、伸び上がり、心細げに待つAさんを
「外は暑いですから、中にいて、車が来ないか見ていましょう」
と無理やり建物のなかに引っ張りこみました。

やがて一時間。
みんな帰ってしまい、ついにAさんだけ。
家に帰ることにします」
暗い声でAさんが言われたところに、ご主人様が現れました。
そのときのAさんの、なんとまあ、うれしそうな顔!
表情豊かに自己表現される方ではないのですが、ご主人様を見つけたときのその笑顔は、幼児がうれしいことに出会ったときのような、喜びが顔いっぱいにあふれた笑顔でした。

なんで早く来てくれなかったの!
私なら、とっさの感情に、相手を責める気持ちが含まれるような気がしますが、ただただ来てくれたことを喜ぶ気持ち100パーセントのAさんの笑顔を見て、ますますAさんが好きになりました。
                                  (絵、安本洋子さん)(きなこ)

♪絵をクリックすると、一緒にいよう♪♪をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=2ua_5CSuy3g

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2018年

7月

27日

危険な暑さ

危険な暑さ、という言葉をニュースで聞きました。
初めて耳にした言葉です。ちょっと驚きました。

NHKニュースでアナウンサーが「危険な暑さ」と言われるのを聞きながら、今年の流行語大賞になるかも、と思いました。

昨日は、月に一度の、ケアマネさんが来てくださる日でした。

スリッパをお出ししながら、
「毎日暑いですね」
お決まりのご挨拶をすれば
「外は暑いんですが、こうしてお宅にお邪魔すると涼しくて、でも仕事柄、1日に何回もそれを繰り返しているから、なんだか最近、皮膚がヘンな感じなんですよ」
と肌をさすられました。

ラジオを聴いていたら
「最近喋り始めた我が子は、「パパ」の次に、「ママ」を飛ばして「アチュイ(暑い)」を覚えました」
という投稿がありました。
確かに「アチュイ」毎日ですが、元気さんのケアマネさんのように、お仕事によっては、暑くて、涼しくて、また暑くて、今度は冷えすぎて…と、温度差を繰り返しながら1日を過ごされる方も少なくないのでしょう。
でも、こんな短時間に温度差を繰り返す経験は、人類にとって初めてのことかもしれません。
前人未到の領域

高いところの葉っぱを食べることに適応したからキリンの首は長いのだ、と聞いたことがありますが、この温度差の体験は、人に何らかの変化をもたらすのでしょうか

                             (写真、yama-p)(きなこ)

♪写真をクリックすると、「冬のひまわり」のオケをお聴ききいただけます。https://www.youtube.com/watch?v=kfleHvVouUI

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2018年

7月

25日

感情増幅器

優しい人だな、と思う人に出会うことがあります。

優しい人は、誰かのしんどさを、実際以上に増幅して感じているようにも思います。

優しい人はしんどいだろうな、と思います。

わたしの母も、そんな人です。

なにかちょっとしたことを話すと何倍も心配して、ずっと胸を痛めています。

母の心には、感情増幅器があるのではないかと思ったりします。

                      (絵、TERUKICHI)(きなこ)

♪絵をクリックすると、「のうた」をお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=sKo66bpJ230

 

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2018年

7月

24日

毎日

ご主人様がパーキンソン病である奥様のお話をうかがう機会がありました。

「私にとって、昨年は今まででいちばんしんどい一年でした。

もう何もかもがいやになり、その思いから逃げるために、ずっと毎日、ゲームをしていました。子供に、「ゲームばっかりしちゃだめ」と言っておきながら、そのわたしがゲーム三昧になっていました」

「でも主人は、そんな私に、「しんどくても毎日ちゃんとご飯も作っているし、家事もしているし、えらいよ」と言ってくれていました。その頃、主人自身もとても症状が悪かったのですが。」

 

奥様は、他にも様々なことをお話しくださったのですが、ここに書かせていただいたことが、私には今も心に響いています。

 

どんなに悲しいこと、しんどいことがあっても、毎日の生活には雑事もあり、家族がいたり、ペットがいたりすると、食事の支度をしたり、洗濯をしたり・・・、ただ悲しみにくれてそこにしゃがんでいるわけにはいかないことが目の前にあります。

ささいなことでも、自分がしんどいときにそれを繰り返し続けることは、大変なことだと思います。

 

奥様が、ゲームに逃げるほどの精神状態でありながら、家事をなさったこと。

でも、おそらく最低限の家事だったと思いますが、ご主人様がゲームをなさる奥様を責めるのではなく、「えらいよ」といわれたこと。

そのどちらもすばらしいことだと思いました。

 

奥様は、今、心もお元気になられたそうです。

きっとそんなお二人だから、こうしてまた心元気になられたのだろう、と思いました。

                           (写真,スミピー)(きなこ)

写真をクリックすると、パーキンソンブルーをお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=QuLIX1EW9oM

 

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=QuLIX1EW9oM

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2018年

7月

23日

たかがカレー。

昨日、久しぶりにカレーを作りました。

半年くらい、作らなかったでしょうか。

カレーが食べたい、と元気さんが言えば、スーパーで、レトルトカレーを買って出していました。わたしは納豆ご飯を食べていました。

 

こんなところで告白するのはとても恥ずかしいのですが、わたしは料理が下手です。

主婦になって20年以上。

料理本もたくさん持っているし、お料理上手な人からレシピをいただいものを自分でもファイルしたりして、それなりに毎日料理してきたと思うのですが、それでも、料理にはまったく自信がありません。

こういう主婦が困るのは、お食事を伴うお客様です。

「お昼(あるいは、夜)に、○○さんが来られるよ」と、元気さんに言われて一番に思うのは、「メニュー、何にしよう!」です。

そんな私のほとんど唯一と言っていいお客様メニューは「カレー」と「「牡蠣めし」です。

カレーはカレーである以上に、料理下手な私のツートップの大切なメニューでした。

 

ところが。

半年ほど前。

「このカレーは、なんだかおいしくないね。」と、元気さんが言いました。

小さく傷ついて「そうかねぇ」と、言ったのですが、そんなことが何度か続きました。

もともと料理に自信がなく、根性ナシのわたしは、元気さんが残したカレーを自分で食べながらすっかりカレー作りに自信をなくし、カレーを作る気もなくなり、作らなくなりました。

カレーがアウトになったということは、お客様メニューが「牡蠣めし」だけになったということです。

でも、「牡蠣」は、冬のもの。Rのつく月以外に「牡蠣めし」は出せません。

つまり、冬場以外のお客様メニューがなくなった、ということです。

 

そんな状況の中で、数日前、元気さんから「同級生が来るよ」と言われました。

どうしよう、と頭を抱えていたのですが、一度、我が家でカレーを召し上がってくださった同級生が、「カレーを食べたい」とリクエストしてくださいました。

他に作れるメニューもなく、そんなわけで、半年ぶりにカレーをたきました。

 

そして当日。

おそるおそる出したカレーを、みなさん、「おいしいね」と召し上がってくださいました。

うれしかった!

 

人間というものは、くさされれば、凹み。ほめられれば、うれしいものだと、つくづく感じています。

ほめられてうれしいのは、子供だけではないのですね。

お相手にしてみたら、軽い気持ちで口にしたことであっても、たまたまそれが自分の劣等感のツボにはまってしまうと、ズーンと落ち込む、ということがあるのですね。

実は半年間、料理を作る意欲というもの自体が失われていたのですが、今日は偶然テレビで見かけた「いかのカレーマヨ炒め」を広告の裏に走り書きでメモったりしました。

 

たくさんほめて、たとえリップサービスでもたくさんほめられて暮らしていきたいと思いました。

                  (写真、ジュリエットさん)(きなこ)

♪写真をクリックしたら、STのテーマをお聴きいただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=EaF7_Bg

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2018年

7月

22日

希少価値

幼稚園には、お弁当をもっていっていました。

お茶だけは幼稚園でもらっていました。

お弁当の時間になると、お当番さんがカネ製のカップを配り、その後で、先生が大きなヤカンでお茶をついでくれました。

取っ手がひとつ付いたカップは、ほとんどが金色でしたが、いくつかだけ、薄いブルーのカップが混じっていました。

形はまったく同じ。

でも、ブルーのほうがとびきり素晴らしく思えて、カップを配る時間になると、わたしたちはみんな、ブルーのカップが自分のところに来ないかと、当番の手元を、じーっと見ていました。

ブルーのカップを自分に配ってもらうために、ワイロも横行していました。

きれいな千代紙とか、ビー玉とか、そんなものをお当番の子にあげて、「私にブルーのカップ配ってね」とお願いするのです。

 

小学校になってからは、給食の飲み物は牛乳になりました。

牛乳は、紙のふたがついたビン牛乳でしたが、ほとんどが透明なビンに赤色で絵や文字が書かれたものでしたが、少しだけ青色のビンも混じっていました。

みんな青色の牛乳がほしくて、やはり争奪戦が起こりました。

ところが、何年かしたら牛乳ビンがモデルチェンジして、今度は青色ビンがほとんどで、赤が少しになりました。

すると、「赤い牛乳のほうが味が濃い。青いのは、水が混じってる」と、誰ともなく言いだし、赤い牛乳のほうが人気になりました。

 

小学校の水泳実習では、みんなで隊列を組んで、湾を一周泳いでいました。

遠泳の途中で、小船に乗った先生がみんなに「カンロ飴」を1つづつ配ってくれました。

それを立ち泳ぎをしながら自分で皮をむいて口の中に放り込むのですが、そのカンロ飴の皮にも、黄色い皮と茶色い皮があり、少ない茶色いの方が人気でした。

カンロ飴は、今でも同じものがお店に並んでいています。

三つ子の魂百まで。

カンロ飴が差し出されると、今も迷わず私は茶色いほうに手を伸ばしています。

                       (絵、安本洋子さん)(きなこ)

♪写真をクリックしたら、「ふたたびの少年」をお聴きいただけます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=hEDIN2GTibw&feature=youtu.be

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2018年

7月

21日

自分の役割

今日も暑い一日です。

朝、患者仲間のAさんが、用事があってお電話をくださいました。

「オフでちょっと体勢が悪いから聞き取りにくいかもしれないけど」

と言われて、お話をしていました。

15分ほどして、それじゃ、また、とお電話を終るときに、

「まだオフですか?」と尋ねると

「まだオフですよ。でも、これから草刈をしなければ」

と言われて、お電話を置かれました。

 

Aさんと話していると、よく草刈の話が出てきます。

自然は目やお腹や心に喜びや恵みをもたらしてくれるけれど、常に闘っていなければならない厳しさもあります。

田舎に住んでいると、それをよく感じます。

Aさんは患者さんだけれど、草刈が必要な場所に住む一社会人でもあります。

Aさんは、その場所に住む自分の役割を果たすために、草刈をなさっているのでしょう。

 

今日、Bさんは消防団活動で、被災地でボランティアにいかれています。

「自分の体も大事にね。気分が悪くなったら、すぐに誰かに言うんよ。水飲むのを忘れないで。」

患者仲間はみんなBさんを心配して、送りだしました。

わたしも同じことを言いながら、でもなんだか少し、救援活動ができるBさんがうらやましいような気持ちも感じていました。

今朝、ラジオをきいていたら、同じようなことをDJの方が言われていました。

「なにをしたらいいかわからなくて、なにもしていない自分に罪悪感を感じる」と。

もしかしたら、今、広島には、そんな小さな罪悪感が、こっそり満ちているのかもしれません。

 

でも、その気持ちは間違っているのかもしれませんね。

自分の位置で、自分のできることをする。

Aさんは草刈を。

元気さんはリハビリを。

Cさんはこの炎天下、今年も後輩の応援に声を枯らしているのでしょう。

思っていれば、また何か、自分のできることがめぐってくることがあるでしょう。

それでいいのかも、と思いました。

                      (写真yama-p)(きなこ)

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2018年

7月

20日

水をまく

猫の額どころか、ネズミの額ほどもない私の庭に、毎日水をまいています。

 

あれはいつのことだったか、大雑把なわたしが水をまいた後のことでした。

庭で一緒に、草をひいていたか、何か植えていたかした母が、作業が終って家に入りがてら、ふと立ち止まって、「まあまあ、あんたは、水をもらえんかったかね。そうかね、そうかね」と言いながら、わたしが水をかけ忘れた植物に、ひしゃくで水をかけていたことがありました。

 

こんな風に、わたしも育ててもらったのだろうな。そう思いながら、母が水をかける様子を眺めていたことを覚えています。

 

酷暑。炎暑。獄暑。千年猛暑。

お天気キャスターの森田さんが、いろんな言葉で、今年の暑すぎる夏を表現されていました。

水をもらい損ねた植物がないように、気をつけて水をまいています。

                      (写真、ジュリエットさん)(きなこ)

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https://www.youtube.com/watch?v=KJb_ZaT-m1M

 

 

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2018年

7月

19日

セミ時雨

小さい頃、海のそばの借家に住んでいました。

裏庭の石垣の向こうがすぐに海で、夏休みになると、毎日弟と石垣から飛び込んで、海で遊んでいました。

泳ぎ疲れて畳の上でお昼寝をすると、ほてった体の上をわずかな涼風がとおりすぎ、せみ時雨がわんわんと耳に渦をまくように届いていました。

 

今日も、朝からセミが大合唱をしていました。

でも、お昼になって気がつくと、セミの鳴き声がありません。

セミにとっても、暑すぎる酷暑なのでしょうか。

 

豪雨災害以来、広島のローカルラジオからは、被災地の状況が流れ続けています。

お風呂に入ることができなくて、人に会うのがおっくうになっています。

お風呂の無料開放をしています・・・。

 

どうぞ皆さん、熱中症になられませんように、と願いながら、ラジオをきいている毎日です。

                         (絵、高嶋宏子さん)(きなこ)

 

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https://www.youtube.com/watch?v=M5FgsPzELLc

 

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ブログ 「げんきなこ」ただひたすら団扇振りな日々